「散らかってっけどまぁ上がれよ」
コンクリート打ちっぱなしの玄関先、靴を脱ぎながら想が結葉を振り返ってそう言ったけれど、実際お邪魔してみると全然そんなことはなくて。
そもそも半畳ほどしかない玄関の三和土には、いま想と結葉が脱いだ靴以外の履き物は一足も出ていなかった。
余剰な靴は全て備え付けのシューズボックスに収められているのかな?と思った結葉だ。
「お邪魔します……」
言って、想に続いて足を踏み入れた玄関を抜けてすぐのLDKも、そこを抜けた先の洋室も、むしろ独身男性の一人住まいとしてはかなり片付いているくらいで。
確かに花が飾ってあるとか、そういう華々しさはなかったけれど、物自体が少ないからか、雑然とした感じが全くしなかった。
「すっごく綺麗だよ?」
そう言えば、想は実家の部屋もこんな感じでさっぱりと片付いていたな、と結葉は懐かしく思い出す。
「まぁ物がねぇから散らかり様がねぇだけなんだけどな」
ククッと笑いながらエアコンのスイッチを入れた想が、「まぁ、適当に座っててくれ」と言って、キッチンに向かった。
「お前、紅茶好きだったよな?」
ティーバッグあったかな、と言いながら戸棚を開ける音がして。
「あ、あのっ、想ちゃん、本当お構いなくっ」
雪日の入ったトートバッグを置いて、結葉も慌てて想のところへ向かった。
***
ローテーブルに置かれたミルクたっぷりの、ほんのり甘いミルクティーを飲みながら、想と向かい合わせ。
想は、紅茶もミルクなしにたっぷりの砂糖を入れるスタイルで。
「お洒落なティーカップなんてねぇからこれで我慢な?」と苦笑しながら出してくれた大きさも形もチグハグなマグカップが想らしくて、結葉にはすごく微笑ましかった。
美味しそうに紅茶を味わう想を見つめながら、偉央とは結局一杯ずつしか一緒に飲めなかった母からの貰い物のティーバッグのことを思い出して、ふと切なくなった結葉だ。
逃げるのに夢中で、あれはマンションに置き忘れてきてしまった。
偉央がおかしくなる前の日にもう一杯だけ一人で飲んだけれど、あの時出しっぱなしにしてしまったカップを片付けてくれた辺りから偉央の様子がおかしくなったことに今更のように思い至った結葉だ。
あの日、結葉は自分がいつも愛用しているマグと、客用のティーカップを使ったのをふと思い出した。
もしかしたらそれを見た偉央が、自分がいない間に結葉が家に誰かを招き入れたと思い込んだんじゃないかとハッとして。
そう考えたらあの時の偉央からの置き手紙や、その後の偉央の言動にも得心がいく。
(偉央さんの勘違いなのに)
結局偉央は結葉に事情を何も聞いてくれないままに凶行に至ったんだと思うと、物凄く切なくなった。
(想ちゃんなら、もし同じ状況になっても……沢山私の話を聞いてくれて、そのあと俺の勘違いだったかって笑って、一緒に美味しく紅茶を飲んでくれたのかな?)
――今みたいに。
そんなことを思ってじっと想を見つめたら「ん?」と問いかけられて。
結葉は「何でもない」と慌てて紅茶をひとくち飲んだ。
そこで、想が作業着姿なのを認めて、ドキッとする。
「想ちゃん、のんびりしてるけど……お仕事大丈夫なの?」
そう言えば、今日は平日なのだ。
偉央がいつも通り仕事をしていてくれたから、結葉はこうして逃げ出すことができた。
緊急事態だったから失念していたけれど、結葉の事情に巻き込んでしまった想にだってきっと、彼なりの用事があったはずだ。
それを今の今まで失念していた自分にほとほと嫌気が差して、思わず眉根を寄せたら、想が「朝イチで休みにしてもらったから心配すんな」と事もなげに笑って。
(でも、お仕事ってそんなに簡単に休んだり出来るものなの?)
結葉は結婚後、すぐに仕事を辞めさせられてしまったから、ほんのちょっとしか社会人としての経験がない。
だからハッキリとは分からないけれど、仕事をすると言うことが、そんなに甘いものではないことくらい分かっているつもりだ。
「バ〜カ。こう見えて俺は次期社長だぞ?」
結葉の心配を吹き飛ばすみたいに、想が「その気になりゃあ何とでもなるんだよ」と、ククッと笑ってみせてくれた。
けれど、だったら尚のこと責任ある身じゃないの?と思ってしまった結葉だ。
何を言っても結葉が心配そうな顔を崩さなかったからだろうか。
想は小さく吐息を落とすと、スッと居住まいを正して真剣な顔になる。
「――誤魔化せねぇみたいだから正直に言うな? 俺、親父にこう言う日が来るかも知れないって前から話してあったんだ」
言って、結葉の顔をじっと見つめると、
「お前の様子がおかしいの気付いてて、ずっと気になってたって言っただろ?」
そう付け加えた。
「想、ちゃん……」
想がそんなにまで自分のことを気にかけてくれていたことに。
そうしてそんな息子の懸念を、公宣が惜しみなくバックアップしてくれたことに。
結葉はずっとずっと自分は一人ぼっちだと思っていたけれど、そんなことはなかったんだと気付かされて、じんわりと涙ぐんでいた。
***
「結葉。時間経っちまったけど……さっき、俺に何を聞きたかったか覚えてるか?」
ややして、想がカップをテーブルに置きながらそう問いかけてきて。
結葉は小さくうなずいた。
コメント
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ちゃんと話してね。 足の怪我も見られてるしね。