テラーノベル
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そんな声を聞きながらも、私にはどうしようもない。話をしたくとも声が出ない。体に力が入らない。
まるで底なしの海溝に引きずり込まれるようだと、思った瞬間。
「おい、君。しっかりしろっ! 口から血が出てるじゃないか。東堂殿。これは貧血ではないだろうっ!」
畳を軽快に走る音が近づいたと思うと、近くで蒼波様の声が聞こえた。
「君、大丈夫かっ」
がしっと肩を抱かれた感触がした。
その力強い感触に、深くて暗いところに落ちそうになった意識をぐんっと引っ張り上げられた。
閉じた瞳を薄らと開くとまだ、霞掛かった視界の中だった。
それでも、あの蒼波様が私を助け起こして心配してくれるのが分かった。ありがとうございますと、言いたくて唇を震わす。
「……っ、あ、」
「無理に喋らなくていい。誰か、水を!」
「蒼波殿、その者は私が面倒を見るので、宇美と広間に行って下さい」
と、蒼波様と凪の声のあと。
「そ、そうですわ。蒼波様は私と結婚をしたいのですよね。ええ、私も問題ありません。だから早速、広間でゆっくりと結婚についての話を致しましょう」
矢継ぎ早に宇美の声がした。
すると、私の肩を掴む蒼波様の手に力が込められた。
「いや。君とは結婚しない。俺が結婚するのはこの──倒れている、この儚い乙女だ」
その声に驚き目を見開くと、視界には美しい蒼波様のお顔があった。
森で血塗れで倒れていたとは思えないほどに、生き生きとした表情。
あの黒瑪瑙の意志の強い瞳は私を心配気に見つめていて、さらりと私の髪ではなく髪紐に触れた。
「この髪紐は君のものか?」
そう蒼波様に問われて、声が出ない代わりにこくりと頷く。
これはお母様が私だけの為に結ってくれた髪紐。世界に一つしかない、私の宝物だ。
そんな想いを込めてじっと蒼波様を見つめると蒼波様は懐から、しゅるりと紐を出した。
それは血で汚れていたが、深い青糸と銀糸で編まれた私の髪紐に違いなかった。
蒼波様は私をしっかりと見つめながら、その髪紐を凪や宇美に見せつけるように掲げた。
「俺が森で凶刃に倒れ、手当をしてくれた者がその時、使用して止血をしてくれたのがこの髪紐だ。東堂宇美さん。君は俺を手当てしてくれたと言うが、この髪紐はこの倒れている彼女の物らしい。彼女の髪に、これと同じ髪紐がある。これはどう言う意味だろうか?」
「そ、それは、その。わ、私がその者から貰ったのです! それで、あの時に止血の為に使用したのですわ」
宇美の声を聞いて私は『それは違うっ!』と、叫んだが代わりに血がまた口からこふっと漏れた。
口の中に鉄の味がまた広がる。鉄の錆びた味わいは心まで侵食するようだ。
あぁ、なんでこんな時に私の声は出ないのだろう。
名も名乗れない。
大事な時に私は何も出来なくて嫌になる。
悲しくて、辛くて、瞳から涙が溢れそうになったが、その雫は溢れることなく優美な手先で拭われた。
その手の持ち主、蒼波様が優しく私に問いかけた。
「君、ひょっとして声が出ないのか?」
蒼波様の戸惑いの視線を受けながら、コクコクと頷く。
蒼波様は掲げた髪紐を私の胸元へと戻した。
その代わりに白いハンカチを出して、私の口元を拭ってくれた。
それに反応したのが宇美や凪だ。
二人は何やら騒ぐ声をあげていたが、蒼波様は気に止める様子もなく私だけを見つめ続けてくれた。
「俺を助けてくれたのは──君だね」
「!」
声が出ない代わりに私は胸元に置かれた髪紐を握りしめて、大きく頷いた。
その瞬間に、凪の大きな声が部屋に響いた。
「蒼波様っ! いきなりの来訪に勝手な振る舞い。いくら高官の地位といえ身勝手が過ぎます!」
「あぁ、すまない。俺を助けてくれた乙女を見つけたから、もうお暇する。そちらに寄越した手紙の通り。この乙女は──俺の妻として貰い受ける」
私が蒼波様の妻?
言葉通りの意味だろうが、思考が追いつかない。
さらに蒼波様は小さな声で「東堂家は人魚の稀人を隠していると噂されていたが。きっと、この乙女が……」何か呟かれた時。
凪がダンッとその場で足を鳴らした。
「その者は私の婚約者です! 勝手に人の婚約者に触れないで頂きたいっ。これ以上は幾らなんでも蒼波様とはいえ、迷惑極まる。この場はお引き取り下さい!」
凪の怒気を孕む声にも蒼波様は海燕のような飄々さで軽く受け流し、薄い唇を孤月に形作った。
「聞いて呆れる。先ほどあなたはこの乙女を『使用人』だと言ったではないか。それに婚約者なら、なおさら口から血を流しているのに助けもしないなんて、異常だ」
「そ、それは」
「俺は俺の命を助けてくれた乙女を、妻にしたいだけだ」
キッパリと宣言したあと「ですからっ!」と、宇美の声が凪と蒼波様の二人の間を割った。
ゆるりと蒼波様の腕の中で宇美の声の方に首を振れば、宇美が手を大きく振って、自らその存在を蒼波様に訴えていた。
「蒼波様っ! 助けた乙女とは私でございます! 繰り返しますが、髪紐はその者から貰っただけのこと。必死で助けたのにあんまりですわっ」
「では、俺の傷はどんな具合だった?」
「えっ」
「俺はある人物から、不意打ちで即死に近い傷をおった。その後、森で手当てを受けて命を取り留めた。君はどんなふうに俺を手当てしてくれたんだ?」
鋭い口調にさすがの宇美も口を閉ざしたようで、蒼波様の滑らかな言葉が続く。
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コメント
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うわあ……声が出ないもどかしさ、涙が出そうでした。蒼波様が髪紐の真実を見抜いてくれたシーン、胸が熱くなりました。「君を助けてくれたのは君だね」――この言葉、最高です。宇美の嘘が暴かれていく流れも気持ち良くて、凪の「婚約者です!」宣言には思わず「えっ!?」って声が出ました。この先、主人公がどう立場を取り戻すのか、続きが待ち遠しいです!