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木蓮の頬に涙が伝い、顎から落ちた粒がシャツに滲みを作った。


「睡蓮を選んだのね」


雅樹は呆然と立ち尽くす木蓮へと手を伸ばしたが、それは力無く降ろされた。


「選んだのね」


雅樹にとって木蓮はもう抱きしめる事すら|躊躇《ためら》われる存在となってしまった。


「ーーー木蓮」


その呟きに弾かれるように木蓮は雅樹の胸に飛び込み背中に腕を回した。通りを流れるヘッドライトがその泣き顔を浮き上がらせた。


「抱いて」


雅樹の息が止まった。


「え、聞こえない」

「今夜だけで良いの」

「ーーーな、なにが」


木蓮の指先は小刻みに震えていた。


「抱いて、お願い、これ以上言わせないで」


雅樹の腕が木蓮の背中を強く抱きしめた。

雅樹が左手を挙げると吸い寄せられるように一台のタクシーが路肩に停車し後部座席のドアが開いた。思わず木蓮の足は|竦《すく》んだ。


「やめるなら今だ、乗らなくても良い」

「やめないわ」


その手が助手席のヘッドレストを掴み座席の奥に腰を下ろした。


ギシっ


座面のスプリングが軋み、木蓮の心臓は跳ね上がった。次いで雅樹が乗り込み後部座席のドアが静かに閉まった。


「お客さん、何処まで」

「西念の和田コーポレーションまで、支払いはチケットでお願いします」

「はい、西念ですね」


「なに、会社に行くの」

「隣のマンションに俺の部屋があるんだ」


ビビビビビビ


その音に木蓮は飛び上がった。何が起きたのかと運転席を見遣ると料金メーターの横に《《深夜料金》》と表示されていた。


「あー、うるさくてすみません」

「いえ」

「これから深夜料金になりますから」


22:00の街は騒がしく楽しげだがタクシーの車内には気不味い空気が漂っていた。木蓮は反対車線のヘッドライトを目で追い、雅樹は賑やかな街並みを車窓から眺めていた。


(ーーーー!)


無言の雅樹の指先が座面に置かれた木蓮の指に触れ力強く手を握り締めた。手のひらはじっとりと汗ばみ、脈打つ血潮を感じた。どうして言ってしまったのだろう、木蓮は姉の婚約者に一夜を過ごして欲しいとせがんだ自分を恥じた。


(後悔したくない、後悔したく無いから)


煌びやかな街から遠ざかったタクシーは明かりが消えたオフィスビルの谷間を走り続けた。交差点の向こうに和田コーポレーション本社ビルが見えて来た。確かにその手前には白いタイル貼りのマンションが建っている。


(5階、8階、12階、さすがお坊ちゃん、高そうなマンションね)

「あ、運転手さん」

「はい」

「ここで降ろして下さい」


ハザードランプが点滅し2人は片側3車線、大通りのポプラ並木に降りた。


「どうしたの」

「馬鹿かおまえ、おまえを正面玄関で降ろせる訳ないだろ」

「ーーーあ」

「ごめん、言い方キツかったな」


そう、雅樹は未だ独身とはいえ婚約者が居る身、これは人の道に反した行為なのかもしれない。


「これって浮気とか不倫になるの」

「そんな悲しい事言うなよ」


2人は車通りの無い道を曲がり管理人室脇の入り口からエレベーターホールへと向かった。上階へのボタンを押す。木蓮の脚は震えた。


「嫌ならなんもしねぇ」

「私が頼んだのよ」

「もう少し恥じらえよ、可愛げねぇな」

「うるさいわね」


この気軽さが心地良かった。


ポーーン


エレベーターの扉が開き、2人は足を踏み入れた。

エレベーターは8階で停止した。木蓮の顔を振り返る事なく雅樹はポケットから部屋の鍵を取り出した。雅樹の部屋は810号室、廊下の一番端の大通りに面した角部屋だった。


かちゃん


鍵穴に差し込まれたシリンダーキーが回り扉が開いた。雅樹の首筋から香る柑橘系と男性臭が混ざり合った独特の匂いが木蓮を包み込んだ。


「散らかってるけど」

「お邪魔します」


パンプスを揃えて振り向くと素朴で温かみのある家具が並んでいた。キッチンには冷蔵庫と電子ケトルしか無く不思議に思って尋ねたところ「食事は母屋で済ませるから要らない」との事で合点がいった。


「へぇーーー、あんたの事だからアイアンフレームとか黒っぽい家具が好きなのかと思っていたわ」

「ギャップ萌えするだろ」

「したした、ギャップ萌えした」


初めて会った日も同じ会話を交わした。その時の笑顔となんら変わらない面差しに木蓮の胸は痛んだ。


「木とか布が好きなんだよ」

「高そうなリネンね、あんた本当にお坊ちゃんよね」

「まぁ座れよ」

「何処に座れって言うのよ」


生成りのラグカーペットが敷かれたフローリングの床、白い布帛のソファの上は雑誌や小物、脱ぎ散らかした衣類で悲惨な状況だ。その隙間があるとすれば目の前のクイーンサイズのベッドしかない。


「ーーーここに座れって言うの」

「襲ったりしねぇから黙ってそこに座れ」

「ーーー分かったわ」


ぎしっ


木蓮のベッドの寝心地も悪くはないが、このベッドの腰掛けた感じや程よい弾力は横になればさぞ心地良いだろうと想像し顔が赤らんだ。


「なに1人でニヤけてるんだよ」

「う、うるさいわね!さっさと片付けなさいよ」


そこで木蓮は気が付いた。


「ね、ねぇ」

「なんだよ」

「まさかここが新居とか」

「そんな部屋におまえを連れ込むかよ」


雅樹は黙々と手を動かしクローゼットに衣類を掛け、雑誌や小物を部屋の隅に積み重ねた。


「ここはセカンドハウスにする」

「新居はもう決まっているの」

「あぁ、ベランダから見える、赤茶のレンガのマンション」

「どれ」

「アルベルタ西念、6階建、交差点の向こうに見えんだろ」


木蓮はレースのカーテンを開けると突っ掛けを履いてベランダの手摺りに掴まった。脚を伸ばして覗くとポプラの樹に囲まれたマンションが建っていた。


「新しいの?」

「新築」

「隣に公園もあるのね」

「ああ」

「子どもが喜びそうな良い所ね」


雅樹はそれには答えなかった。

「さてと、いいぞ」

「やっと片付いたの」

「ほれ、座れ」


木蓮はクッションが置かれたソファに腰掛け、部屋の中を見まわした。


(ゴロゴロ30回は余裕で転れそうね)


1LDKの部屋に借りて来た猫状態の木蓮。その緊張を解こうと気を利かせた雅樹は冷蔵庫の扉を開け中腰で中身を確認した。


「おまえ、泊まってくんだろ」

「ーーーあ、あぁ」

「なら呑むか、なにが良い、ビールか缶チューハイ、ハイボール、梅酒」

「なに、あんた居酒屋でも開くの」


木蓮と雅樹、初めて口付けた夕暮れの公園でも同じ遣り取りがあった。


「なにしんみりしてるんだよ、なに呑む」

「缶チューハイ、無糖?」

「無糖、レモン」

「ならそれ頂戴」


受け取った缶の冷たさにのぼせ上った頭が醒めて来た。


(このままこいつと寝ても良いの?)


プルタブを開けると頬に雫が飛び散った。


(良いのよ、もう2度とないわ)


冷えた飲み口に唇を付けて一気に戸惑いと後悔を飲み干した。喉を通り越した炭酸が胃に落ちて染み渡りアルコールがふわりと香り立った。


「あんたは飲まないの」

「飲んだら勃たねぇかもしんないからな」

「なっ、なによそれ!」

「重要だろ」

「そ、そうだけど」


雅樹は風呂場とトイレを手際よく掃除して腰を叩いた。


「えらい丁寧ね」

「初めての夜だからな」


(ーーー最初で最後の間違いじゃないの)


雅樹は手を拭くとテーブルに置かれた長財布を手に取った。


「おまえ、俺が出掛けてる間にシャワー済ませとけ」

「なに何処か行くの」

「あれが要るだろう」

「あれ?」

「コンドームだよ、まさか知らねーとか言わないよな」

「コッツ、知ってるわよ!」


一気に現実味が押し寄せて来た。


「持ってないの?」

「俺、清く正しい生活ですから」


「睡蓮とは」

「手を繋いだ事もねぇよ」

「まさか」

「そのまさかだよ、睡蓮から2回だけキスされた」

「す、睡蓮が!睡蓮から!」


あの大人しい睡蓮が、木蓮は驚きを隠せなかった。


「睡蓮の話は無し、買ってくっから」

「あ、はい」

「ゆっくり行ってくるわ、鍵かけろよ」

「う、うん」


玄関の扉を施錠し、木蓮はトイレに向かった。

シャワーの熱い湯に肌がヒリヒリと痛い。


「ーーーもう、どこで温度調節すれば良いのよ!」


シトラスグリーンと表示されたボディソープは優しい泡立ちで木蓮を包み込んだが身体が爽快になった分、メイクと頭皮の不快感が際立った。


「ええーーーい!」


意を決してメンズ用の洗顔料で崩れた羞恥心を洗い流し、雅樹と同じ香りのシャンプーとコンディショナーで今日1日を洗い流した。


「もう、顔が突っ張る!」


恥ずかしさを誤魔化すように声を出してシャワーを浴びた。ふと見遣った鏡に映る小ぶりな胸、くびれたウェスト、少しふくよかな下腹に触れる。この場所を雅樹が触れる、あの指先で、あの唇で、鼓動が激しく乱れた。


「おい!まだ入ってんのかよ!」

「ぎゃっ!」

「おまえ、そのぎゃっ!て言うのやめろよ」

「だ、だって突然!」

「インターフォン鳴らしたぞ」

「聞こえなかったわよ!あとタオル!バスタオルは無いの!」

「あ、悪ぃ、洗濯機の上に置いておくから使って」

「さんきゅ」


ギィ


ドラム型洗濯機の上にはグレーのバスタオルが置かれていた。


(ーーーえーーと、ちょっと待って)


木蓮は戸惑った。部屋の中には既に雅樹が居る。この素裸でどうすれば良いのか。


「ね、ねぇ!」

「なんだよ」

「私、どうしたら良いの!」

「出て来りゃ良いだろ」

「ハードル高いのよ、無理!無理!」

「どうせこれから見られるんだし、遠慮すんなよ」

「無理ーーー!」


上階と下階の部屋に迷惑だからと木蓮は叫び声を飲み込んで壁伝いにベッドへと向かった。トイレに追いやられた雅樹はかくれんぼ状態でようやく風呂場に辿り着きシャワーのカランを捻った。


(ーーー勢いで来ちまったけど)


平静を装いつつ雅樹の心臓の鼓動も激しく何度も唾を飲み込んだ。


(本当に良いのか、良いのか?)


一夜が一夜で済むだろうか。


(ーーー木蓮だぞ?)


恋焦がれた木蓮と一線を越えた時もう後戻りが出来なくなるのでは無いかという不安が頭を過った。

ぎしっ


レースカーテン越しの街の明かりに雅樹の不安は的中した。


(ーーー木蓮)


木蓮を包んだ羽毛布団を剥ぐと柔らかく白い肌が顕れた。無言の時間にベッドの軋む音とシーツの擦れる音だけが聞こえる。

木蓮は恥ずかしさから両手で顔を覆ったがそれは呆気なく雅樹の手によって開かれた。初めは優しく唇を喰んでいたがそれは段々と情熱的に口元を覆い涎の糸が引き舌が差し込まれた。


「ん」


木蓮は呻き声を漏らしながら舌を絡ませ雅樹の首を掻き寄せた。これまでにない淫靡な音が脳髄を白く曇らせる。頬が火照り自然と脚が動くのは缶チューハイのせいでは無い。


(熱い)


雅樹の厚い胸板が木蓮の小ぶりな胸に触れその部分から互いの熱が伝わる。唇が首筋を伝い肩甲骨の窪みを舐め上げた。


「・・・・!」


太腿を這い上がる指先が脇を撫で上げ胸の膨らみに辿り着いた。乳輪を撫で乳首に触れると木蓮の体は弓の様に跳ねた。首筋に舌を這わせ木蓮に跨った雅樹は両胸を強弱を付けて揉みしだき始めた。


「やだ、見ないで」

「見たい」


軽く摘むと木蓮は上半身を|捩《よじ》り逃げようとした。


「動かないで」

「む、無理」


乳房を持ち上げ窄めた唇が乳首に吸い付いた。


「あ!」


初めて木蓮から|嬌声《きょうせい》が上った。艶かしい声に雅樹はその場所を執拗に攻め、茂みへと手を伸ばした。ところがその場所に触れようとした途端に木蓮は身体を硬く縮こめた。


「どうした」

「な、なんでもない」


指先が膣口に触れたが濡れている気配は無い。


「おまえ、大丈夫なのか。止めるか」

「やめ、ない」


雅樹は木蓮の両膝を抱え上げると茂みに顔を埋め掻き分け突起を探し出した。両膝が小刻みに震えているが感じている訳では無さそうだ。

雅樹は違和感を感じながらも愛撫を続けた。突起を舌先で刺激しながら中へと指を挿し込む、そこは蕾んだ花の様に開かず初めて肌を合わせた緊張感なのかと戸惑いながら指を抜き差しした。


「おまえ、緊張してねぇか」

「してないわ」

「なんか」

「黙って、やめないで」


次第に濡れ始めたが身体は強張ったままだ。


「しても良いのか」

「ーーー」

「良いのか、良いんだな」


木蓮は両手で顔を隠したまま強く何度も頷いた。雅樹はコンドームの封を切ると硬くなったそれに先端の空気を抜いたゴムを手早く被せた。木蓮の内股は閉じたままでその間に割入るにはやや力が必要だった。片手を添え膣口にあてがうと木蓮はその背中にしがみ付いた。


(ーーー!)


めりめりと体内へとめり込む雅樹は熱を帯びはち切れんばかりだった。やや違和感を感じつつもこうなると歯止めが効かない。


「くっ!」


思い切り腰を押し込むと木蓮の柔らかな中に触れた。2人が結ばれた瞬間だった。大きく脚を開かせると両膝を抑えて腰を前後させる。雅樹は恋焦がれた木蓮の中に入った悦びで無我夢中で動いた。


「木蓮、木蓮」


木蓮の耳元で熱い声が自分の名前を囁く。木蓮は《《痛みに耐えながら》》その情熱を受け止め続けた。


「くっ、くっ!」


雅樹の呻き声と息遣いが激しくなり木蓮の頬に汗が雫となって垂れた。


(雅樹)


眉間に皺を寄せ唇を噛むその表情を目に焼き付けようと木蓮は雅樹の頬に触れ包み込んだ。


「くうっ!」

(ーーー痛っ!)


雅樹は木蓮の中へ根本まで押し込むと腰を震わせてコンドームの中にその思いを吐き出しその胸に倒れ込んだ。木蓮はその背中を力いっぱい抱きしめると頬に涙を流した。


「どうした」

「なんでも無い」


雅樹がそれを抜こうと木蓮の股間に目を遣った時、彼は信じられない物を見てしまった。シーツの上には赤茶色の滲みが出来ていた。


「木蓮ーーーお、おまえ」

「なに」

「《《はじめて》》だったのか」


木蓮はこの愛おしくも悲しい一夜に処女を捧げた。


「好きな人が良いって決めていたの」

「おまえ馬鹿か」

「決めていたの」


もう後戻り出来ない、雅樹はそう確信した。

木蓮は雅樹の寝顔を眺め衣服を身に付けた。音を立てずにドアノブを下ろし湿り気を含んだ白い朝を吸い込んだ。もう2度と開ける事のない810号室の扉を静かに閉め、エレベーターホールに向かった。もう少し、あと少し雅樹の傍に居たかった。


(ーーー終わった)


無情にもエレベーターは8階で停まっていた。開く扉、踏み入れる足が戸惑いを隠せなかった。振り向いたそこに雅樹が立っていて欲しいと向きを変えたがそこには暖かなオレンジ色の明かりが灯っているだけだった。1階のボタンを押すと扉は静かに閉まった。


(ーーー終わった、これで本当に終わった)


ポプラ並木の歩道を交差点に向かうと乗客を探したタクシーがスピードを落として近付いて来た。運転席に目を遣り左手を挙げると後部座席が静かに開いた。


「太陽が丘まで」


車窓に寄り掛かり人の気配が消えた街を眺めた。電信柱のごみ収集場にカラスが集まり通り過ぎる時速60kmのタクシーに驚いて舞い上がった。朝日がビルの谷間から差し込み、木蓮の頬に涙が伝った。

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