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子供頃読んだおとぎ話の中で、『王子様とお姫様は結ばれ幸せに暮らしました』で終わるのを見て、この先はどうなるんだろうと思った。
好きな人と結ばれてパッピーエンドで終われるなら、それが一番幸せ。
そんなこと誰でもわかっている。おとぎ話の世界ではきっとそれでいいんだろうとも思う。
でも現実の世界はその先も続くわけで、めでたしめでたしって訳にはいかない。
だから、私は眠ってしまったのかもしれない。
あの日、あの時まで、間違いなく私は幸せだった。
生まれて初めてこの人のために命を落としてもいいと思える人と出会い、彼もまた私を愛してくれていることがわかった。
この人がいれば他には何もいらないと願った。
同時に、私といることで彼が何かを失わなければならないことを、知ってしまった。
あの雨の中、走り出したのは一種の自殺行為。
このままいなくなってもいいと、思っていた。
「乃恵、朝だぞ」
今日もまた、遠くの方から徹の声が聞こえる。
この声に応えて目覚めたら、私は徹のもとに戻れる。
分かっていてもまだ、私は微睡の中にいた。
***
こうして眠っていれば、辛いことも苦しいこともない。
記憶も幸せだった時のまま。ずっと思い出の中にいられる。
「乃恵」
遠くの方から私を呼ぶ声がした。
これは、お兄ちゃんの声。
「乃恵ちゃん」
今度は、心配そうな麗子さんの声。
「乃恵ちゃん」
この声は、山神先生。
「長谷川、いい加減目を覚ましなさい」
これは先輩の、馬場先生。
「乃恵」
雪菜ちゃんの涙声も。
そうか、みんな心配してくれているんだ。
「乃恵、戻ってこい」
徹?
「お願いだから、戻ってこい。俺を1人にするな」
それは徹の苦しそうな声。
そうだ、私には待っていてくれる人たちがいる。
私のことを心配してくれる人たちが。
だから、まだ死ねない。
たとえ子供を生めなくても、仕事ができなくても、寝たきりになっても、生きたい。
死にたくない。
みんなに会いたい。
そして、
誰よりも徹に会いたい。
「乃恵」
「乃恵ちゃん」
「長谷川」
先のない暗闇の中で、私を呼ぶ声だけが耳に届く。
この声たちが、まだ死ぬんじゃないと言っている。
***
微睡の中、それでも私は生きている。
今は何も見えず、何も感じない。
ただ、私を呼ぶ声だけが聞こえてくる。
「乃恵、今日はとってもいい天気だぞ」
耳元でささやく徹さん。
「乃恵が目覚めたら、一緒に散歩に行こう。ゆっくりでいいから落ち葉を踏みしめて二人で歩こう。おしゃれなカフェなんて俺の柄じゃあないけれど、乃恵と一緒なら入ってみたい」
そうね。徹とお散歩、私もしたい。
「冬になったらこたつを出して、ゆっくり過ごそう。そうだ、高校の頃陣たちと通った焼き芋屋が凄く旨いんだ。俺が買ってくるから、一緒に食べよう」
焼き芋かあ、そういえば子供のころお兄ちゃんと食べた記憶がある。
「春になったら、花見だな。仕事柄都内の桜スポットはたいてい把握しているから、最高の花見に連れて行ってやる」
お花見、行きたい。
その時は私がお弁当を作るわ。
「夏になったら、花火を見に行こう。海もいいなあ、乃恵はプールのほうが好きかなあ?それに、山へ行きたい」
山?
「俺、大学時代ワンゲル部にいたんだ。夏のキャンプはいいぞ、いつか乃恵と二人で行きたいな」
アウトドアなんて、徹のイメージとずいぶん違う。
でも、いいな。行ってみたい。
***
「乃恵、戻ってこい」
日に何度も聞こえてくる徹の声。
私は何も答えることはできないけれど、思いはひしひしと伝わってきていた。
「山神先生、何で乃恵は目を覚まさないんでしょうか?」
「それは、わかりません」
こんな時も簡単に気休めの言葉を使わない山神先生が、私は好きだ。
たとえ子供相手でも、先生は嘘を言わないから。
「このままずっと、眠ったままなんて事は?」
「それも、わかりません」
「そうですか」
明らかに、声のトーンを落とす徹。
彼の辛い気持ちと苦しい胸の内が、手に取るようにわかる。
ごめんなさい。
できることなら口に出して言いたいけれど、今はまだ指一本動かない。
「大丈夫ですよ、彼女は強い子です。長いこと見てきた僕が言うんだから間違いありません。これまで随分と無理をして頑張ってきましたから、今は少し休息をとっているんですよ。彼女の意思で目覚めるまで待ってやりましょう」
「・・・はい」
私だって、徹のもとに帰りたい。
生きたい気持ちも日に日に強くなっている。
もう少ししたら、きっと徹に会える。
お願い、もう少し待っていて。