魔界の片隅、ネクロポリスの荒野にリゼリアの研究所はひっそりと佇んでいた。古びた石造りの建物でありながら、そこに満ちる魔力は異様なほど濃密で、まるでこの場所そのものがひとつの生きた魔術装置のようだった。
研究所の奥、魔力の封印が張り巡らされた部屋に、その少女は囚われていた。
レティシア・ルミエル。
聖なる力を纏い、人間界の勇者として生きてきた少女は、今や魔族の手に落ち、冷たい石の床の上に膝をついていた。両手は魔力を吸収する鎖によって壁に繋がれている。
それでも彼女の瞳は決して曇らない。
「……何のつもりなのですか」
扉の向こうから現れた白い髪のエルフを睨みつけながら、レティシアは問いかけた。
リゼリア・イヴェローザ。
魔界で名高いネクロマンサーであり、幾度となく勇者を蘇らせてきた存在。
「何のつもり、とは?」
リゼリアは微笑を浮かべながら、ゆっくりとレティシアの元へ歩み寄る。手には細長い杖を携えていたが、それを振るうことなく、ただじっと彼女を見下ろした。
「あなたのような魔族が、私をただ捕らえておくだけで済ませるとは思えません。殺すならさっさと殺しなさい」
「つまらないことを言うのね、レティシア・ルミエル」
リゼリアはかがみこみ、白く細い指でレティシアの顎を軽く持ち上げた。その肌は驚くほど冷たく、レティシアは思わず身を強張らせる。
「お前が何をしようとしていたのか、少し気になっていただけよ」
「……何?」
リゼリアはわずかに目を細め、今度は彼女の首元へと視線を移した。
そこには、奇妙な刻印が浮かび上がっていた。
「これは……面白いわね」
リゼリアの指が、刻印の縁をなぞる。まるで聖なる魔力と禁忌の魔術が絡み合ったような、奇妙な術式だった。
「お前はこれが何なのか理解しているの?」
レティシアは何も言わなかった。いや、言えなかった。
理解している。これは、かつて彼女が自らの身に刻み込んだものだ。
「……あなたには関係ありません」
「関係なくはないわ。これほどの魔術、しかも……おそらく古代のもの。普通の人間には扱えない代物よ」
リゼリアの目が妖しく輝く。
「お前はこの魔術を何のために用意したの?」
レティシアは唇を噛んだ。
語るつもりはない。
魔界を滅ぼすため。そのために刻んだ術式であることなど、魔族に知られてなるものか。
しかし——
(まさか、ここまで気づかれるなんて……)
レティシアは心の中で舌打ちをする。彼女は確かに用意を整えていた。しかし、まさかリゼリアに捕らえられるとは想定外だった。
「……心配しなくてもいいわ」
リゼリアはふっと微笑む。
「私が知りたいのは、ただ純粋な興味からよ。魔術というのは奥深いもの。これほど美しく、強大なものをただ無視するのは、研究者として勿体ないでしょう?」
「……ふざけないでください」
レティシアは睨みつけるが、リゼリアは気にも留めないようだった。
「いいわ、少し時間をかけて調べさせてもらう。そうすれば、お前が何をしようとしていたのかも見えてくるでしょうね」
リゼリアは立ち上がると、杖の先で軽く空間をなぞった。
すると、部屋の封印がさらに強化される。
「安心しなさい。すぐには殺さないから」
リゼリアは微笑みながら、部屋を後にした。
レティシアは静かに瞼を閉じる。
(まだ終わりではないわ……必ず、この手で……)
彼女の胸の奥で、決意の炎は静かに燃え続けていた。
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