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何も答えない紗英に焦れたように浅田医師が言葉を重ねて。
今まで黙って座っていた江根見則夫が、「お言葉ですが浅田さん、それは……うちの娘のことを隠し撮りをなさっていたということですか?」とどこか責めるような調子で口を挟んだ。
(貴様がそれを言うか……)
散々女性たちが凌辱されている現場を隠し撮りしておいて、どの口がそれを咎めるのだろう?
そう思った尽の冷ややかな視線を黙殺して、浅田医師を見詰める江根見則夫は、やはり相当に性質が悪い男だ。
「隠し撮り? 自宅の防犯カメラにたまたまそのようなシーンが映り込んでいたのをそう呼ぶのでしたら……そうなのでしょうね」
だが、浅田医師も黙ってはいない。
小さく吐息を落とすと、則夫をじっと見つめた。
「だが、家主であるはずのご主人はそのカメラの存在をご存知なかったのではないですかな?」
それが何だと言うのだろう。
尽はのらりくらりと話の本質をすり替えようとする則夫に苛立ちを覚えて。
口を開こうとしたら、一瞬だけ浅田医師から必要ないとも取れる視線を送られて、口を挟むのを控えた。
「家主? 自宅はわたくしの持ち家ですが、何か? ひょっとして貴方は何でもかんでも女が男の下にいるとでも思っていらっしゃるのかしら? だとしたら前時代的でお話にならないんですが」
「この女、言わせておけばっ」
則夫が鼻白んだのに、ひるんだのだろう。
「あ、阿澄っ、もうそのぐらいに」
「アナタは黙ってて」
いつになく好戦的な妻の様子に、オロオロとした調子で富士雄が口を挟んだが、たった一言で一蹴されてしまう。
「立場がお分かりになっていらっしゃらないようですね。江根見さん」
真っ赤な顔をして自分を睨み付ける則夫を、ふっと笑って小馬鹿にすると、浅田阿澄がマイクロSDを机上に置いた。
「この中に、先ほどお話した動画が入っています。近いうちに弁護士を通じて慰謝料などのお話が行くと思いますのでそのつもりでいらしてください。本来はお嬢さんご本人がお支払いして下さるものでしょうが、きっと彼女にはそんな力はありませんよね? せいぜい娘さんのために親らしいところを見せて下さいね? では……わたくしどもはこれで失礼いたします」
そこで尽をちらりと見詰めると「お騒がせしました」と丁寧に頭を下げて、富士雄を伴ってさっさと退室してしまう。
完全に何も言い返せず固まってしまった則夫が、抑えきれない怒りの矛先を娘に切り替えて、忌々し気に紗英を睨み付けた。
「バカ娘が! やるならせめて場所を選ばんか!」
その一喝にビクッと縮こまる紗英を見て、博視があからさまに吐息を落として。
「江根見部長。それは場所が違えば婚約者がいても娘の浮気は許すと言う意味ですか?」
博視からの静かな問い掛けに、則夫が部下を睨み付ける。
「何だ、横野、その口の利き方は! お前までわしに盾突くつもりか!」
日頃公の場では「私」と称していた則夫が、「わし」と素を丸出しにしてしまっているのは、それなりに心がざわついている証拠だろう。
相当苛立った様子の上司からの恫喝に、しかし博視は全くひるむ様子もなく――。
「俺からもお嬢さんに慰謝料を請求させて頂こうと思います」
「はぁ!? お前まで何を言い出すんだ!」
「そうだよ、博視まで紗英をいじめるなんて……酷いっ」
社内で大々的に婚約発表をしたうえに、婚約指輪だって紗英に贈っている横野博視には、その権利があるだろう。
だが、何やら三人で揉め始めたその様を見て、尽は釈然としない。
天莉とは恋人同士だったから立場は違うだろうが、博視が天莉にしたことも、紗英が博視にしたことと大差ないと思えたからだ。
(せいぜい調子に乗っているがいい。お前には俺がそこの父娘ともども引導を渡してやる)
博視にふられた直後の天莉の傷ついた姿を知っている尽としては、まるで自分だけ蚊帳の外で被害者面をしている横野博視のことが心底腹立たしくて仕方がない。
日和見男の風見斗利彦はそんな親子と婚約者のトラブルに巻き込まれまいとしているのだろう。先程からだんまりを決め込んでいた。
だが席的に江根見親子と博視に挟まれているから居心地が悪いらしい。
始終うつむいたままで表情が見えない。
「先程から黙っていらっしゃいますが、風見課長も紗英とは関係を持たれていたようですし、事実関係を明らかにした折には改めてお話させて頂きます」
だが、博視はそんな風見にも容赦するつもりはないらしい。
そこに関しては勝手にしてくれと思った尽だったが、放置しておいたらどんどん話がそちらに持っていかれそうだったので、場を仕切り直すことにした。
「――ヒートアップしてきているようですが、低俗な揉め事は後ほどにして頂けますか?」
言いながらも、(もっとも、このあと四人で顔を突き合わせて話せる機会があればの話だがな)と心の中で付け加えた尽だ。
尽は背後に立つ直樹へ目配せすると、「先生を呼んできてもらえるか?」と問いかけた。
***
「若造めが! 入社してくるなり役付きになったようなお前なんぞに指図される覚えはない!」
直樹が尽に一礼して立ち去るのを見て、江根見則夫が吐き捨てるように言葉を投げ付けた。
「――ほぅ。それが本音かね?」
尽がククッと笑うと、則夫が鼻白む。
「当然だろう! わしは何年もかけてやっと部長まで昇りつめたというのに! 入ってくるなり常務取締役とか! よくは知らんが、どうせ親の七光りか何かだろう! ――いや、ある意味左遷か?」
則夫の言葉に尽は眼鏡越し、スッと瞳を眇めた。
「左遷?」
「だってそうだろう! お前は元々アスマモルの方で開発研究部所長を務めていたんだ! その子会社のうちに飛ばされるとか……いくら常務取締役なんて肩書を与えられたとしても、体のいい島流しじゃないか!」
「島流し、とは随分な言いようですね。江根見部長はご自分の勤め先をそんな風に思っていたという見解でよろしいですかな? ――もしそうだとしたら、ミライに対して相当に失礼だ」
「失礼? はっ! そう思わないとお前自身がやっていられないだけだろう!」
則夫の言葉に、尽は心底呆れ果ててしまう。
「確かに私はここへきて一年ちょっとの新参者ですがね、貴方のようにミライを卑下したことは一度もない。まぁもっとも――」
そこで直樹が初老の男性を伴って戻ってきたのを見て、ちらりとそちらに視線を流して一礼すると、尽はそのまま続けた。
「親の七光りと言うのは当たらずとも遠からずだ。こちらへの異動願いを出した際、私はそう言ったものを確かに使わせてもらったんでね」