テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#執着
猫とろ
628
篠原愛紀
252
臣桜
47,850
42
もう誤魔化せない。
恋だと認めてしまった以上、その願いは嘘ではなかった。
「でも、それだけじゃ駄目だよね……」
震える声で呟く。
ランディリックは何も言わず、ただ静かにリリアンナを見つめていた。
「ウールウォード伯爵家を見捨てることなんて、私には出来ない」
言葉にした瞬間、胸が苦しくなる。
亡き父の笑顔が浮かぶ。
執務室で難しい書類を前にしていても、リリアンナが顔を出せば優しく笑ってくれた。
亡き母の作ってくれたアップルパイやクッキーの味が、脳内に甘酸っぱさとともに蘇える。
一緒に庭へ植えたりんごの木が実を付けたら、それも美味しいパイにしてくれると話してくれた。
領地を歩けば、領民一人ひとりへ声を掛けていた父母。
ウールウォード伯爵家は、領民を守るためにあるのだと。
当主とは、自分の幸せよりも先に、家と領地を守る者なのだと。
そのために、皆から税収を託されているのだと。
幼い頃から何度も教えられてきた。
父と母が命を懸けて守り続けた伯爵家を、自分の恋心ひとつで手放すなど、どうして出来よう。
たとえ今、この胸が誰よりもランディリックを求めていたとしても。
「私ね……」
俯いたまま、震える声で続ける。
「さっきも言ったように、ランディとずっと一緒に生きていきたいの」
言葉にしてしまったら、もう引き返せなかった。
自分の本当の気持ちを、自分自身で認めてしまったのだから。
「朝、目を覚ましたらランディがいて……」
思わず小さく笑う。
「一緒にご飯を食べて、お茶を飲んで……ランディがお仕事をしている姿をそばでずっと眺めるの。そうして……出来ればお母さまがお父様にしていたみたいに、あなたのお仕事の手助けをしたい。そう出来たら幸せだなって思うの」
そんな何気ない毎日が愛おしい。
ヴァン・エルダール城で過ごす一日一日が、自分の帰る場所になり続けてくれたら。
「でも……」
笑みはすぐに消えた。
「そんな気持ちだけで、お父様やお母様が遺してくださった家を見捨てるなんて……出来ない」
部屋へ静かな沈黙が落ちる。
ランディリックは急かさない。
慰めもしない。
ただ黙って、リリアンナの言葉を最後まで受け止めていた。
やがて、そっと寝台へ腰掛けると、リリアンナの震える両手を包み込むように握った。
「リリー」
低く穏やかな声だった。
「そのことなら、心配はいらない」
「……え?」
「キミが案じていることは、僕もずっと考えている」
大きな手が、ゆっくりと手の甲を撫でる。
その仕草には、焦りも迷いもなかった。
「今はまだ話せない」
一拍置く。
「だから、納得させてやることも出来ない」
リリアンナは小さく目を見開く。
その表情を見つめながら、ランディリックは静かに微笑んだ。
「だが、約束しよう」
握る手へ、そっと力が込められる。
「キミにも、ウールウォード伯爵家にも、決して悪いようにはしない」
「……ランディ」
「今は、『僕を信じて?』としか言えない」
その言葉が申し訳なかったのか、ランディリックは自嘲気味に笑う。
「本当なら、全部話して安心させてやりたい」
そう呟いてから、もう一度リリアンナを真っ直ぐ見つめた。
「だが、中途半端な約束だけはしたくないんだ。――分かるね?」
その声は揺らがない。
「必ず形にしてから、キミへも伝えるから」
リリアンナは思わず唇を噛んだ。
この人は、そういう人だ。
思いつきでものを言わない。
希望的観測でも話さない。
確実に実現出来ると確信したことだけを、静かに口にする。
今は、伝えられないと言うのなら、本当にまだ話せない理由があるのだろう。
「だから今だけは、僕を信じて待っていてくれないか?」
その瞳には迷いがなかった。
既に何かを決め、そのために動いている人の目だった。
リリアンナはその瞳を見つめ返す。
不安が消えたわけではない。
伯爵家のことも。
領地のことも。
これから先、自分がどうなるのかも。
なにひとつ分からないままだ。
けれど――。
思い返せば、この人は今まで一度も約束を違えなかった。
守ると言ってくれた時も。
帰る場所はここだと言ってくれた時も。
いつだって最後には、その言葉を現実にしてきた。
だからもう少しだけ。
もう少しだけ、この人を信じてみよう。
そう思えたのは――。
ランディリックの大きな手の温もり。それだけは、不思議と嘘には思えなかったからだ。
コメント
3件
ランディなら任せて大丈夫だよね
きっとランディリックならなんとかしてくれるよね!?
うわあ、もう、リリアンナの気持ちが痛いほど伝わってきました…。父母の思い出と恋心の板挟み、すごくリアルな葛藤でした。ランディリックが「今は話せない」と正直に言い切る誠実さ、そして「必ず形にしてから伝える」という約束に、彼の覚悟がにじみ出ていてグッときました。最後の手の温もりだけは嘘じゃないっていう描写、本当に美しかったです。何を企んでいるのか、続きが気になりますね!