昼休み。冬の光は教室の天井にまで届かず、蛍光灯の白さだけが空間を均していた。
喧噪。笑い声。椅子の軋む音。スマートフォンのシャッター音。
それらが重なり合いながらも、奇妙にまとまった“秩序”のようなものがあった。
遥は、教室の中央に立っていた。
自らそこに立ったのだ。誰に促されるでもなく。
机の角に手を添え、わずかに腰を傾けるようにして、唇を引いた。
──笑み、ではない。
あくまで、“形”としての口元の操作。
「……で、今日は何するんだっけ」
声は、乾いていた。
挑発でも、懇願でもなく。ただ、滑らかに発せられた。
「昨日のは、ちょっと物足んなかったらしいけど」
「こいつ、ほんと飽きねえよな」
「じゃ、今日はこっちから始めようぜ」
背後から、誰かの指がシャツの襟元を引いた。
乱暴というほどでもない。馴れた“段取り”のようなもの。
遥は微かに身を委ねた。抗わず、従わず。ただ、流れに沈むように。
その目だけが、明確だった。
媚びも、怯えもない。
ただ──見下していた。
「……あ、そこ? 好きだよね、そこ。ほんと飽きないんだなぁ」
声の端に、冷たい自嘲がにじんだ。
その温度に気づく者はいない。むしろ、笑い声が増す。
「うわ、聞いた? ほんとドMじゃん」 「カメラ回してんの? 今日、調子いいよ」
遥は、床に膝をついた。
自らの意思で。だが、その“意思”自体が、どこか摩耗していた。
誰かの太ももに指先を置き、
「ほら。触んないの?」
と囁くように口を開いた。
その声音には、毒も愛もない。ただ、空虚な戯れの皮を被った毒だけが残っていた。
「昨日より“反応”いいよね」
「ほら、こっちも」
誰かの靴が、遥の脇腹を軽く蹴る。
笑いが弾ける。
遥は倒れない。ただ、受けて、また笑う。
「もっと、ちゃんとやって。でないと……冷めるよ?」
──演技だった。
完璧な、“商品”としての反応。
しかし、その底には、誰にも届かない断絶があった。
教室は笑っていた。
誰もが、これは「許された遊び」だと信じていた。
だが、日下部だけが、その“境界の崩壊”に気づいていた。
遥が、演技すら超えて、
「命令と自発の境を溶かしている」
ことに。
──煽っているのではない。
──媚びているのでもない。
ただ、遥は、「これでいいんだろ」と告げている。
踏まれること、蹂躙されること。
すべてを“先回りして差し出す”ことで、誰にも本質を見せずに済むと。
だから、笑っている。
笑うしかないのだと。
日下部の爪が、机の縁に食い込んでいた。
言葉は出ない。ただ、目だけが、遥から逸らせなかった。
遥は、一瞬だけ、その視線を受け止めた。
微かに笑ったまま、唇を動かす。
「見てろよ、“ちゃんとやってる”から」
──そして、目を逸らした。
誰かの指が、再びシャツの中へと伸びていく。
笑いの中に、咎める声は一つもなかった。