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再度の電子音。
手の中で機器を躍らせ、星歌は力の入らない指先で電話マークに触れる。
「ゆっ、行人……?」
「あのっ! 白川先生のお姉さ……星歌先生ですかっ?」
名前呼びで良いと言われたことを途中で思い出したのか、慌てて言い直したその声は、細くて高い女のものであった。
行人の声ではない。
全身が粟立ったのは、行人のスマートフォンから女が電話をかけてきているという事実に対する嫉妬の念であろうか。
「ああ……ケイちゃん、だよね」
ことさらにゆっくりと応答する。
『あのっ、白川先生の携帯をお借りして……。あのっ『姉』がアドレス帳の一番上にあったので』
「ああ、そうなんだ……」
あいつ、私のことを『姉』と登録していたのかと、頭の芯が痺れるように軋む。
「それで? 緊急の用事かな。私、仕事中なんだけど」
八つ当たりが半分、見栄を張ったのが半分。
ジトッっと見上げてくる翔太の視線が痛いのは事実。
しかし、電話の向こうのケイはあきらかに狼狽えたようだった。
『すみません……』
小さな声は、可哀想に消え入りそうに語尾が震えている。
「ご、ご……ご飯の時間までなら大丈夫だよ……」
『えっ?』
ごめん、という一言がどうしても口から出ず、苦しい誤魔化しの言葉を呟く。
ただ、ケイの方も焦りがあるようで、こちらの事情も心情にも構う余裕はないようだ。
『放課後になって、呉田先生が白川先生を連れて行ったんです。すぐ終わるって言ってたけど、不安で。白川先生、教卓にスマホ置きっぱなしにしてたから、とりあえず星歌先生には連絡しとこうと思って……』
「う、うん……」
分かったよ、としか答えようがない。
嫌な予感というモノを、電話のこちら側と向こう側で共有し、ふたりの女は通話を切った。
それにしてもあの子、星歌先生なんて呼んでいたな──余計な考えが脳裏をよぎるのは、現実を直視したくないためか。
「やっぱり天然だ、あの子」
ふと隣りを見ると、翔太の困ったような笑み。
ケイの声が漏れ聞こえていたのだろう。
事情は分かったと言いたげな表情だ。
「僕はできれば行かないでほしいんだけど。その、お店的にも」
「うん、バイト中にごめん……」
エプロンの紐を解くために背中に手を回しかけた格好のまま固まる星歌。
彼女の肩に翔太が頭を凭せかけたのだ。
「違う。店のことよりも、僕は星歌に行かないでほしいんだ」
エプロンのリボンの端を握っていた星歌の指は、パンを捏ねる分厚い手に絡めとられてしまった。
「星歌が僕のそばにいてくれたら嬉しいんだけど……駄目?」
小首を傾げた男に星歌は一瞬、目を閉じた。
「……ごめん。ダメ」
俯いた翔太の口元に、微かな笑みがのぼった。
「……んじゃ、今日は星歌は早退な。明日、遅刻すんなよ。おつかれっ!」
反射的にお疲れさまと返しかけて、口ごもる星歌。
結局「ありがとう」と一言呟いて、店を後にした。