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翌日の放課後、俺と美紅は絹子と一緒に校庭の隅の「生き物小屋」にいた。俺の学校では「都会の青少年に生き物との触れ合いを」という校長の方針で子ヤギを飼っている。生徒が交代で世話をする事になっていて、その日は絹子がその当番だった。そこで俺たちも付き合ってやったわけだ。
まあ、俺としちゃ、こんな大都会の真ん中で狭い小屋に閉じ込められて飼われるヤギの方こそいい迷惑なんじゃないか、と思うんだが。
絹子は子ヤギに餌をやりながら、昨夜の俺たちのやり取りを聞かされて、しきりにうなずいていた。
「ああ、分かる、分かる、それ。いじめやってる連中って自分では全然自覚してないのよね。あたしの小学校の時にもそういうのあったよ。さすがに自殺とかまでは行かなかったけど」
絹子は子ヤギの背を撫でながらそう言う。へえ、絹子にもそういうのを見たり聞いたりしたことがあるのか。じゃあ、いじめって結構世間にありふれた話なのかもしれないな。俺が真剣な顔になったのを見て、あわてて絹子がつけ加える。
「ああ、でも、あたしも雄二の言う事は信じるわよ。そういう誤解って一度起きちゃうとどうしようもないのよねえ。雄二のお母さんが言ってたように、その、純君って子の気持ちも分からないじゃないわよね」
俺もこの日ばかりは毒舌漫才で返す気にはなれない。
「いや、そう言ってくれると少しは気が楽になるよ。あ、ただ、この話、あの住吉って番長のグループには言うなよ。力になります、とか言ってきそうだけど、話がややこしくなるからな」
美紅が全然話に入って来ないので顔を向けると、我が妹は無言でジーっと食い入るように子ヤギを見つめている。絹子もその様子に気がついて美紅に声をかけた。
「美紅ちゃん、ヤギが珍しいの? 沖縄にはヤギはあんまりいないのかな?」
美紅は小さく頭を横に振って答えた。
「ううん、逆。沖縄にはヤギいっぱいいるよ。あたしが小さい頃はヤギ飼ってる農家の方が多かったぐらい」
「へえ、そうなんだ。でも、じゃあ、なんでそんなに一生懸命見てるの ?この子どこか変かな?」
「ううん。ただ、このヤギ、いつ食べるのかなって思って。給食に出すの?」
次の瞬間、俺と絹子は心底からドン引きした。俺は一歩美紅のそばから離れ、絹子は子ヤギと美紅の間にしゃがんで子ヤギの首をひしと抱きしめた。絹子が少し震える声で美紅に言う。
「あ、あのね、美紅ちゃん……ヤギって食べる物だっけ?」
「え? 沖縄ではヒージャーって言ってよく食べるよ。町の食堂ではヤギ汁が普通にあるし。あと、大人はお酒のつまみによくヤギ刺し食べるし」
「ヤギ刺し……つまりヤギの肉のお刺身?」
絹子の顔が少し青ざめていたが、天然ボケの美紅がそれに気がつくはずはなく、平然とこう言った。
「うん。酒のつまみには最高だって、近所のおじいさんたちがよく言ってた」
俺はさすがにフォローを入れずにはいられなかった。
「ま、まあ、考えてみりゃ、ヤギって家畜なんだから、その肉食べる習慣があってもおかしくはないよな。なんたって世界は広いんだからさ……あははは……」
絹子も俺に合わせて、しかしひきつった笑いを顔に浮かべながら恐る恐る美紅に訊いた。
「あ、あのさ……それで美紅ちゃんは好きなの? その、ヤギのお肉……」
美紅は少し顔をしかめてさっきより大きく頭を横に振った。
「あたしは苦手。ヤギ汁ってなんていうか匂いが強烈で」
それを聞いた絹子がほっとした表情で子ヤギの首から腕を離す。しかし美紅がすぐにこう続ける。
「あ、でもヤギ刺しは食べられない事はないかな」
絹子は再びガバっと子ヤギに抱きついた。引きつった笑いが完全に顔に張り付いている。
いや、絹子、そこまで心配しなくても。いくら美紅でも今この場でその子ヤギを頭からかじったりはしないだろ。ううん、しかしヤギの肉を食べる国はあるとは思ったが、日本の中にあったとは! 沖縄の食文化、あなどれん。
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