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#パワハラ上司
#インフルエンサー
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スマホが震えるたびに、私の脳内で何かが弾けるような感覚がある。
ピコン、ピコン。
絶え間なく鳴り響く通知音。
それはかつての地味で、誰の目にも留まることのなかった「奈緒」という器には、決して注がれることのなかった熱狂的な賞賛の嵐だ。
《美咲ちゃんより可愛いかも》
《可愛すぎる!推すしかない!》
「……ふふっ」
暗い自室。
カーテンを固く閉ざし、照明も落としたその場所で、私はスマホの放つ青白い光だけを頼りに身を横たえていた。
もう鏡は見ない。
そこに映る、くすんだ肌や左右非対称の眉
生気のない目をした「本物の私」を見るのは、もう耐えられないからだ。
今や、画面の中の私だけが、私の「正解」であり、唯一の存在証明だった。
『奈緒、すごい反響だね。私のフォロワーも、みんな奈緒に夢中だよ』
美咲からのメッセージが、夜の静寂を切り裂いて届く。
彼女は怒るどころか、自分のことのように喜んでくれている。
やっぱり美咲は、私の全てを理解してくれる最高の親友だ。
そう自分に言い聞かせることで、心の奥底で疼く得体の知れない不安を塗りつぶしていた。
『これ、もっと設定を上げられるんだよ。試してみない?』
送られてきたリンクをタップすると、アプリの深い階層にある隠し設定画面が妖しく開いた。
『シンクロ率:30%』
バーをゆっくりとスライドさせる。
画面の中の私の輪郭がさらにシャープに、鋭利に研ぎ澄まされ
肌の質感はもはや肉の温もりを失い、陶器のような完璧な滑らかさへと書き換えられていく。
「……あ」
吐息が漏れる。
あまりの美しさに、指先が微かに震えた。
もう、鏡の中の自分のパーツがどこに残っているのかさえ分からない。
目鼻立ち、表情の癖、指の形に至るまで
私という個人の痕跡は、フィルターという名の洪水に飲み込まれ
美咲という「美」の概念に浸食されていた。
でも、それがどうしたというの?
こんなに多くの人が私を愛してくれている。
こんなにも、この「私」が求められている。
「いいね」の数が万単位に膨れ上がるたび、私の自我は麻薬を打たれたように高揚する。
誰かに認められることが、こんなに恐ろしく
それでいて、致死量に達するほど甘い毒だなんて、これまでの人生では知る由もなかった。
「……ねえ、奈緒」
不意に、背後の闇の中から、確かに声がした。
美咲の声だ。
でも、それはスマホのスピーカーからではない。
誰もいないはずの、部屋の暗い隅から。
「もっと、私に近づいて。もっと、お揃いになろう?」
冷気が背筋を撫でる。
心臓が早鐘を打ち、呼吸が止まる。
慌てて壁のスイッチに手を伸ばし、部屋の電気を点けた。
眩い光が部屋を満たす。そこには誰もいなかった。
ただ、本棚の影と、乱れたベッドがあるだけ。
「……気のせい、よね」
私は震える手でスマホを握りしめ、再び画面の中の「完璧な自分」に縋りついた。
しかし、消えかけたスマホの画面の中で
フィルターを通した「私」が、私の意志とは無関係に、一瞬だけニヤリと歪んだ口角を上げたように見えた。
通知音は止まらない。
それはまるで、外側の世界から
もう一人の誰かが私の殻を執拗に叩いているような、そんな恐ろしい錯覚に陥る。
それでも私は、この甘美な牢獄から逃げ出すことはできなかった。
もう、元には戻れないと、魂が理解し始めていたからだ。