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「蓮、なに疲れてんの?」
家でぐったりしていると、未来が勝手にやってきて、勝手にご飯を温め、勝手にテレビの前のテーブルに並べてくれていた。
そのついでにか、なに疲れてんのかと訊いてくる。
ソファで行き倒れたまま、
「いやあ、急に秘書に異動になっちゃって」
と言うと、
「ふうん。
それって、まずくない?」
と言ってくる。
「さあ、知らない。
もうなにも考えられない。
おやすみなさい」
とクッションを抱くと、
「起きて、食べてっ。
僕がせっかく持ってきたのにっ」
とわめき出した。
「茶碗、自分で片付けるの? 片付けないの?
片付けないのなら、今すぐ起きて食べてっ。
ん?
シンクが綺麗だね。
蓮の仕事じゃないみたい」
とさすが鋭い未来が言い出す。
「誰か来た?」
「あー。
メイドの達人みたいな人が……」
と呟くと、
「それ、なんのゲーム?」
と言われた。
「まあ、いいや。
早く起きて、蓮。
一人で食べるの、嫌なんでしょ?
二十分くらいなら、ついててあげるから」
「はーい……」
と返事をしながら、蓮は、むくりと起き上がる。
「終わった。帰る」
キーボードを打つ手を止めたと思ったら、立ち上がり、そんなことを言い出す渚に、
「早いですね、今日は」
と脇田は苦笑いした。
うん、とだけ言って、渚は帰り支度を始める。
今日は、いつもより、早めに仕事を回しているように見えた。
蓮に会いに行くのかな、とぼんやり思う。
まあ、渚が女性のために予定を変えることなど、今までなかったことだが。
「じゃあな、亨。
そこまで一緒に出るか」
と言ってくるので、
「いえ、まだ用事がありますので」
と言うと、うん、と言って、渚は行きかけ、戻ってきた。
「もう仕事終わってんだから、敬語じゃなくていいんだぞ」
わざわざそんなこと言いに戻ってきたのか、と苦笑しながらも、
「まだ私は仕事中なんです。
お気をつけてお帰りください、社長」
とわざといつもより丁寧に言ってやると、笑っていた。
仕事の時間の方が長いので、最近、プライペートでも渚に敬語を使ってしまうことが増えた。
他の仲間も一緒に遊んでるときだと、妙な空気になるからな。
ああ見えて、渚も気にしているのかもしれない、とちょっと思った。
だが、いずれこうなるとわかっていて、僕を呼んだんだろうにな、と思いながら、窓から、まだ、明るい街を見下ろした。
「蓮、チャイムが鳴ってる」
「そうね」
と言ったあとで蓮は気づいた。
慌てて、インターフォンの前に走る。
やはり、渚だった。
顔を近づけ、覗いてくる未来が、
「嘘っ。彼氏?
いい男じゃんっ」
と言いながら、いきなり、インターフォンの画面をスマホで撮影し、何処かへ送ろうとする。
「ちょっと未来っ、なにやってんのっ!」
「送るんだよ、おばさんに」
報告しろって言われてるもん、と言う未来に、
「彼氏じゃないって。
彼氏っていうより……」
と言うと、
「言うより?」
と訊き返される。
「……ストーカー?」
「じゃあ、警察に送るよ」
とやはり何処かへ送信しようとする。
待って、とその手を止めると、未来がにやりと笑う。
「やっぱり彼氏なんじゃん」
明日はご馳走持ってくるね、彼氏の分も、と未来は言った。
「いいからっ。
忙しい人だから、そんなに来られないしっ。
第一、ほんとに彼氏じゃないのよ~っ」
「彼氏じゃない人をこんな時間に部屋に通しちゃ駄目だよ。
僕が帰れって言ってあげる」
といきなり、インターフォンをつなげてなにか言おうとする。
「やっ、やめなさいよ、莫迦っ。
あれはうちの社長よっ」
と言うと、
「……なにやってんの、蓮」
と呆れられる。
「あんまり阿呆なことやってると、連れ戻されるよ」
そのとき、渚がチャイムを連打し始めた。
「開けろっ、蓮子っ」
「……気が短いね、この人」
「うん……」
いつも時間に追われているせいだろうかな、と思う。
「はいはい、開けますよー」
と勝手に未来が答えた。
「はい、こんばんは」
と鍵まで開けて、渚に挨拶している。
黙って未来を見下ろした渚は、
「誰だ、この小僧」
と未来を指差し、言ってきた。
その手をはたいて、未来が言う。
「さすが社長さんだね。
態度デカイよ。
僕は、蓮の実家の近所の人。
おばさんに頼まれて、たまに、ついでがあったら、晩ご飯、配達に来るんだ。
おばさんに、蓮に男の影があったら、報告しろって言われてる」
ほう、近所の子か、と言った渚は、
「これからどっか行くのか」
と未来を見て訊いてくる。
「そう。
友達と呑みに」
渚は、一万円を未来に渡し、
「そうか。
おばさんによろしくな」
と言った。
未来はそのお金をちゃっかり受け取り、
「じゃ、おばさんには、蓮は身許も確かな、素敵な人と付き合ってるみたいだって言っとくよ」
と笑う。
「そうか。
ありがとな」
と渚が手を挙げる。
じゃあねー、と未来はご機嫌で帰っていった。
さすが、社長様……。
買収早いですね。
っていうか、あんな簡単に丸め込まれる密偵でいいのだろうか。
あいつ、私の貞操も簡単に売りそうだな、と思いながら、見送った。
「入っていいか」
と渚が聞いてくる。
ドアノブを握ったまま、一瞬、まよったが、結局、
「……どうぞ」
と言った。
また隣のご主人に帰ってこられても困る。
渚に背を向けたとき、
「ほら」
と渚が後ろから花を突き出してきた。
……菊だ。
どうしても、あのコンビニには、仏壇系のものしかないらしい。
「大丈夫だ。
菊は高貴な花だ」
そ、そうですね……。
だから、仏壇にも上がってるんでしょうが。
彼女に贈るのにはどうでしょうね……。
それでも、
「ありがとうございます」
と受け取りながら、先に中へ入り、昨日のしきみの入った花瓶に活ける。
ますます仏壇の花じみてきた。
でもさっき、思ってしまった。
多少チャラいが、未来もいまどきのイケメンだが、渚の方がやっぱり、格好いいなと。
未来はひょろっと大きいが、渚の方が身長もあって、体格もいい。
……いやいやいや。
別に私の好みと言うわけではないから、と誰にともなく言い訳するように思う。
生物は、やはり、生き残りをかけて、大きなものに惹かれるからだろう、と解釈することにした。
真知子に訊かれたら、あんた、なに、色気のないこと言ってんの、と言われるだろうが。
また飲み物はなんでもいいと言うので、ルイボスティーを淹れてやった。
「はい、どうぞ」
とラグの上のテーブルに置いた途端、ソファに座っていた渚が後ろから抱きついてきた。
「なにするんですかーっ」
とそこに落ちていたクッションで殴る。
だが、渚は手を離さず、そのまま、蓮を自分の膝の上へと抱え上げた。
ほらっ。
やっぱり、秘書は膝に乗せるものとか思ってるしっ。
っていうか、浦島さんもやっぱり、こうやって、膝に乗せたりするの?
それは許さんっ。
そして、顔が近いっ!
赤くなりながらも、想いは迷走する。
「はなはなはなっ……離してくださいっ」
と叫んで渚を押し返そうとするが、大きな渚の手はガッチリ、蓮の肩と腰に回っていて、離れない。
「どうしていいかわからないんだ」
渚は大真面目にそんなことを言い出した。
はい?
間近に蓮を見つめ、
「女性に愛情を持って接するのは初めてだから、どうしていいかわからない」
とロクでもないことを言ってくる。
……愛情なしなら、やっぱりあるんですか。
まあ、このルックスだし、社長さまだしな。
っていうか、貴方、本当に私に愛情があるんですか。
まったく、感じられないんですがっ、と思っていると、
「キスしてもいいか?」
と渚が訊いてきた。
「あの……いいかって訊かれて、はい、どうぞって言う女が居るとでも思ってるんですか」
いや、居るのかもしれないが、少なくとも自分は言わない。
「それは訊かなくても、してもいいと言うことか?」
……違いますよ、もちろん。
頬に触れ、渚が、
「蓮」
と呼んでくる。
あれっ?
知ってる? 私の名前。
もしや、照れくさいから、蓮子と呼んでいたのだろうか?
と思っていると、
「蓮子って長いから、蓮でいいか?」
と言ってくる。
私……、蓮ですからね
本当に大雑把な人だ。
細かい脇田さんといいコンビだな、と思った。
「あ、あの、今日はやめてください」
と言うと、
「蓮って呼ぶのをか?」
と訊いてくる。
いや、……確かに今の流れなら、そう聞こえなくもないですが。
って、そうじゃなくってっ!
「キスをですよっ」
大真面目にその顔で言わないでくださいっ、と思ったが、渚は、
「なんでだ」
と訊いてくる。
いやあの、なんでだって、おかしくないですか?
「だって、そのー……」
おや、困った。
何故だか、キスして欲しくない理由がすぐに思い浮かばない。
「だ、だって……。
あっ、そうだっ。
だって、この間、出会ったばっかりじゃないですかっ」
「俺の姉貴は出会って三日で結婚したが」
……そういう家系なんだな。
直感で生きているというか。
「別に今でも幸せにやってるぞ」
そりゃ、お姉さんはそうなのかもしれないですけどねー、と思う。
「あっ、えーと、ほらっ。
私、貴方を好きだとか言ってないですしっ」
「好きじゃないのか?」
その目で脅さないでくださいっ! と腰を捕まれられたまま、上体をそらし、逃げかかる。
脅迫するように近づく渚の顔から視線をそらし、
「いや、あのですね……。
好きとか、好きじゃないとか。
ちょっと考える暇もなかったというか」
と言うと、
「好きとか好きじゃないとかって、頭で考えることなのか?」
と最もなことを言ってくる。
そ、それは確かにそうですね、と納得してしまった。
「わかった」
と言った渚は、ひょいと蓮を抱き上げ、ソファに下ろすと、
「今日は帰る。
お前に、明日までの宿題だ。
俺を好きかどうか考えておけ」
と言ってくる。
蓮は渚を見上げ、訊いた。
「え……えーと。
それで、好きじゃないって結論が出たら?」
渚はこちらを見下ろし、
「そしたら、またあさって、来るから。
それまでに考え直しておけ」
と淡々とした口調で言ってくる。
怖いよ……。
それ、結局、好きって答え以外は、やり直しってことですよね? と思っていると、渚はさっさと帰ろうとする。
「帰るんですか?」
と立ち上がり、訊くと、
「帰る。
このまま此処に居たら、なにもしないでいる自信がないからな」
と言い、振り返る。
「じゃあな、明日までに考えとけ」
おやすみ、と言ったときには、もう玄関を出ていた。
さすが、行動早いな、無駄がないし、と思いながらも、一応、外に出て見送る。
エレベーターホールに曲がりかけた渚は自分が見送っているのに気づいて、少し足を止めると、笑ったようだった。