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食後、潤が「片付けやお風呂の準備をするから、ゆっくりしていて」と言ってくれた。
私はその言葉に甘えて、やっとこの広さに馴染んできたベッドの上で、美容系のアカウントを眺めていた。
三十路手前。もう少し美容に気を使わないといけない気がしていた。
今日出会った、あの海区系女子。
あんなふうに完璧に自分をコーディネートできる気はしない。
けれども、お手軽な引き締めストレッチでもやってみようかな、と思ったタイミングで、ポンと『Uehara』から「フレンドリクエストが来ています」とメッセージアプリの通知が届いた。
おや、と思って『Uehara』をタップしてみると、絵に描いたようなキラキラ海区系女子のアカウントに繋がった。
豪華な食事に、ハイブランド品の数々。海外旅行の写真。
そしてエステや美容系の紹介。そこに写る人物は顔出しこそおこなっていないものの、女らしい体のシルエットは間違いなく今日、駅前で出会ったあの女性だった。
「わ、フォロワー数が二十万人を超えてる……あの人、インフルエンサーだったんだ」
そんな人からのフレンドリクエストだ。単純にフォロワー稼ぎが目的だろうと思った。
普段ならスルーするところだったが、彼女のアカウントは私がちょうど興味を持っていた美容に関する情報が多く取り扱われていた。
見るだけだったら問題ないかな、と思ってリクエストを許可した。
「私のアカウントは友達の連絡用と、見る専門だしね」
たまにはこういう、普段は見ないアカウントを眺めるのもいいだろう。そう思ったとき、部屋の扉をノックする音がした。
扉を開けると、そこに立っていた潤が「一緒にお風呂入ろうか」と、まるで散歩にでも行くような気軽さで、さくっとお風呂に誘ってきた。
断る理由が咄嗟に見つからない。
呆然とする私に、潤は「これも夫婦円満の一環だからね」と甘く微笑んだ。そんな風に微笑まれると、私はとても弱い。
目を白黒させながらも、一緒に入浴することになってしまったのだった。
この家のバスルームは、黒のタイルと壁に囲まれ、御影石の浴槽を備えた隠れ家のような空間だ。たっぷりと降り注ぐシャワーの音と、湯船が揺れる音が反響する。
暖かな湿気が体を包み込み、床暖房も完備されていて寒いことはない。
お互いにさっと体を清め終えたあと、私は鏡の前にあるバススツールに座り、体を丸めるようにして縮こまっていた。
「知佳、そんなに恥ずかしがらなくても」
「だ、だって……裸同士だし!」
「お互い裸を見たのは、これが初めてじゃないのに?」
「っ!」
顔に熱が上り、後ろにいる潤を少し強めの視線で睨む。
眼鏡を外した彼の体は、服の上からでは想像できないほど男らしく引き締まっていた。
鎖骨から胸元にかけて流れるような筋肉のラインは美しく、瑞々しい。
その胸元には、ネックレスに通した結婚指輪が水滴に濡れて輝いている。
デスクワークばかりだと腰痛になるから、普段から筋トレなどをしていると言っていた。
そんな男らしい身体に私は抱かれたのだということを、どうしても思い出してしまい、「意地悪しないでください」と心の中で訴えるのが精一杯だった。
「ごめん、そんな可愛い顔で睨まないで。お詫びに頭を洗ってあげるから」
背後からくすっと笑い声が聞こえ、潤の手が鏡の前に置いてあるシャンプーボトルをプッシュした。
そして、すでに濡れている私の頭へと優しく触れた。
「んっ」
「かゆいところがあったら言ってね」
「う、うん」
鏡越しに映る潤は眼鏡がない分、よりプライベートで色気が増して見える。
実は、潤はそこまで視力が悪くないらしい。
そんな彼の素顔と指先。
潤の健康的な肌の上を水滴が滑り落ちる様子に、私は忙しく視線を彷徨わせる。
クシュ、と髪を洗う音が響き、シャンプーの液体がモコモコと膨らんでいく。
丁寧な指使いで頭皮をマッサージされるたびに、フラワリーな香りが浴室いっぱいに広がり、少しすると気持ちが良くて肩の力がふっと抜けた。
「そう、そのままリラックスして。俺は知佳から求めない限り、絶対に手は出さないから」
胸の奥にあった想いを見透かされ、小さな驚きは、髪を洗う泡の中に一緒に溶けていく。
「でも、俺が知佳にしか興味がないと知ってもらうには、こういうことが一番早いからね……それに、新婚夫婦っぽいことをしてみたかったんだ」
悪戯っぽく笑う潤。
お互いに裸という状況が、私の言葉を詰まらせる。
さっき、食卓では素直に言えたのに。
なんとももどかしいけれど、今後こういう状況にも『夫婦』として慣れていくべきなのだろう。
それとは別に、やっぱり裸ということもあり、
(潤みたいに、もっと引き締まった体になりたい。背中、肌荒れしてないよね?)
など、色んな思いが泡のように浮かんではぱちんと弾けて消えた。
そのとき、潤が耳元で囁いた。
「それで、知佳。悩み事があるって言っていたけれど、それは何かな?」
鏡越しに視線が合い、潤がくれたきっかけを見逃すまいと、私は自分を抱きしめる腕に力を込めた。
「実は……ちっぽけなことかもしれませんが。私、この性格をちょっと変えたいと思っているんです」
「それはなぜ?」
「──潤の奥さんになったから」
「なるほど」と潤は短く答えてから、「泡を流すから、少し上を向いて。そう、目に泡が入らないように目を閉じていて」と言った。
潤の指先が私の顎をそっとなぞる。
敏感に反応しそうになるのをこらえ、私は言われるがままに上を向いて目を閉じた。
すぐにシャワーの温かい水流が、シャンプーを流していく。泡がするすると頭から首筋へと伝い、下へと落ちるのが分かった。
潤の指先が、私の耳や目に水や泡が入らないよう丁寧に流していく手つきは、まるで本物の美容師のようだ。
その繊細な感触と共に、私の放った言葉も泡と一緒に流されていくのかな。
やっぱり、ここはもっと色気のある話題を口にしたほうが良かったかも……そう思ったとき、潤の声が浴室に響いた。
「俺は今のままの知佳に何の不満もないよ。知佳がそうしたいと思うなら、俺に止める権利はないけれど……」
サァァと流れる水の音に、潤の声が重なる。
「今日、会社で男たちが『知佳に微笑んでもらった』って言っていた」
「えっ」
そんなことをしただろうか、と驚いて目を開けようとすると、「泡が目に入るよ」と、潤の濡れた手がそっと私の目を覆った。
視界が生温い闇に包まれる。
「知佳はね、自分が思っている以上に魅力的だ。容姿も性格も俺からすると申し分ない。なのに、それ以上魅力的になられると俺が困る」
「そ、そんなことは……」
「あるよ」
潤が言い切ると、瞼の上の手はゆっくりと離れていった。私は瞼をゆっくりと開ける。
けれど、「リンスをするからそのままで」と制止され、大人しく従った。
リンスのボトルをプッシュする音が響く。
潤の繊細な手つきで、髪にリンスが馴染まされていく。
頭皮やうなじまで丁寧にマッサージされる感覚が心地よくて、思わず言葉を失ってしまう。
しばし、浴室には髪を撫でる音だけが支配した。
潤がリンスを流し、ゆったりとした時間の流れに沿うように、再び会話が紡がれる。
「俺以外の男が知佳のことを話題にするたび、俺は周囲に知佳のことを自慢してやりたくてうずうずする。知佳に触れていいのは、夫の俺だけだと主張したくなる。だから、知佳はそのままでいてくれるとありがたいな」
くすっと小さく苦笑する潤の声。
ここで『わかりました』と一言言えば、この会話は綺麗に終わるだろう……そう感じたけれど、私はそっと後ろを振り向いた。
しっとりと濡れた潤の上半身は素敵で、見つめ続けたい気持ちと、恥ずかしくて目を逸らしたくなる気持ちがせめぎ合うけど、私は彼をじっと見つめた。
裸で、髪まで洗ってもらって──こうなれば、洗いざらい気持ちを伝えるのは今しかないと感じたのだ。
私はずっと自分を抱きしめていた腕を解き、髪に触れる潤の手に、自分の手を重ねた。
コメント
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えっと…めっちゃ大人な雰囲気のエピソードでしたね(照)。浴室の描写がすごく細かくて、潤の優しい指使いとか、シャンプーの香りとか、まるでそこにいるみたいな臨場感でした。そして「知佳はそのままでいてくれるとありがたいな」って潤のセリフ、めちゃくちゃグッときました…もう、結婚ってこういうことなんだろうなって。