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「あぁ。腱を切っても子供は孕めるし、僕が真那の全てを世話をしてあげる」
あまりの言葉に意味が分からず、ゾッとするよりもポカンとしてしまう。
すると、また頭と喉の痛みが襲って来て大きく腰を曲げて咽せてしまった。苦しい。全身に冷や汗が浮いて気持ち悪い。
ぐっと喉の奥から熱い塊が迫ってきて思わず吐き出すと、それは血だった。
ぱたたっと畳の上に赤黒い、海を漂う紅藻色の血が落ちた。
──あぁ、咳き込みすぎて喉が切れてしまった。
これでは思うように声が出ない。
血を見ると頭の芯がすうっと冷えて、汗まで一気に凍えるよう。
荒ぶっていた感情さえも、冷えきった海底に落とされたような気持ちになった。
「やだっ。真那さんったら、汚いっ。足袋が汚れたらどうしてくれるの。はぁ、お兄様。早く真那さんを連れて行ってくださいな」
「あぁ。分かっている。真那、僕が手当てしてあげようね」
二人の会話にさえ、もう感情が動かなかった。私の運命は決まってしまった。
唇の端からこぼれた血を拭う気にもならない。
そんな私に再び、伸びてくる凪の手。
私は一生、この手からは逃れられないのかと、迫り来る手をじっと見つめていると──
バタバタと使用人の人達が廊下を走る音がして、この和室に飛び込んで来て、その一人が叫んだ。
「凪様っ、宇美様! 大変でございますっ! 今、表に蒼波千尋様がお見えになられておりますっ!」
「なんだと?」
「なんですって?」
兄妹の驚きの声が重なる。
私も驚いてしまう。
そして目の前に迫った手は、私の存在を一瞬で忘れてしまったかのように、すんでのところで離れて行った。
使用人の人達は「どうしたら良いでしょうか?」と、狼狽えている。
「な、凪お兄様。どうされますか? 私、平時の装いですし、お父様、お母様も今は不在です。日を改めて貰うのが良いのでは?」
その場でおろおろする宇美に、天井を見上げて考える凪。
「なんで急に訪れたんだ。蒼波千尋の地位は大佐。立場的には僕と同等だが、向こうの方が軍にも内政にも顔が聞く。追い返すのは失礼か……ちっ、真那を早く躾けなくては行けないのに……はぁ」
深い溜め息を吐いたあと、凪は狼狽える使用人と宇美に向き直った。
「僕が東堂家の当主だ。両親が不在でも僕が挨拶をする。宇美は機を見て呼ぶからそれまで待機。その間に身なりを整えてこい」
こくりと頷く宇美。
それを見てから、凪はまだオロオロしている使用人達に指示を出す。
「お前達は真那を僕の部屋に連れていけ。そこで真那を見張っていろ。絶対に部屋から出すな。蒼波殿を玄関では礼を欠くから、広間に通してくれ。決して粗相がないようにしろ。茶も上等のものを用意するように──」
細かい指示をして、最後に凪が私を見て「真那、ちょっと待ってくれ」と、にっこりと私に微笑む凪に嫌悪感で産毛が逆立った瞬間。
「その必要はありませんよ」
荒波さえ鎮まるような、力強い声が部屋に響いた。
この凛々しい声は誰の声? と思ったときには「蒼波様! 勝手に動かれては困りますっ」「どうか、玄関でお待ちを」などと、使用人達の慌てる声と足音が聞こえて、この部屋の空気が一気に変わった。
凪と宇美。どちらからも共に、ゴクリと喉を深く鳴らす音が聞こえた。
まさか本当にあの蒼波様が来たと言うのだろうか。
声がした方に目を凝らして見ると、宇美が開けたままにしていた襖に人が立っていた。
その人物を見た途端、痛みでぼやけていた視界が一気に澄み渡るほどに、鮮烈な存在感が目に飛び込んで来た。
黒い仕立ての良い軍服姿。装飾が施された詰襟、肩章から垂れる錦糸の飾緒。一目で高官だとわかる立派な出立ち。
光沢ある深みのある黒の肩掛けマントは、まるで夜の海色。
そして、じっとこちらを見つめる黒瑪瑙の瞳に艶やかな黒髪。人離れした|顔《かんばせ》は、あの森で出会った麗しい人に違いなかった!
知らぬまに涙が溢れて、また視界がぼやける。
夢だと一瞬思ったけど、この喉や体の苦しみがそれを否定した。私が本当の意味で生まれて初めて、心から助けたいと願った人。
『──良かった。あのときと違って、血色の良い顔をしている。生きていてくれて、本当に良かった』
目の前に突然現れた人に、無事で良かったと言いたかったのに咽せてしまい、また喉の奥から込み上げる血の味に私は負けてしまった。
息も荒く、とうとうその場にどさっと倒れてしまった。
勝手に遠のこうとする意識。そんな中でも聴覚だけはなんとか、周りの音を拾っていた。
「蒼波様、ここではなく広間にどうぞ。いえ、ここに倒れているのは使用人でして。えぇと、貧血で倒れただけですから、お気になさらず。ほら、お前達! 早く蒼波様を広間にお連れしろっ!」
この焦った声は凪に違いない。
その他にも宇美の「また、お会い出来て嬉しいですぅ。ご無事で何よりですわぁ」と、一瞬で猫撫で声に変わったことに寒気すら覚えた。
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コメント
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ああ、もう本当に……胸が苦しくなる展開でしたね。凪の「腱を切っても孕める」発言、寒気が止まらなかったです。真那の絶望感がひしひしと伝わってくる中での蒼波千尋様の登場、めちゃくちゃ熱かったです……! あの森で出会った麗しい人が、まさかこんな形で再び現れるとは。「生きていてくれて良かった」という真那の想い、完全にもらい泣きしそうになりました。次が待ち遠しいです!