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これは、貴方の人生です。貴方は、HSPとアダルトチルドレンを抱えて生きています。
貴方は、20××年×月×日、愛知県稲沢市に産まれました。極普通の家庭で、田んぼが広がる田舎で育ちました。
保育園に入園した頃、友達はいなかった貴方。1人で砂場で遊び、遊具に入ろうとすれば男子に突き飛ばされ、また別の遊具に逃げれば上級生に砂をかけられ追い出されました。
小学校に入学しました。田舎にポツンと建つ、古い校舎でした。門をくぐれば大きな桜の木が迎えてくれて、まだ大きい水色のランドセルを背負ってワクワクしていました。弱々しい貴方はやはり、気性の荒い男子に目をつけられてしまいました。運悪く、彼は貴方の隣の席でした。髪を引っ張られたり、通せんぼされて悪口を言われたり、濡れ衣を着せられたり、運動会では足を引っ掛けられ、お前のせいで負けたと散々でしたね。プールの授業では、泳げない貴方をプールサイドから虐めっ子が見下ろし、笑い、先生も止めようとはしませんでした。貴方はこれがトラウマで、学校のプールだけは泳げなくなりました。水着やプールから香る塩素の匂いが、あの恐怖を蘇らせて、呼吸が出来なくなりました。貴方は次第に学校に行くのが怖くなりました。通学団では、上級生に虐められ、大切な水色のランドセルも、たくさん殴られました。後ろから押されました。酷く、笑われました。貴方は泣きそうになりながら、学校までの30分間を耐えました。耐えても、耐えても、学校に行けば虐めっ子がいるのでした。虐められている側は、親にも先生にも言えないとよく言います。貴方は、親や先生に助けを求める、という選択肢が頭にありませんでした。ずっと、1人で戦ってきたのです。
そしてそれは家庭環境も同じ。父親と母親の夫婦関係に亀裂が入ったのです。何が原因であったか、さだかではありません。ただ、愛の賞味期限が切れたということでしょうか。両親は、貴方の前で口喧嘩をするようになりました。罵声が飛び、父親は次第に貴方に向ける優しさも嘘偽りのような態度になっていきました。癇癪を起こせば、物にあたり、時には皿が割れました。貴方は、夜中でも続く罵声の中、咽び泣く声を必死に我慢して布団に潜っていました。貴方の家庭は機能不全家族。貴方はみるみるうちにアダルトチルドレンそのものの条件にそって成長しました。ストレスで不眠になりました。発熱も日常茶飯事でした。貴方は、心理的虐待と虐めという環境に置かれ、後に身長は中学3年生154cmで止まってしまうことになります。貴方の手首には、小さな傷がありました。それは、いつの日かテレビで見たミステリードラマで話されていた手首を切って自殺を見て実践したものでした。浅く小さな傷は、貴方の「やっぱり死にたくない。死にたいんじゃなくて、理解されたいんだ。助けて欲しいんだ」という気持ちの現れでしょうか。幼子ながらに死を考えていました。母親はいつも貴方に、「ごめんなさい。貴方は何も悪くないのに」と謝りました。貴方は、母親が謝ることに対して、父親が圧倒的に悪いのに何故母親が謝るのか、と不満に思っていました。父親が完全に悪いという根拠もないのに。ただただ、物にあたり、怒声を散らす父親の荒々しい姿が、どことなく悪役に感じたのでしょう。貴方は次第に、母親を励ますためか、1人で泣いている母親に対して自分の幸せをアピールするようになりました。学校では虐められ、家では両親の激しい喧嘩を聞かされる子のどこに幸せがあったというのでしょう。貴方は必死に幸せな物語を作り出して母親に聞かせました。
ある夏の体育の日。貴方は、不良で有名な男子に声をかけられました。「お前、足速いな!かっこいいな!陸上向いてるぞ!」と言ってくれました。貴方は、その子の名前を一生忘れず、今でも感謝しています。
時は流れ、小学5年生になりました。虐めはほとんどなくなりました。しかし、家庭環境は悪化していくばかりでした。秋、貴方は両親に呼び出され、リビングに正座する両親の前に座りました。思い空気が、貴方にこれから起こる全てを物語っていました。母親が口を開きました。「私たち、離婚することにしました。貴方に辛い思いをさせてごめんなさい」貴方は、母親がもう泣くこともなくて、謝れることもなくて、幸せになれること、すなわち離婚を喜ばしく思いました。それで、笑顔を浮かべて、母親に抱きついたのでした。貴方には、それが幸せでした。
貴方は、母親の実家である、大阪府大阪市の小学校に転校することになりました。そこの生徒は皆、とても良い子達でした。貴方は次第に心を開き、友達もできて、誰一人として貴方を虐めるような子はいませんでした。名古屋弁を可愛いと言ってくれた子や、関西弁を教えてくれた子もいました。貴方が初めて経験した、普通の学校生活でした。
中学校に入学しました。2つの小学校からの生徒が集まって1つの学年が構成されている学校です。これによって、貴方はさらに友達が増えました。誰かが自分を虐めるのではないか、そんな心配など、頭のどこにもありませんでした。ここで貴方はようやく、普通の子供になってきていました。貴方は、あの夏の体育で言われた言葉を忘れず、陸上部に入部し、素敵な先輩方に出会いました。貴方は初めて、人を尊敬しました。大好きな先輩方が引退する時には、涙を流して悲しみました。貴方が初めて、人との別れを悲しんだ時でした。
文化祭では実行委員として活動したり、体育祭では持ち前の瞬足でクラスに貢献しました。修学旅行では実行委員として活動し、楽しい経験と共に大成功で終わりました。
今、貴方には自分を尊敬してくれる人、優しく関わってくれる人、好いてくれている人までがいます。貴方の人生は、今でも辛いことの方が多いです。なぜか涙が溢れて止まらない時も、寂しくて眠れない夜もあります。貴方は、壊れてしまった心を、傷を癒してくれる存在に囲まれています。幸せなのではないですか。貴方はきっと、幸せです。これからは、貴方が誰かを幸せにできると良いと、貴方自身願っています。
今年は受験生。きっと合格します。貴方は、視野を広げたいと、留学してみたいと、国際文化学科を志望しています。あの頃の自分に必要であった味方になるために、カウンセラーを目指しています。貴方は、大丈夫です。これからも貴方は、大丈夫です。