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深夜二時。
オフィスの蛍光灯だけが、白く静かに机を照らしていた。
「……まだやってるのか」
低い声に、日本は肩を揺らした。
振り返れば、扉のところに日帝が立っている。軍帽は被っていない。片手に湯気の立つ湯呑みを持っていた。
「兄さん……起きてたんですか」
「お前が部屋に戻らん」
それだけ言って、日帝は机に湯呑みを置く。
緑茶の香りがふわりと広がった。
「……また栄養剤ばかり飲んでいたな」
「効率はいいので」
「馬鹿を言うな」
ぴしゃりと返され、日本は苦笑する。
こういう時、兄は妙に鋭い。
隠しているつもりでも、寝不足も疲労も全部見抜かれる。
「終わるまでやろうと思ってたんです」
「で、倒れる気か」
「倒れませんよ」
「その台詞を言う時のお前は大抵危うい」
淡々とした声だった。
怒鳴るわけでもない。責めるわけでもない。
ただ事実を述べているだけ。
それなのに、日本は少しだけ視線を逸らした。
「……兄さんだって昔、似たようなことしてたでしょう」
「だから言っている」
即答だった。
「無理を続ける癖は、治らん。気付いた時には身体が壊れる」
日帝は日本の机の書類をぱらりとめくる。
数秒眺めてから、当然のように椅子を引いた。
「半分寄越せ」
「え」
「聞こえなかったか」
「いや、でも……」
「一人で抱えるな」
日本は目を瞬いた。
兄は昔からこうだ。
言葉は少ないくせに、行動だけは早い。
不器用で、命令みたいな口調で、でも放っておかない。
「……兄さん」
「なんだ」
「ありがとうございます」
日帝は少しだけ眉を寄せた。
「礼を言う暇があるなら手を動かせ」
「はいはい」
日本が小さく笑う。
その声を聞いて、日帝は湯呑みを口元へ運んだ。
少し熱かったのか、わずかに目を細める。
日本はそれを見て、ふっと吹き出した。
「……何がおかしい」
「いえ。兄さん、自分も冷まさず飲んでるなって」
「…………」
数秒の沈黙。
それから日帝は視線を逸らし、小さく舌打ちした。
「……似たようなものだな、私達は」
結局。
二人とも仕事が片付いたのは、空が白み始めた頃だった。
窓の外では、始発前の街が静かに眠っている。
「……終わりましたね」
日本が背伸びをすると、骨が小さく鳴った。
日帝は最後の書類へ目を通しながら、短く息を吐く。
「お前、今日は休め」
「え」
「どうせまた“平気です”と言うつもりだろうが、駄目だ」
ぴしゃりと言い切られ、日本は苦笑した。
「兄さん、最近ちょっと過保護じゃないですか?」
「昔より無茶を隠すのが上手くなった。面倒だ」
「褒めてませんよね、それ」
「褒めていない」
即答だった。
日本は小さく肩を竦める。
こういう所、本当に変わらない。
言い方は硬いし、不器用だし、優しさを優しさらしく見せる気がまるでない。
けれど。
誰よりちゃんと見ている。
「……兄さん」
「何だ」
「昔、風邪ひいた時のこと覚えてます?」
日帝の手が止まった。
「……ああ」
「すごい形のおにぎり、作ってくれましたよね」
「忘れろ」
「無理ですよ。梅干しが横から飛び出してました」
「お前、熱で寝ていた癖によく覚えているな」
「兄さんが妙に真剣だったので」
日本はくすくす笑う。
あの日の兄は、本当に不器用だった。
米は潰れ、形は歪で、海苔の巻き方も雑だった。
それでも。
あの頃の日本には、それが少し嬉しかった。
「……この前、私も作ったんですよ」
「何をだ」
「おにぎり」
日本は鞄から、小さな包みを取り出した。
「徹夜付き合わせちゃいましたし」
開けば、綺麗な三角のおにぎりが二つ。
日帝は数秒黙ったまま、それを見つめる。
「……随分まともになったな」
「誰かさんのおかげで」
「私はあんなに綺麗に作っていない」
「でも、兄さんが最初に作ってくれたから覚えたんです」
静かな沈黙が落ちた。
日帝は視線を逸らし、小さく息を吐く。
「……お前は、妙な所で昔を持ち出す」
「嫌でした?」
「いや」
その返事は、思ったより早かった。
日本は少しだけ目を丸くする。
日帝は包みを受け取り、まだ少し温かいおにぎりを見下ろした。
「……悪くない」
ぼそりと落ちた声は、どこか柔らかかった。
日本はそれを聞いて、小さく笑う。
窓の外では、朝日がゆっくり昇り始めていた。
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