「なにやってんですか、脇田さん」
そう葉子に言われながらも、脇田は、秘書室から社長室へとつながる扉にそっと耳を当ててみる。
渚は、膝に秘書を乗せて仕事をするとかいうしょうもない話をしていた。
「お前なら乗せてみたいぞ」
と渚が笑い、
「いや、私も殴りますからね」
と蓮が言うのが聞こえたとき、思わず、ノックしていた。
中に入り、
「社長、そろそろ」
と声をかけると、
「ああ。
脇田、こいつを異動させるから」
と渚は軽く言ってくる。
はい、と頭を下げた。
蓮は困ったような顔をしている。
きっと彼女は秘書に取り立てられるより、総務でのびのびやっていたかったのだろう。
人の気持ちのわからん奴め、と脇田は溜息をつく。
まあ、わかっていて、蓮を自分の側にとどめておきたいだけなのかもしれないが。
渚はもう素知らぬ顔で仕事をしている。
蓮を連れて、社長室を出た。
秘書室に入り、扉を閉めたところで、蓮が、
「脇田さん~。
秘書室とか勘弁ですーっ。
あっ、すみませんっ」
と言う。
謝られて、パソコンを打ちながら聞いていた葉子が笑っていた。
「いや、立派なお仕事なのはわかります。
でも、私は向いてないです」
「まあ、仕事が出来るのと秘書に向いてるのとは、またちょっと違うからね。
渚もわかってるとは思うけど。
君の顔を見てたいんじゃない?」
と言うと、
「いや、全然そんなラブラブな気配を渚さ……社長からは感じませんが」
と言ってくる。
「うーん。
そう見えるかもしれないけど。
僕は今の状態でもかなり驚いてるけどね。
あいつ、本当に仕事しかない奴だから。
君につきまとう暇なんてないはずなんだけどね」
「つきまとうって……」
と葉子が顔を上げ、苦笑いしていた。
「浦島さーん」
と蓮は葉子に泣きつこうとする。
「ほんとよ、蓮ちゃん。
社長、ほんとに浮いた噂がなかったの。
私、密かにゲイなのかなって思ってたわ」
おいおい、と忠実なる秘書の爆弾発言に、脇田も苦笑いする。
「だって、いつも一緒に居るの、脇田さんだし。
たまに私用の電話かかってきても、全部男の人からみたいだし。
だから、今、見てて面白いの。
ようこそ、蓮ちゃん、秘書室に」
ともう決定事項だと覚悟させるように蓮に言った。
葉子でさえも味方でない、と悟った蓮は半泣きになる。
「私は嬉しいわ。
下の子が入ってきてくれて。
一度、後輩をビシバシ仕込んでみたかったのよ」
とにんまり笑う。
蓮は、なんとなくだろうが、すぐ側に居た自分の腕をつかんできた。
その手を見下ろし、少し笑う。
「じゃあ、特に辞令もいらないだろうから。
すぐに下に話を通しておくよ。
荷物、まとめて上に来てね」
そう自分が言うと、
「展開早すぎですよ」
と蓮は情けなげな顔をしていた。
「どうだった?」
蓮が総務に下りると、急いで真知子がやってきた。
「総務から秘書に売られてしまいました」
脇田が総務本部に電話をすると、どうぞどうぞ、と簡単に売られてしまったようだ。
誰も社長の機嫌は損ねたくない。
「すごいじゃない、秘書」
と喜んでくれかけたあとで、
「……大丈夫?」
と訊いてくる。
「大丈夫じゃないですー。
なにかをやらかさない自信が欠片もありません」
真知子以上に自分が不安だ。
「大丈夫だ。
とりあえずは、浦島について仕事を教われ。
接客が必要な仕事はお前には回さない」
そんな声がして、いきなり上から頭を押さえられる。
渚が後ろに立っていた。
「社長っ」
と慌てて、総務本部の中から、本部長が飛んできた。
どうぞどうぞ、秋津を使ってやってください、とやはり、気安く売られてしまう。
「さっさと荷物をまとめて来い」
渚に見下ろされ、そう言われる。
逆らえば、会社から叩き出されそうな雰囲気だ。
はい……としょんぼり返事をしながら、自分のデスクに戻る。
「すごいじゃない。
秘書に移動なんですって?
きっと貴女の頑張りが認められたのね」
と隣の席のやさしいおばさまが微笑みかけてくださる。
いえ……此処に来て、二週間ちょい。
まだ、なにも頑張ってません、と思いながらも、素直に喜んでくださるおばさまのために、
「ありがとうございます」
と頭を下げた。
「短い間でしたが、お世話になりました」
と言いながら、なんだか嫁に行くみたいだな、と思ってしまった。
ちらと振り返ると、エレベーターホールの前で、まだ渚は本部長と話している。
……もっと早くにそういう姿を見せてくれていたら、ただの、やさぐれて高飛車な社員だとか思わなかったんですけどね、と恨みがましく思っていた。
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