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昼過ぎ。
珍しく、日本は自室の布団へ埋まっていた。
カーテンの隙間から春の日差しが差し込んでいる。机の上には、昨夜の書類がそのまま積まれていた。
「……っ、」
喉が痛い。
頭も重い。
日本は薄く目を開けて、天井を見つめた。
――ああ、やってしまった。
徹夜明けに少し休むつもりが、そのまま熱を出したらしい。
スマートフォンへ手を伸ばそうとした瞬間、部屋の扉が開く。
「起きたか」
低い声。
日本はぎくりと肩を揺らした。
「……兄さん」
日帝は湯気の立つ盆を持って立っていた。
お粥、湯呑み、濡れた布。妙に準備がいい。
「顔色が悪いと思えば。だから言った」
「すみません……」
「謝る暇があるなら寝ていろ」
いつもの硬い声だった。
けれど、日帝は自然な手付きで額へ触れる。
「熱は昨日より下がったな」
「昨日……?」
「覚えていないのか」
日帝は呆れたように息を吐いた。
「お前、朝方そのまま机で寝ていた」
日本は記憶を辿る。
確か、少しだけ休もうと思って――そこから先が曖昧だ。
「運ぶの、結構大変だったんだぞ」
「……え」
「お前、見た目より重い」
「兄さん、その言い方」
「事実だ」
日本は布団へ顔を埋めた。
熱のせいだけではなく、少し恥ずかしい。
日帝はそんな弟を横目に、お粥を机へ置く。
「食えるか」
「……少しなら」
「なら食え」
相変わらず命令みたいな口調。
けれど、日本が起き上がる前に背へ手を回した。
支えられ、日本は目を瞬く。
「兄さん」
「何だ」
「慣れてます?」
「何がだ」
「看病」
数秒、沈黙。
日帝は視線を逸らした。
「……昔、お前がよく熱を出していた」
「あ」
「季節の変わり目になると倒れる。癖みたいにな」
日本は小さく笑った。
そういえば、昔から兄は妙に手際が良かった気がする。
薬の場所も、水の温度も、全部把握していた。
「兄さん、あの頃からずっと過保護ですよね」
「放置すると悪化する奴が悪い」
「理不尽……」
「理不尽ではない」
日帝はお粥の匙を手に取る。
「ほら」
「……自分で食べられますよ?」
「熱で手元が狂っている」
「子供じゃないんですが」
「知っている」
淡々と言いながら、匙は引っ込めない。
日本は少し困った顔をして、それから観念したように口を開いた。
「……いただきます」
日帝は静かにお粥を運ぶ。
その顔はいつも通り無表情に近い。
けれど。
日本がちゃんと飲み込むたび、ほんの少しだけ目元の力が抜けるのを、日本は知っていた。
「兄さん」
「何だ」
「嬉しそう」
「気のせいだ」
「口元、緩んでますよ」
「寝言は寝て言え」
即答だった。
だが日帝は、次の匙を妙に丁寧に冷ましてから差し出した。
結局、日本はそのまま三日ほど仕事を止められた。
――正確には、“止められてしまった”。
「兄さん、もう熱下がってます」
「駄目だ」
「でも今日締切の資料が」
「私がやった」
「えっ」
日本は布団の上で固まった。
日帝は机の書類を整えながら、当然のように続ける。
「ついでにメールも返しておいた」
「兄さん!?」
「お前、熱がある時まで敬語の長文を打つから読みにくい」
「そこまで!?」
「効率が悪い」
淡々と返され、日本は頭を抱えた。
この兄、本当に容赦がない。
だが。
自分が倒れている間、仕事が綺麗に回っていた事実に、日本は何も言い返せなかった。
「……兄さん、寝てました?」
「少しは」
「絶対少しじゃないですよね」
「問題ない」
その言い方で、日本は確信する。
この人、自分が倒れている間ずっと働いていた。
昔からそうだ。
誰かを守る時だけ、自分を雑に扱う。
「兄さん」
「何だ」
「こっち来てください」
日帝は怪訝そうに眉を寄せた。
「何故だ」
「いいから」
数秒黙ったあと、日帝は渋々ベッド脇へ来る。
その瞬間、日本は布団の端を持ち上げた。
「寝てください」
「断る」
「即答」
「私は平気だ」
「それ、私が言った時怒るやつですよね」
「…………」
沈黙。
日本はじっと兄を見る。
日帝は視線を逸らした。
「……兄さん」
「……何だ」
「隈、出来てます」
ぼそりと落ちた声。
日帝は無言のまま眉間を押さえた。
「お前の看病をしていただけだ」
「仕事もしてましたよね」
「ついでだ」
「絶対ついでじゃない」
日本は少し笑う。
こういう所、本当に変わらない。
自分の事になると雑なのに、他人の事になると妙に細かい。
「兄さん」
「まだ何かあるのか」
「ありがとうございます」
「……礼を言われる事ではない」
「でも、嬉しかったので」
静かな沈黙が落ちた。
日帝は何か言おうとして、結局言葉を飲み込む。
その代わり。
「……少しだけだ」
「え?」
「横になるのは、少しだけだからな」
そう言って、日帝はベッドの端へ腰掛けた。
日本はふっと笑う。
「兄さん」
「何だ」
「そこじゃなくて、ちゃんと入ってください」
「狭い」
「昔、私が熱出した時、兄さんから抱え込んでましたよ」
「……覚えているのか」
「兄さん、結構過保護でしたから」
日帝は小さく舌打ちした。
だが最終的には、諦めたように布団へ入る。
日本は満足そうに目を細めた。
「ほら、あったかいでしょう」
「……お前、熱い」
「兄さんもです」
そう言うと、日本は少しだけ兄の肩へ寄りかかった。
日帝は最初こそ何か言いたげだったが、結局押し返さない。
しばらくして。
「……日本」
「はい?」
「次からは、倒れる前に休め」
低い声だった。
命令みたいな口調なのに、どこか疲れていて。
日本は小さく笑う。
「兄さんもですよ」
「私は――」
「“平気だ”は禁止です」
先回りされ、日帝は口を閉ざした。
数秒後。
「……生意気になったな」
「兄さんの弟ですから」
その返事に、日帝は小さく息を吐く。
けれどその口元は、少しだけ緩んでいた。
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