テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
478
ぴぃや(?)
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
うだつの上がらない生活を送る女子専門学生、堂前瑠衣。服飾系の専門学校に進学し、親元を離れて一人暮らしをしている。築三十年のアパートに住み、日々バイトと学校の往復をするばかり。好きなことを学べる喜びで塗り潰していたが、瑠衣は心のどこかで刺激を求めていた。
ある土曜日のこと。この日はバイトもなく、瑠衣は久々の休日で羽を伸ばしていた。すると、古びた玄関のドアが三度ノックされる。瑠衣が覗き穴を覗くと、そこには見知らぬ男性が立っていた。
およそ二メートルほどあるであろう身長。長い長い紺色の髪の毛。神父のような服に身を包み、教典のようなものを持ち、目は閉じられている。
「今、お時間よろしいでしょうか?」
低く、響く声。にこやかだが有無を言わせない圧がある。瑠衣は咄嗟に理解した。これは“勧誘”だと。独り立ちをする前に母親から口酸っぱく言われたことだ。怪しい人物が来ても応じるなと。わかっている。そんなこと。わかっているはずなのに───
「ああ、ありがとうございます。」
瑠衣は無意識に玄関のドアを開けた。何が彼女をそうさせたのか。気が遠くなるほどの退屈は時に人を正気で無くす。ドアを開けると、男は胸に右手を当てて微笑んでいる。
「突然押しかけてしまって申し訳ありません。私は友愛の会という団体のアネモネと申します。」
アネモネと名乗るその男は、どうやらとある宗教団体の代表者だと言う。孤独を抱える人々が集まり支え合う、そんな理念を掲げているとのこと。瑠衣はぼんやりと聞いていた。教典をぱらぱらとめくったり、集会の時の写真を見せたり。十分ほどアネモネの話は続いた。
「さて、如何でしょうか。一度我々の集会に足を運んでみませんか?」
アネモネは話を切り上げようとしている。瑠衣はまたそれをぼんやりと眺めていた。
刺激がない。瑠衣はアネモネの話を聞いてそう思った。孤独を埋め合う。大層なことだ。この冷え切った現代社会においていいことだとは思う。しかしそうではない。瑠衣が求めるのはもっと気の狂ったような刺激だった。日常では絶対に体験しないであろうこと。瑠衣にとってアネモネの話は日常のひとかけらでしかない。
「……間に合ってます」
瑠衣はそれだけ言ってドアを閉じようとした。アネモネが口を挟む間もなく。しかしドアが閉じる直前、アネモネはその閉じていた瞼を持ち上げ、目を細めて瑠衣に微笑みかけた。横長の瞳孔、緑の瞳。形容し難い不気味さをその瞳は抱えていた。そして、ドアが閉じる。瑠衣は鍵をかけた。低い足音が遠ざかっていく。一瞬だけ顔をもたげた非日常。しかしドアを閉じて仕舞えばすぐに遠ざかっていった。
数日が経っても、瑠衣はその瞳を忘れられずにいた。創作をするために多くの知識を抱える瑠衣にとって、あの瞳に心当たりがある。
悪魔だ。
あの山羊のような瞳は悪魔を彷彿とさせる。ずっと見つめていると、取り込まれてしまうような瞳。今思えば、アネモネの風貌は只者ではないだろう。二メートルの身長、腰まで届く紺色の髪の毛、貼り付けたような笑顔。まるで、本当に───
そこで瑠衣は正気に戻った。狭い銀色の浴槽の中で妄想に耽り過ぎていた。まさか、悪魔なんているわけが無い。ましてや瑠衣の元に。退屈が人を正気で無くすのはどうやら本当のようだった。瑠衣はのぼせる前に風呂から上がり、寝る支度を始めた。
こん、こん、こん。
あの日と同じ、三度のノック。瑠衣はその扉の向こうに何がいるのかを本能的に理解した。
「こんばんは。いい夜ですね、瑠衣さん。」
薄いドア越しのくぐもった、低く響く声。数日前よりもどこか、粘着質な何かを感じる。またしても瑠衣の本能が反応した。出てはいけない、と。思えばあの日退屈凌ぎでドアを開けてしまったこと、後悔し始めた。だがもう遅い。“それ”は一枚の貧弱な扉を隔ててすぐそこにいるのだから。
「すみません、開けていただけませんか?どうしてもお話ししておきたいことがありまして……」
声こそ申し訳なさそうだが、ドアをカリカリと爪か何かで引っ掻く音がはっきりと聞こえた。嫌な音が、部屋の骨組みを伝い瑠衣の元まで届く。瑠衣はベッドの上で布団を被り震える事しかできなかった。
「……出てくださらないのですか?」
構ってもらえない子犬のような声。悲しみを帯びている。しかし今の瑠衣にはそれに同情できるような心の余裕がない。必死だった。これから何が起きるのかすらわからない。自分の一番安心できる家にいるはずなのに、真っ暗な道に放り出されたようだった。
「そうですか。では、今日のところは……」
アネモネが言い淀んだ。何かを見つけたようだった。
「瑠衣さん、戸締り、しましょうね。」
瑠衣の背筋が凍った。まさかこんな時に限って。ばっとドアの方を見ると、ドアノブがゆっくりと回され始めた。
「一人暮らしなのですから、しっかりと防犯対策はしていただかないと。」
真っ当なことを言いながら、ドアが開いていく。
「悪い存在に魅入られてしまいますよ?」
ドアが完全に開き、来訪者の姿が月明かりに照らされた。
「特に……私のような、悪魔にね。」
額から、曲がりくねった角が伸びている。刺々しい、凶器のような角。山羊や羊のそれとはまた違う、完全に超常的な存在のものだった。そしてアネモネの背後から、ゆらりと揺れる何かが現れた。尻尾だった。金色でしなやかな形。鱗のような紋様が付いている。瑠衣の妄想は、どうやら現実となった。