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教室の窓、夜のカーテンのように垂れた光のなかで、蓮司が言った。
「さっき、笑ってたよ。……あいつと話してたとき」
その一言で、遥の身体の奥、骨の芯が凍りつくように固まった。
──笑っていた?
まさか。そんなはずがない。
あんな顔、あんな音、そんなもの自分に出せるはずがない。
笑うのは、無害な人間がやることだ。誰かを安心させるための、清潔な身振りだ。
それは、自分には許されていない行為だった。
「……嘘だろ」
掠れた声が、喉を通りすぎる。けれど、蓮司の顔にはいつものように、感情がない。なのに、どこか皮肉に歪んだ目だけが、遥の奥底を撫でてくる。
「いや。ちゃんと見た。顔、ほぐれてた。目の端、少しだけ下がってた」
──まるで、それが「証拠だ」とでも言うように。
遥は、拳を強く握った。自分の指が自分の掌に食い込む感覚だけが、今の現実の境界を保っていた。
「……それが、なんだよ」
かすれた吐息混じりの抵抗。けれど蓮司は笑った。
「“そんな顔もできるんだ”って思ってさ。俺の前じゃ一度も見せないのに」
その声が、遥の腹を殴った。
なんでそんなこと、言うんだよ。
なんで、見たんだよ。
そんな顔、したつもりなんてないのに。
日下部の前で、自分が一瞬でも気を緩めたというのか。
それはつまり──“自分が、あいつに優しさを向けてもらえる人間だと錯覚してた”ということだ。
違う。
違うんだ。
あんなふうに、触れたいと思ったのは、壊したいと思ったのと同じことだった。
近づきたいと思った瞬間、自分はすでに誰かを汚す側にいたのに。
なのに、もしほんの一瞬でも、笑っていたとしたら──
それは、誰かを騙していたってことじゃないか。
“俺は大丈夫だよ”って顔して、嘘をついて。
本当は全然平気じゃないくせに、
壊れているくせに、
生きてるふりして、
人間のふりして──
あいつの前で、笑ってた。
吐き気がした。
胸の奥から、焼け焦げたような塊が込み上げてきた。
蓮司はもう喋っていなかった。ただ静かに遥を見ている。その瞳には、退屈と興味の境界線が揺れている。
遥は、逃げるように背を向けるしかなかった。
でも頭の中では、蓮司の言葉と日下部の笑い声が重なって、“罪の証拠”のように何度も繰り返されていた。
──「笑ってたよ」