ヒートと花吐き病で今までにないくらい体調を崩した。
退院した後、しばらく落ち着いていた体調が反動でも起きたのかと言わんばかりに悪化した。
自分の番…クロノアさんとの接触やコミュニケーションを絶ってるせいだろう。
痛みで誤魔化してきたけど、今回はそれができないくらい強いヒートを起こしていた。
したくない自身を慰める行為をしなければならないほどに。
クロノアさん以外は絶対に嫌だ。
好きでもない人には触られたくない。
「く、そ…ッ」
我慢してきたものが今になって出てくるなんて最悪だ。
「、い、ゃだ…」
体を丸め、腕に爪を立てる。
それでも熱は引かないし、Ωとしての本能でαを求めようとしている。
触ってほしい、触ってほしくない。
そんな感情が身体中を巡っていた。
「くろのあ、さん…ッ」
そこでピンポーン、とインターホンが鳴った。
その音で理性が本能を抑えつける。
「?…だれだ…?」
なんとも間の悪い来客だ。
ヒートのことを知ってるぺいんとやしにがみさんは来ないだろうけど、今回は突然で予期せぬものだったからもしかしていつものように様子を見に来たのかもしれない。
あの人は来ないだろうから。
「っ、…」
数回鳴るその音に若干苛つく。
普段ならちゃんと確認してから出るのに、思考が回らなくなった俺はふらつきながら誰かも確認せずに迂闊にドアを開けてしまった。
「は、い…どなたで、すか…?」
目の前に見たことない人物が立っていた。
「あ、よかった。オレ、隣に引っ越し…て、きた…」
「⁈」
直感でヤバいと思って開けたドアを閉めようとした。
「(こいつ、αだ…っ)」
でも、ドアは閉まらなかった。
その新しい隣人という男がドアを掴んでいたから。
「…ヒート起こしてるんですね。…相手もいるみたいだけど、…すごい匂いだ」
「ゃめ、…来るな…!」
ドアから手を離し部屋の奥に逃げようとした。
が、花吐き病のせいやまともに食事をとらなかったせいで手を掴まれ簡単に押し倒されてしまった。
「嫌だ…!離せ…っ!」
「っ、誘ったのはそっちでしょ?」
「ちが、違う…!」
嫌だ。
クロノアさん以外は嫌だ。
心が拒否している。
体も気持ち悪さで鳥肌が止まらない。
「ゃめろ…!」
振り上げた手も簡単に取られてしまった。
そのまま床に縫い付けられ、着ていた服をたくしあげられて肌に触れられる。
「ひ、っ…」
拒否反応が出ているのに、体は動かない。
「大丈夫、すぐに何も考えられなくしてあげますから」
ダメだと諦めかけ、もうこのまま身を任せた方がいいのかもしれないと思ってしまった。
心も体も、あの人に触れてもらえないなら。
そしてそんな浅ましいΩの本能を、自分を呪った。
「何してんの」
ハッとして涙目で声のした方を見る。
「…何してるのか聞いてんだけど」
「、ひっ…」
俺の上に乗っかっていた男はクロノアさんに威嚇され、謝りもせず逃げていった。
「………」
「………」
長い沈黙。
気まずい空気が流れた。
「す、みません、でした…ありがと、うござ…います…」
謝ってお礼を言って、鈍い動きで起きあがろうとした。
「Ωってそうやってαのことを無理矢理誘う最低な人間なんだね」
その発言に動きを止める。
「ぇ」
普段というか、優しいクロノアさんからは聞いたことのない言葉。
冷たい声。
俺に対してだから余計に、冷たく感じる。
「俺じゃなくてもいいってことだろ」
「ちがいます!…さっきのは…っ」
確かに俺の不注意だ。
けど、決してそういう意味では。
「違う?…さっきの奴に任せようとしてただろ」
見抜かれていた。
Ωの浅ましいところを。
俺の弱さを。
「…、…っ」
嫌悪する相手が目の前でヒートを起こして、自分以外のαを誘発させればそう反応するのも当たり前だ。
元々、αの中でもΩのヒートを嫌う者もいる。
無理矢理誘発されるのだから、忌み嫌っても当然だ。
自分の意思と関係なく発情させられ、相手を襲う。
既成事実を作るために薬を使ってヒートを起こしたΩがαをラット状態にさせて襲わせるという事件も多くないにしても、決して少ないというわけではない。
クロノアさんはもしかして、俺のこともそう思っていたのだろうか。
誰でもいい、最低なΩだと。
「ぅ…」
花を吐きそうになった。
でも、この人に知られるわけにはいかない。
それを無理矢理飲み込み、とりあえず持っていた抑制剤を規定以上に手に取り出し口の中に放り込む。
水はないためそれを噛み砕いて無理矢理、喉奥に飲み下す。
意味がないと分かっていても。
「は、っ…ぅゔ…」
黙ってそれを見ていたクロノアさんは溜息をついた。
「…いくら運命だとしても俺は相手する気はないからね。それに、無理だし、……誰でもいいって思うきみなんて願い下げだね」
哀れむように汚いものを見るようにして、そう吐き捨てて立ち去ってしまった。
バタンと閉まるドア。
「ぅ゛ぐっ…ッ」
途端に我慢しきれなかった吐き気が込み上げ、花弁を吐き続ける。
噛み砕いて飲み下した抑制剤も吐いてしまっていた。
「う、ぇ゛…っ」
止まらない嘔吐。
出続ける花びらたち。
「ぁっ、ぐ、ぅ…」
ついに花弁でなく花自体を吐いた。
その瞬間、薄くはなっていたけど自分を包むように残っていたクロノアさんのフェロモンが完全に消えた。
「ぁ゛…?」
番を強制解消されたのだ。
見捨てられた。
このタイミングで。
見放された。
この瞬間に。
見限られた。
今、この場で。
「ぇ、あ…?」
深い深い喪失感。
寒気にも似たそれ。
それなのに身体は熱く、治まらない己のヒート。
「ぉ…れ……すてられた…?」
苦しくて、死んでしまった方が楽だと思うくらいに。
このまま身も心も消耗してしまうくらいならば、汚らわしいと思われてしまったくらいならば、
捨てられたのだったら、
「しんだほうがいい」
やりたいことも、みんなとしたいことだって沢山あった。
でも、ぺいんとやしにがみさんにこれ以上俺のこんな無様な姿を見せたくない。
迷惑をかけたくない。
俺のせいで2人を悩ませて悲しませて苦しませたくない。
リスナーのみんなにも心配をかけさせたくない。
「………、」
クロノアさんに嫌われたままなのは心残りではある。
けど死んだ瞬間、全てを思い出させるなんて、
「ホントに、神もクソもねーな」
変に冷静になり始める。
冷めていく思考。
番関係が解消された今、もうそれは意味を成さない。
思い出されたところで、俺とあの人の関係は終わってしまった。
「ふっ、…は、はは……あははは…ッ」
ひとしきり笑って、フラフラしながら立ち上がる。
散らばる花弁と花を片付ける気力はない。
でも、もし誰かが触ってしまったらと思うとやっぱり片付けなければならない。
そう思うとまた笑いが込み上げてくる。
「く、ふ…ふは…っ」
なんと滑稽だろうか。
クロノアさんの病気が判明した時点で番を解消してくれた方がよっぽど良かった。
なんで、さっさと俺のことを解放してくれなったのか。
解消されれば二度と俺は番は作れない。
永遠と、死ぬまで苦しんで生きていかなければならない。
それが今の状況と何が違うと言うのか。
遅かれ早かれ、俺は苦しむのに変わりなかった。
傷は浅い方がいい、深くなってからでは治らない。
「ふ、っ…はははッ」
いや、違う。
俺があの人に追い縋って離そうとしなかったのだ。
みっともなく、ありもしない希望を抱いて。
クロノアさんを解放できなかったのは俺の方だ。
「は、はっ…ははははっ!」
だったら、今死んだ方がいい。
誰も知らない場所で消えてしまった方がいい。
散らばる紫と白の花弁たちを袋に詰める。
迷惑は誰にもかけないように。
「…どうしようか、できるだけ苦しい思いをせずに死にたいし…」
調べる為にスマホを手に取る。
画面にはぺいんとたちからメッセージや着信などがたくさん入っていた。
そう言えば、しんどすぎて連絡が返せなかったのだ。
もしかしたら、クロノアさんは2人に言われて様子を見に来てくれたのかもしれない。
「……いや、それは無いな」
来るならばぺいんとかしにがみさん。
もしくは2人が来るだろうから。
「……」
2人の嬉しそうな笑顔が浮かぶ。
誰よりも俺たちのことを喜んでくれた2人。
「っ、」
俺が死ねばぺいんとたちをもっと悲しませる。
でも、もう生きてることがつらい。
Ωにとってのαの喪失がどれほどのものか。
どう転んでも、俺は死ぬしかないのだ。
「……」
メッセージは開かなかった。
文字を見れば、嘘を並べてまた2人を悲しませるから。
電話も掛け直さなかった。
声を聞けば、2人の優しさに追い縋ってしまうから。
決意が、揺らいでしまうから。
「色々、片付けねぇと…な…」
スマホの電源を落としてテーブルに置く。
もう一度、抑制剤を大量に飲み込む。
「はっ、」
不公平にも程がある。
この世は不条理でできている。
目の前に広がるものが全て無価値なものに見えてしまった。
それは、自分も含めて。
「……早めに取り掛かろう」
処分できるものは業者に頼んだ。
“自分”というものを残さない為に。
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「……結構、時間かかったな」
部屋の中に残っているのは俺だけ。
電源の落としたスマホは解約した。
それを捨てることができなかったのはみんなとの、クロノアさんとのたくさんの思い出が詰まっていたから。
解約する前に冠さんにだけ、体調不良で無期限の活動休止をさせてほしいと頼んだ。
事実、体調は良くはないし、その理由ならリスナーにも通じるだろう。
大丈夫なんですか、と心配そうな声に明るく大丈夫と、返してそのままショップに行って解約した。
『必ず、戻ってきてください。どんなに時間がかかっても待ってますから。僕も、ぺいんとさんたちも、スタッフも、リスナーたちも』
冠さんのその言葉に、ちゃんと良くなって帰るからと嘘をついてしまった。
「女々しいな、俺って」
持っていても意味のないただの暗い画面のままの板だ。
それでも手放せなかった。
ぺいんととしにがみさんに相談もせず勝手に決めてしまった自分本位な俺のことは、許さないでほしい。
俺にできる精一杯の贖罪は許しを乞わないことだから。
「……さて、どこに行こうか」
できるだけ人目のつかない真夜中に動き出す。
愛車に乗り込み、花弁の詰まった袋を後部座席に置いて。
「みんな、ごめん。弱い俺で、ごめんな」
泣きそうになりながら、慣れ親しんだ街を出て行った。
思い出のない場所に向かって、誰にも知られないところへ。
紫…私は全てを失った
白…不幸な愛
コメント
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試して読ませて頂きましたが…だいぶ心に来ましたね。途中涙が出そうになりましたもの…私としては早くトラゾーさんが救われることを願うばかりです…そしてこの先どうなるのかと早く続きを見たいと思う気持ちが強くなるばかりです(わがままですいません)
色んなパターンは考えてますが、推しには幸せになってほしいのでバッドエンドにはしませんので、ご安心を…。 ただ、完結させた後には色んなパターンという名のエンドを書くかと思います。
切ない(;ω;`) ガチでこういうのくるんですよね、自分も片思いこじらせてましたから、今もなんすけどね諦めたくても諦められないという最悪状況。 てかトラちゃん大丈夫?バットエンドならないですか?めっちゃ気になっちゃっててネタバレになるのであれば答えなくて大丈夫です!