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株式会社ミライの親会社であるアスマモル薬品の現社長は田母神啓。
株式会社ミライを起業した創設者でもある。
「桃坂先生、今日はわざわざこちらまでご足労頂き、有難うございます」
「問題ありませんよ、尽ちゃん。これも仕事のうちですからね」
尽は則夫から視線を外して席を立つと、父親と同年代の桃坂へ自分のすぐそば――右手側上座の席を勧めた。
尽から〝桃坂先生〟と呼ばれた男は、まるで尽を昔から知っている近所の子供くらいのフレンドリーな対応で接して来て。
尽はそのことにちょっとだけ苦笑する。
桃坂はフルネームを桃坂正二郎と言って、アスマモル薬品の顧問弁護士をしている人物だ。
今日は理由あって、ミライの方へ出向してもらっているが、本来ならばこちらにはこちらで専属の弁護士がついている。
その弁護士を呼ばずに、桃坂にここまで足労してもらったのは、もちろん今回の件がアスマモル薬品の利権に関わることだからだ。
「君たち二人がアスマモル薬品を出てから随分になりますが、やっと例の件が解決しそうで、僕も田母神くんもようやく肩の荷が下ろせそうです」
アスマモルの社長・田母神啓とは旧知の仲だという桃坂は、尽と直樹を交互に見遣ると、雇い主である啓のことを親し気に「田母神くん」と呼んだ。
「問題をさっさと解決して……尽ちゃんとナオちゃんが一日でも早くあちらへ戻れるよう、僕も力を尽くさないといけませんね」
ニコニコ笑いながら、桃坂は自分の登場で押し黙ってしまった江根見則夫と風見斗利彦の前に、いくつかの書類を並べていく。
そこには数年をかけて尽と直樹が調べ上げた則夫と風見の悪事が時系列に添って分かりやすくまとめられていた。
「今日はひとまず資料としてこちらをお渡ししますが、別途内容証明でアスマモル薬品からの訴訟内容などもお送りさせて頂いておりますので、そちらも併せてご確認下さいね」
桃坂弁護士ののほほんとした言葉に、「はぁ!?」と則夫が噛みつかんばかりの勢いで目の前の紙束を手に取った。
「江根見部長。私がアスマモル薬品で研究・開発していた過眠症の治療薬の研究データを、あちらの社員を買収して入手したのが貴方だという証拠はあがっています」
並べられた書類を顔面蒼白になりながら必死でめくる則夫に、尽が淡々と語り掛ける。
「あの薬は致命的な副作用が確認されて、プロジェクト自体を一旦白紙に戻したものです。本来ならば社外へ出る事など有り得ないはずのものでしたし、ましてやそれを悪用する人間などいてはならない薬でした。そして――」
そこで一度言葉を止めると、尽は力ない様子で紙片をめくる風見へ視線を移した。
「あの薬の副作用のことをアスマモルの社員から聞き付け、悪用する話をそちらの江根見部長へ持ちかけたのは風見課長、貴方ですよね?」
開発途中だった新薬は、アルコールと同時摂取することで身体能力や言語中枢の麻痺を誘発するのと同時に、覚醒作用を強く引き起こすことが分かっていた。
身動きが取れないのに感覚だけは異常に研ぎ澄まされると言う副作用は、身体を麻痺させた状態で、強烈な催淫効果をもたらすと言うことでもあって。
そのまま世に出せば犯罪などに利用されかねない。
そう考えた尽たちプロジェクトメンバーは、一旦その薬の開発を中断し、研究データを封印したのだ。
なのに、それが社外へ持ち出されてしまった形跡が発見されて。
調べを進めるうち、子会社であるミライの社員が怪しいと突き止めた尽たちは、内部からそれを探るためにアスマモルからミライへと出向したのだ。
アスマモルの営業部にいたはずの風見斗利彦が、何故か畑違いであるはずのミライの総務課長へ就任していることを不審に思った尽たちは、その辺りから徐々に包囲網を狭めていき、風見の上に江根見則夫がいることを突き止めた。
元々アスマモルの方で風見の部下として働いていた営業の沖村が、開発部にいた同期の伊崎から例の薬のことを聞きつけて、上司の風見に酒の席で「そんな薬があったら好みの女を好き放題出来ますよねぇ」と下卑た話を振ったのがきっかけだったと、先に押さえておいた沖村、伊崎から裏を取ってある。
江根見則夫と風見斗利彦が怪しいというのは比較的すぐに突き止められたのだか、薬を使って良からぬことをしているという肝心の証拠がずっと掴めなくて。
尽たちは則夫の管轄する営業部の社員全員と、則夫の娘・江根見紗英、そうして情報漏洩の一端を担ったと思われる風見が在籍する総務部を徹底的にマークした。
その中で、紗英の教育係をしていた玉木天莉のことも調べた尽たちは、天莉がこの件に関しては全くの白であることを知ると同時に、副産物的に天莉に関する他の情報も得ていたのだ。
実際には天莉だけでなく、営業部、総務部の全社員について天莉と同じように交友関係など様々なデータを収集していた尽が、天莉と出会ったばかりの頃、別件で天莉のことを調べていたと言ったのは、そういうことだった。
「江根見部長。貴方が私を陥れるためだけに私の婚約者へ手を出したのは、本当に愚行だったとしか思えませんな」
天莉を救助した尽は、あの日ホテルで天莉に頼んで彼女の血液を採取させてもらっていた。
後日その血液から例の薬の成分を検出したことが決定打となったことを示唆した尽に、則夫が「バカな……」とつぶやいた。
「ああ、江根見部長はご存知ありませんでしたね。私の婚約者の玉木天莉は、貴方が差し向けた誰の毒牙にも掛かることなく私が救出しています。――なので、彼女は薬の成分が抜けきる前に私の手中にあったのですよ」
ずっと、被害者たちの存在を認知しながらも、事後報告的なデータばかりで、薬が使われた確かな証拠のみを得られないでいた尽たちは、天莉がターゲットに選ばれたことでその確証を得るに至ったのだ。
「私としても大事な婚約者に投薬されてしまったのは大変不本意な話でしたがね、天莉が犠牲になったことを無駄にしなくて良かったと思ったことだけは確かです」
「バカな! 玉木天莉はあの日からずっと休んでいるじゃないかっ! だから私はあの女になかなか接触が出来なくて……」
「ああ、天莉が身体を弄ばれたショックで仕事を休んでいるとでも思っていらっしゃいましたか? 本当おめでたい人ですね、貴方は。――私が貴方の考えることぐらい見抜けないとでも思っていましたか?」
尽が天莉を長期間に渡って休ませた理由のひとつは江根見紗英との接触を避けさせかったことだが、もう一つは、江根見則夫が薬の開発者としての尽の名を出して、天莉を脅すことを回避したかったからだ。
「どうせ卑怯な貴方のことだ。天莉に『私の名誉に関わることだ』とでも告げて、彼女を意のままに操るつもりでいたのでしょうが、私が大切な婚約者をみすみす貴方が待ち構える社内へ送り出すわけがないでしょう!」
尽の言葉に則夫がグッと言葉に詰まる。それを横目に、尽がさらに追い打ちをかけた。
「沖村と伊崎にも話しましたが、あなた方お二人にも近いうちにアスマモル薬品から損害賠償請求が届きます。こちらとしては皆さんがしたことを許すつもりは微塵もありませんので、刑事告訴も辞さない構えです。もちろん、天莉以外の被害者女性たちともおおむね話がついていますので、そちらからの被害届も出るでしょうね。今更ジタバタ足掻いたところで結果は変わりませんし、そのつもりで首を洗って待っているといい」
「なっ! た、高嶺常務っ、私もですかっ!?」
則夫の横で資料をめくっていた風見が、二人と言われたことに反応するように素っ頓狂な声を上げて立ち上ったのだけれど――。
「は? それ、本気でおっしゃられていますか?」
尽に、眼鏡越しの冷たい視線で射抜かれて、オロオロと瞳を彷徨わせる。
「何なら風見課長。貴方には江根見部長にはない追加の罪状があるくらいなんですが、まさか身に覚えがないなどと言うつもりはありませんよね?」
「なっ。つ、追加の罪状なんて……そ、そんなのあるわけがないでしょう! わ、……私はただっ、江根見部長に言われて動いていただけなんですからっ。……ぶ、部長より悪いことなんてしていないはずだっ!」
「風見! キサマ!」
則夫が風見を睨みつけたが、尽はそれを無視して言葉を継いだ。
「ほぉ。私が天莉を助けに踏み込んだとき、貴方が私のフィアンセに何をしようとしていたか、お忘れになられたとでも?」
「そっ、それはっ」
「確かに天莉に対しては〝未遂〟だったのかも知れませんな。ですが――」
そこで尽が風見斗利彦を心底軽蔑した目で見詰めたから。
風見は何も言い返せなくなってしまった。
「……ですが他の女性たちに関しては既遂ですよね?」
風見は、女性を斡旋することでただ利権を貪るだけだった則夫と違って、薬で動けなくした女性たちを何人も無理矢理手籠めにしてきている。
強制性交等罪も適用されるはずだ。
ここに関しては則夫はノータッチだと言う調査結果が出ている。
それを仄めかした尽の言葉に、紗英がホッとしたように肩の力を抜いたのが分かった。
まぁそれはそうだろう。
父親のそういう話なんて聞きたい娘は居ないはずだ。
(娘の素行の悪さを聞かされて嬉しい親も居ないだろうがな)
尽は江根見則夫が娘を溺愛していたのと同様に、相当な愛妻家であることも知っていたから……。
余計にバカなことをして家族を悲しませるとは思わなかったんだろうかと呆れたのだ。
そもそも娘がいる身でありながら、よそ様の大切なお嬢さんたちをモノのように扱うこと自体、尽には理解できなかった。