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保健室の白い扉を閉めた瞬間、ようやく肺の空気が入れ替わった気がした。
ここは校舎の最果てに位置しており、窓の外には手入れの行き届かない裏庭が広がっている。職員室のあの、値踏みするような視線からは解放された。
「ごめんなさい、木村先生。いきなり押しかけて……」
愛梨が弱々しく笑うと、後から入ってきた木村は、無言でパイプ椅子を引いて彼女を座らせた。
「いいのよ。今のあなたの顔、今にも消えてしまいそうなくらい真っ白なんだもの」
その優しさが、逆に愛梨の防波堤を崩した。
膝の上で、指先が微かに震える。都会でのあの地獄の日々が、フラッシュバックのように脳裏を掠めた。佐藤佑真の、凍りつくような笑顔。「君を自由にしてあげたんだよ」と、愛梨のスマホを叩き壊したあの夜。
「……先生。私、不倫なんて、本当にしていません」
一度溢れ出した言葉は、もう止められなかった。
「あの人はただの相談相手だったんです。それを、付き合っていた彼が……。彼は、私が誰かと笑い合っているだけで耐えられない人だった。私が他の男と話していただけで嫉妬して、執拗に追い回して……。あの写真だって、私が逃げられないように彼が仕組んだんです。誰も信じてくれない。もう、恋愛なんて……男性なんて、怖くて」
木村は黙って愛梨の言葉を受け止めていた。愛梨は顔を覆い、絞り出すように声を震わせる。
「不倫どころか、今は彼氏だっていません。なのに、私はここでもう『そういう女』として見られている。逃げてきたのに、どこにも行けない……」
静まり返った室内。遠くで吹く風の音だけが響く。
木村が「ちょっと職員室に書類を戻してくるわね。少し休んでなさい」と、愛梨の肩を優しく叩いて部屋を出ていった。
一人になった保健室。愛梨は深く、深く溜息をついた。
その時。
――カサッ。
部屋の隅、一番奥のベッドから、衣擦れの音が聞こえた。
愛梨の心臓が、跳ね上がる。
「……っ、誰!?」
返事はない。ただ、閉め切られていたはずのカーテンが、内側からゆっくりと、音もなく開かれた。