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乃恵が倒れて2ヶ月。


俺は相変わらず、乃恵の付き添いを続けていた。

まあ病室とはいっても、さすが特別室だけあって付き添い用の仮眠室もシャワールームもあり不便を感じることはない。


そして、陣もほぼ毎日やってくる。


俺のことは完全無視だが、病室から追い出そうとはしなくなった。

陣がやってくると俺のほうが病室を出て、1時間ほど時間をつぶす。


中庭のベンチに座ったり、屋上に出てみたり、時には山神先生の医局でコーヒーをごちそうになるときもある。



「珍しいコーヒー豆を手に入れたんです。よかったらどうぞ」


この日も、廊下で山神先生に出会い、医局に誘われた。


「いつもすみません」


生活圏がこの病院の中だけになってしまった俺は他に行く当てもなく、ずうずうしくも着いてきてしまった。


「家内がアフリカで買ってきた豆なんです。少し癖がありますが、すっきりとさわやかな飲みご心地です。さあどうぞ」


大き目のマグカップに入れられた琥珀色の液体。

柔らかな湯気と独特の香りを放つその飲み物を、俺は一口流し込んだ。


***


「美味しいです」


嘘ではなく、本当にうまい。

確かに癖があって、普段飲むコーヒーとはまるで違う飲み物だ。


「よかった、そう言ってくれるのは香山さんだけです。買ってきた家内も、娘も、『マズッ』の一言で終わりです」


へえー、俺はわりと好きだけれどな。


「大体、この酸味があってさわやかなコーヒーにミルクと砂糖をドボドボと入れて、旨いはずがないのに」


「ええぇー」

思わず声が出た。


それはダメだ。

そんなことしたら、このコーヒーのおいしさが死んでしまう。


「普段は、無添加だ、有機食材だとやかましく言っているくせに、興味がないものには無頓着になれる。女って矛盾した生き物ですね」


「ええ、まあ、そうですね」


まさか山神先生から『女って』なんて言葉が聞ける日が来るとは思っていなかった。


もちろん先生が結婚していることは知っていたし、奥様が有名女優さんだってことも承知している。

でも、そんなことをわざわざ話すような人でもないから、今まで聞いたこともなかった。


「不思議でしょ?」


え?

心の中を見透かされたようで、焦りが顔に出てしまった。


***


「病院で家の話をすることはめったにないんです。ここにいる子供たちのほとんどが家族と離れてさみしい思いをしていますから、できるだけ私生活は出さないようにしています」

「はあ」

なるほど。


これも医者ならではの配慮ってことか。


「なんてね、本当は自分のことを話すのが好きではないんです。楽しいことは人に話さずに、1人でニタニタと笑っていたい。要は陰湿な人間です」

「そんなぁ」


物静かで多くを語らず、生活感がないのは認めるが、陰湿な人間とは違う気がする。

どちらかというと、どっしりと構え、すべてを飲み込むような度量の大きさを感じる。


「僕たち、似てますよね」

「え?」


一瞬、言われたことが理解できなかった。


「すみません、失礼でしたね」

「いえ」


そんなことはない。

かえって光栄だと思う。


人当たりがよくて、穏やかで、小児科医の鏡みたいな人だ。

似ているといわれてうれしくないはずはない。

でも、


「似ていませんよ。僕は冷酷な人間ですから」

「そうですか?」

「ええ」


「じゃあ聞きますが、目の前にケーキがあるとして、その中で一番好きなケーキは自分のお皿に入れますか?それともお客さんのお皿に入れますか?」

「それは、」


「僕だったら、好きなものはまず隠しておいて、残りを『お好きなものをどうぞ』って出すと思います」


ウッ。

息を飲み込んでしまった。


***


「どうです?」

俺の顔を覗き込む山神先生。


「同じです」

素直に認めた。


「僕もね、いろいろ言われるんですよ。家内は有名人だし、破天荒な恋多き女だそうですからね。娘も母親に似てわがままで、僕と10歳ほどしか年が変わらないんです」

「へえー」


確か奥さんは3度目の結婚で、年も随分上だったはず。

娘さんは前の旦那さんとの子ってわけだ。


「でもね、僕は家内と娘を愛しています。二人の良さは僕だけが知っていればいいんです」

「そうですね」


「すみません、説教臭くなりましたね。どうぞコーヒーのお代わりを」


席を立ちコーヒーのお代わりを継いでくれる山神先生。


「ありがとうございます.」


「たとえこのコーヒーでカフェオレを作ってしまうような女でも、僕にとって大切な人です」

「ええ」


たとえベットの上で眠ったままでも、俺にとって乃恵はかけがえのない人。


「先生、ごちそうさまでした」

「いえ、お粗末様でした。ああ、そうだ。これ、よかったら持って行ってください」


紙袋いっぱいに詰まった本を差し出された。


不思議なことに、俺と山神先生は音楽や本、食べ物の好みが凄く似ていた。


「家にあったものですが、時間つぶしにはなると思います」

「ありがとうございます」


***


この2か月で俺の読書量は異常に多くなった。


仕事にも行かず、テレビも見ず、乃恵に周囲にある医療機器に配慮して携帯もパソコンも使ってない。

ただ乃恵の横に座り、一日を過ごす。

そんな生活の中で、多い日には一日数冊の本でしまう時もある。


「本の山が日に日に大きくなるね。そのうち本に埋もれてしまいそうだ」

乃恵の診察に来た山神先生の楽しそうな顔。


「先生がたくさん貸してくださったんじゃないいですか」

「そうだっけ?」


そうだっけって。

毎日のように持って来てくれるから、どんどん増えるんじゃないか。


「香山さんとは、趣味が合うからつい楽しくなってしまって。迷惑だった?」

「いえ」


そんなことはない。

先生のおすすめは、俺の好みにピッタリだし。

いい気分転換になる。


「本ばっかり読んでないでたまには外に出たらいいじゃないですか」

一緒に来ていた看護師が不思議そうな顔をした。


「そうですね」

答えてはみたが、乃恵の側を離れるつもりはない。


いい加減このままでいいとは思っていないんだが・・・


その時、

トントン。

病室のドアをノックする音がした。


***


はじめは陣が来たのかと思った。

しかし、いつも遅い時間に来る陣にしては登場が早くておかしい。


じゃあ、麗子?

いや、今朝来たばかりだからそれもない。


きっと、乃恵の同僚が顔を見に来てくれたんだろう。

なんだかんだ言って、みんな乃恵のことを心配しているんだ。


「はい」


部屋の入り口まで行った俺が手をかけるのと、廊下側からドアを開けるのが同じタイミングになった。


「おじゃまします」


それは俺のよく知る声。


嘘、だろ。

なんで・・・


病室に入ってきたのは社長だった。


「ああ、鈴木さん。こんにちは」

どうやら知り合いらしい山神先生が挨拶を交わし病室を出てく。


結局、俺と社長の2人が乃恵の病室に残されてしまった。


「少し話せるか?」

病室に置かれたソファーに腰かけ俺を見る社長。


「はい」

断る理由のない俺は、向かい合って腰を下ろした。



***


「乃恵さんの具合は、どうなんだ?」


窓際のベットに横になる乃恵を見ながら、心配そうな顔をする社長。


「特に、変わりありません」


良くも悪くも変化がない。


「そろそろ2ヶ月だな」

「ええ」


長いようでいて、あっという間だった。

乃恵が眠り続ける時間は辛いものではあったけれど、俺にとっては幸せを感じる時でもあった。

今まで常に前だけを見て必死に生きてきた俺にとって始めれ過ごす穏やかな時間。

正直言うと、もう少しこのままでいたい気もしている。


「目覚める可能性はないのか?」

「え?」


「お前だって、このままの生活が続けられると思っているわけじゃないだろう?」

「それは」


俺も頭では理解している。

闘病生活が長くなれば、いつか先のことを考えないといけない時が来る。

分かってはいるんだが・・・


「お前が本当に望むなら、5年でも10年でも、このままでいされてもいい。お前が1人仕事をせずに生きていくくらいの資産はある。でも、それがお前の望みか?」

「・・・」

答えに詰まってしまった。


***


「乃恵さんが、それを望んでいると思うか?」


「いえ」


おそらく乃恵なら、『私はいいから自分らしく生きて』というだろう。

自分のために俺の生活を犠牲にするなんて絶対反対したはずだ。

そういうところで気が強くて、頑なな女だった。


「あと1か月、長期休暇の扱いにする。その間に気持ちを整理して出社しろ」

「しかし」


俺は社長を裏切り、仕事を投げ出し、逃げ出した人間だ。

今更鈴森商事に戻れるはずが、


「自分で蒔いた種だ。どれだけ揶揄されても、居づらくても、覚悟して戻って来い」

「社長」


「お前は俺の息子だ。生意気で可愛げがないが、俺は手放すつもりはない。さすがに浅井コンツェルンのようによその会社を潰してまで取り戻そうとは思わないが、もしうちを出ていくというなら本気で妨害するぞ。俺にもまだそのくらいの力はあるからな」

そういうと、不敵に笑って見せた社長。


これは本気の顔だ。



***


社長の提案に対して、俺は答えを出せなかった。

でも、従うしかないんだろう。

それだけの恩が社長にはあるし、言われることももっともだと思えた。



「乃恵さん」


30分ほど滞在した社長が、帰り際乃恵のベットに歩み寄った。


「みんなが待っているからね」


そっと手を重ね語り掛ける口調はとても優しくて、少し驚いた

仕事一筋で親としての顔など見せたことのない社長も、こんな顔をするんだな。


乃恵、戻って来い。

陣も、麗子も、山神先生も、雪菜ちゃんも、スタッフのみんなも、もちろん俺も待っているから。



「ありがとうございました」

病室の外へ見送る俺を、

「じゃあ、待っているぞ」

社長はもう一度念を押して帰っていった。




「仕事復帰かあぁ」

社長がいなくなった病室で、思わず声に出た。


いつかそんな日が来るとは思っていたが・・・


俺が素直に出社すれば、今回のことは長期休暇として不問に付す。

ぶち壊した見合いも、すでに社長が頭を下げてくれたらしく問題はない。

さすがに秘書課長としての勤務ってわけにはいかないら、役職は外して社長専任の秘書として勤務する。

来年春の起業話は白紙に戻すが、先々は海外勤務を含めて移動も考える。

それが社長の提示した条件。

きっと、俺は従うしかないんだろうな。

切ないほど愛おしい

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