「オイ、本当にここなのか?」
「ああ、いいからついて来い」
タメ口で答え、ドンドン前に進んでいく徹。
「なんなんだ一体」
と文句を言いながらついていく俺。
ここは繁華街の裏通り。
人がすれ違う度にお互い避けなくては通れないような細い道。
一見すると怪しげにも見える店が並んでいる界隈を、高そうなスーツで歩く男2人。
絶対に浮いている。
「なあ、いつもの店でいいよ」
時々向けられる好奇の視線に耐えられなくなり、前を歩く背中に声をかけた。
『行ってみたい店があるんだ』と珍しく徹が誘うからおとなしくついてきたが、進めば進むだけ怪しさが増していくじゃないか。
「本当に大丈夫なのか?」
「ああ、普通のバーだよ」
「しかし、」
徹がここまでこだわるからにはきっと何かあるんだろうけれど、普段の俺たちには縁のなさそうな場所に見えるが・・・
「そんなに警戒するな。もう少しだから」
「ああ」
徹のことだから、心配はしていない。
普段行かないような店なら知り合いに会うこともないし、込み入った話を気兼ねなくするには好都合だ。
でもなあ、
「何があるんだよ。まずはそれを聞かせろ」
それだけ言って、俺は足を止めた。
普段淡々としている徹が、これだけ推すんだからきっと何かあるんだろう。それが知りたい。
***
立ち止まり、
「うーん」
困ったように振り返った徹。
「深い意味はないんだ。ただ、」
「ただ?」
「お前に見せたい人がいる」
「見せたい?」
会わせたいじゃなくて、見せたい。
「ちょっとした知り合いなんだ。向こうは俺のこと覚えているかどうかもわからないけれど、」
フーン。
何か特殊な才能を持った人物とか、うちの会社にヘッドハンティングしたい奴とか、そういうことだろうか。
まあ、徹が勧めるからには間違いはないだろう。
「すげー美人なんだ」
「はああ?」
随分間の抜けた声を出した。
「女?」
「ああ」
「美人?」
ウンウンと頷く徹。
「俺たちは女の顔を見にこんな裏通りまできたのか?」
「ああ」
ああって、冗談だろ。
「お前の彼女ってことでは」
「ないな。今は仕事が忙しくて、そんな暇はない」
だよな。
じゃあ、なぜ今ここに?
「お前、何を企んでる?」
「何も企んでなんかいない。とにかく美人だから、見て損はない。それに、こんな所までこなきゃお前とゆっくり飲めないじゃないか」
「それはまあ」
一理あるが。
いくら幼なじみとは言え、会社の入れば俺は社長も息子で徹は社長秘書。
むやみに親しげな行動はとれないからな。
「俺が戻ってきて、働きにくいのか?」
以前から多少気になっていたことを口にしてみる。
「バカ、んな訳あるか」
一蹴された。
そうだな。お前はそんな奴じゃない。
社内では社長の腹心と言われ、アメリカ帰りの息子よりよっぽど信用も力もを持っているんだからな。
じゃあなぜ?
***
香山徹。27歳。
俺とは子供の頃から一緒に育った幼なじみだ。
元々は父さんの親友の息子で、徹のおやじさんも会社を経営していた。
父さんみたいな働き蜂ではなく、家族を大切にする優しい人だった。
夏になれば海水浴、冬にはスキー、どれも徹のおやじさんが連れて行ってくれた。俺は、徹がうらやましかった。
クリスマスも誕生日も仕事優先で、約束を守らないうちの父さんより好きだった。
しかし、俺たちが小学5年の頃。状況が一変する。
徹のおやじさんの会社が倒産したのだ。
実際は少し前から経営が傾いて、父さんも加わって必死に立て直しを図ったようだが、どうしようもなかった。
そして、倒産から1ヶ月後徹のおやじさんが亡くなった。
交通事故だった。疲れがたまっていたおやじさんの居眠り運転と聞かされたが、実際の所はわからない。
葬式の日、俺は初めて父さんが泣いている姿を見た。
それだけ、無念で悔しかったんだと思う。
追い打ちをかけるように、病弱だったおばさんが入退院をを繰り返すようになり、半年後には亡くなってしまった。
小学生の徹は、ひとりぼっちになってしまった。
親戚も何人かいたが、誰も引き取るとは言わなかった。
まあ、会社が倒産した時点で親戚からも疎遠になっていたから、しかたがないようにも思えるが。最終的に、父さんがうちに引き取った。
結果、小学5年の終わりから中学卒業までを同じ家で育った。
勉強をするのも2人、遊ぶのも2人、いたずらをして母さんに叱られるのもいつも徹と一緒だった。
俺が大きな反抗期を向かえることもなく、真っ直ぐに育つことができたのは徹がいてくれたお陰だと思う。
だから、俺たちは兄弟みたいな存在なんだ。
***
カランカラン。
狭い路地を進んだ先の小さなドアを開け、俺たちは店の中へと入った。
「いらっしゃいませ」
出迎えてくれたのは50代くらいに見えるママ。
「どうぞ」
勧められて座ったカウンター席も決して広くはない。
「えっと、俺はビール」
「俺も」
二人して飲み物を注文し、グルッと店の中を見回す。
あ、いた。
店の奥の方に1人、若い女性。とは言っても、席から見えるのは後ろ姿だけ。
身長は165センチくらいだろうか、すらっと細身で、引き締まった足首。
だからと言ってただ細いわけではなく、ほどよく筋肉のついたいい体をしている。
この薄暗い店内でもわかるくらいに色白で、緩やかにウエーブの入ったライトブラウンの長い髪が時々揺れている。
確かに、徹が「一見の価値がある」と言うのがよくわかる。
後ろ姿だけでこんなに目を引くなんて。こうなったら顔を見てみたい。
素直に、そう思った。
俺だって、今までには何人かの女性と付き合ってきた。
本気で好きになったこともあるし、手放したくないと思った女性だっていた。
しかし、自分から好きになったことはなかったように思う。
好きになられて、告白されて、交際がスタートする。それがパターンだった。
自慢するわけではないが、俺はそこそこモテる。
無愛想で、取っつきにくいと言われることはあるが、目鼻立ちははっきりしているし、身長だって185センチ越で、スポーツも音楽も何でもそつなくこなし、仕事だって総合商社の御曹司で専務取締役。
飲み会に行けば女性に囲まれることだって珍しくない。
その俺が、第一印象でこれだけ興味をもった女性は初めてだ。
「麗子」
ママが声をかけ、
「はーい」
女性が振り返った。
その瞬間、
ハッ。
俺は息をするのを忘れた。
カウンターに近づいた彼女が料理を受け取り、テーブルに運んでいくのを俺はただジーッと見ていた。
瞬きさえしていなかったと思う。
うーん、確かに綺麗だ。
目はクッキリとした二重。スーッと通った鼻筋、存在感のある唇は日本人離れしてセクシーに見えるのに、額と頬のラインはいかにも日本人らしく涼やか。
きっと化粧もそんなにはしていないんだろう。リップさえ付けていないように見える。
しかし、10メートル先からでも目を引く美しさがそこにはあった。
***
「おい、口が開いてるぞ」
ニタニタしながら、徹が俺を見ている。
「ああ」
間抜けにも口を開けて彼女に見入ってしまった。
「良かったよ」
ん?
「何が?」
「お前がただの男だってわかってホッとした」
「どういう意味だよ」
ムッとしながら2杯目のビールを開けると、徹は愉快そうに笑っていた。
なんだか徹の術中にはまったようで面白くないが、あほ面をさらしたのは自分自身である以上どうしようもない。
「美人だろ?」
「ああ」
綺麗すぎて現実味がない。
まるで作り物みたいだ。
「知り合いなのか?」
「ああ、高校時代にな」
ふーん。
確かに、1度見たら忘れられないかもしれない。
きっと記憶に残るんだろうな。
「1ヶ月ほど前にたまたま見かけたんだ。元々綺麗な奴だとは思っていたが、正直驚いた。この俺が、なりふり構わず勤め先を調べてしまうくらいに興味を引かれた」
ククク。
バカだろうと笑ってみせる徹。
「らしくはないな」
いつも冷静で、あまり感情を出さない徹にしては珍しい。
もしかして、こいつは彼女が好きなのか?もしそうでも不思議ではないが、
「オイ、誤解するなよ」
「え?」
1人妄想を膨らませている俺を徹が睨んでいる。
誤解、なのか?
「さすがにあそこまで目立つ奴とどうこうなろうなんて思わない。ただ、珍しいものを見つけたから親友のお前に見せたい。そんな感じかな」
「へー」
「驚いただろ?」
「まあな」
目の保養にはなるし、誰かに言いたい気持ちもわかる。
「お客さん、初めてですよね?」
徹と2人話している俺にママが声をかけてきた。
「ええ」
乾き物のつまみに手を伸ばしながら、ママの顔を見る。
うん、美人だ。
年齢的には母さんと同じくらいだろうか、どう見ても親世代ではあるが、綺麗な人に違いはない。
きっと彼女の母親だろう。
目元と輪郭がよく似ている。
「麗子がお目当てですか?」
「え?」
グラスを持つ手が止った。
「いえね、うちに来る初めてのお客さんは、ほとんどが麗子目当てだから」
ふーん。
男はみんな同じってことか。悲しい性だな。
世の中の男を代表して恥ずかしい気分になった。
***
その時、
バンッ。
大きな音をたてて開けられた店のドア。
ん?
当然、視線は入ってきた人物に集中する。
「いらっしゃい」
声をかけようとしたママを無視して、彼女に近づく女。
ちょっと派手な化粧の若い女が店の中を横切っていく。
何?どうした?
店にいた客はみんなそう思っていたと思う。
でも誰も、声をかけることができなかった。
「あんたっ」
外見からは想像できない声を上げた女が彼女の前まで行き、
バンッ。
いきなり平手を見舞った。
「何を」
するのよと言いかけた彼女に、
バンッ。
もう一度手を振り下ろした女。
「この泥棒猫。ちょっと綺麗だからっていい気になるんじゃないわよ。彼はね、遊びまくっているあんたとは違うの。ちょっかいを出さないでちょうだいっ」
キーンと響く高音が店内にこだまする。
さあこの状況をどう納めるのか。
意外なほど冷静な俺は、頬を赤くした彼女を見ていた。
「もういい?」
冷たい目で、言い放った彼女。
「え?」
目を丸くする女。
「気が済んだなら帰って」
「あなた・・・」
悔しそうに唇を噛みながら、それでも彼女を睨み続ける。
「何をどう思ったのか知らないけれど、ここで騒がれるのは営業妨害だわ」
あくまでも落ち着いた声。
すごいな、全く動揺しているように見えない。
「ふざけるんじゃないわよ」
パシャッ。
女が近くにあったグラスの中身を彼女にかけた。
「・・・」
それでも無反応な彼女。
さすがにここまで来ると、自分が劣勢なのは女にも分かったらしい。
「今度やったら許さないからっ」
捨て台詞を吐いて、女は店を出て行った。
***
「なんなんだ一体」
思わず口をついて出た。
随分な修羅場だったなあ。
「昔から、良くも悪くも目立つからなあ」
と、徹の呟き。
確かに、そうなんだろうが・・・
「お客さん、すみません」
ママが謝り、頼みもしないのに飲み物をかえてくれた。
彼女は一旦店の奥に消えた後、10分ほどで着替えて出てきた。
きっと顔を洗ったんだろう、先ほどよりもさらに薄いメイクになり、髪も一つに結ばれている。
「すみません、お騒がせしました」
テーブルとカウンター席を周り頭を下げていく彼女。
「初めて来ていただいたのに、ごめんなさい」
俺たちの席まで来てにニコリ。
うーん、営業スマイルとは分かっていてもこんな風に微笑まれると悪い気分じゃない。
「俺たちは別に」
驚きはしたが、気にはしていない。
夜の町なんてそんなものだし。
アッ。
小さな呟きが彼女の口から漏れた。
視線は徹に向いているから、きっと徹のことを思い出したんだな。
しかし、
「どうぞごゆっくり」
彼女はそれ以上何も言わなかった。
連れもいてスーツ姿の徹に話しかけない方が良いと思ったらしい。
まあ、妥当な気遣いだ。
「声かけなくて良いのかよ」
徹の方に聞いてみた。
「ああ、ただの顔見知りだから」
「ふーん」
じゃあ何しに来たんだよと言いたくもなったが、やめておいた。
徹はただ俺とこの店に来たかった。
それでいい。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!