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店休日の朝
喫茶 桜は、いつになく静かだった。
けれど、その静けさの中にも
どこかひんやりとした冷気が漂っている。
——双子が来ているのだ。
凛とした空気がリビングに流れ込み
桜の木すら微かに震えるほどの
冷え込みを感じさせる。
そんな空気を背に僅かに感じながら
レイチェルは
自室のクローゼットを開けていた。
「ソーレンって⋯⋯
フリフリの可愛い系は苦手そうだなぁ」
ぶつぶつと独り言ちる唇は
どこか楽しげに綻んでいる。
「大人系で攻めますか!」
そう決意めいた呟きをしながら
何着かの服を
手に取っては鏡にかざす。
そして、ようやく選ばれたのは——
黒のロングスカート。
しっとりとした質感で
脚に絡みつくような落ち着いた布地。
腰から流れるそのラインは美しく
どこか艶やかだった。
立っている時は気付かない。
けれど——
座ると、スリットが深く開き
太腿のラインが大胆に露わになる。
そのバランスに
レイチェルは鏡の前でふっと笑った。
「うふふ!
映画館の中で
少しでも⋯⋯
ドキッとしてくれたら、いいな」
緊張ではなく
ほんの少しの期待と——
彼と過ごす
特別な時間を彩るための服。
そんな思いを胸に
さっと身支度を整えて
最後に淡いリップを引いた。
そのタイミングで
扉の向こうからくぐもった声が届く。
「おーい。支度できたかよ?」
「うん!今行くね!」
心が弾む。
階段を軽やかに降りると
リビングでは一同が
テーブルを囲んでいた。
時也、アリア、青龍——
そして、双子のエリスとルナリア。
双子はきちんと並んで座り
背筋を伸ばして
青龍と小さな話を交わしている。
その風景を見て
レイチェルは
胸がじんわりと温かくなった。
「お二人共
お気を付けて行ってらっしゃい」
時也の柔らかな声が
包み込むように響いた。
それは
まるで祝福のようでもあり
応援されているようでもあった。
「はーい!」
レイチェルが笑顔で手を振ると
ソーレンは無言で小さく頷き
足元を軽く踏み出す。
肩を並べて喫茶 桜を後にする。
扉が閉じるその瞬間
冷気の漂う家から
外の世界へと切り替わる。
朝の陽光が少しずつ雲を透かし
街路樹の影を長く落としていた。
レイチェルは、ちらりと横を見る。
いつも通りの不機嫌そうな顔。
でも——
その横顔を
ほんの少しだけ近くに感じる。
今日一日
映画という小さなきっかけが
二人の距離を少しだけ
近付けてくれるかもしれないと思うと
胸の奥がふわりと熱を持った。
⸻
街の雑踏から一歩
暗がりの世界へ足を踏み入れる。
映画館の自動ドアが
重たい空気を内に抱きながら開いた。
「ソーレン、ポップコーン食べる?」
ロビーに入り
チケットカウンターの向こうに
軽食の香りが漂ってくると
レイチェルが小さく笑いながら訊ねた。
「食う。フランクフルトもいいな」
即答するソーレンの目は
すでにホットケースの中の
黄金色のソーセージに向いている。
少年のような素直さに
レイチェルはくすりと笑った。
「ドリンクは?」
「ビール一択!」
「ふふ!
楽しみね、映画始まるの!
見て見て!
もう怖くて、手が震えてきちゃった!」
言いながらレイチェルは
軽く自分の手を
ぶるぶると震わせてみせる。
口元は笑っていたが
その目はどこか本当に怯えたように
だが、きらきらと光っている。
「震えんなら、なんで観てぇんだよ?」
呆れ顔のソーレンは
買ったばかりの
ポップコーンのカップを
片手で受け取りながらぼやいた。
だが
どこかその声には
呆れながらも
微笑が滲んでいる。
「怖いけど⋯⋯気になっちゃって!
一人じゃ行けないけど
ソーレンとなら心強いし!」
「へいへい⋯⋯そういうとこだよな」
そう言いながら
彼は軽食をすべて受け取ってくれた。
大きな手が
慣れたように
カップホルダーへ差し込み
ドリンクと食べ物を
能力を使わずとも
絶妙なバランスで持ち運ぶ。
レイチェルが
小さなバッグを肩にかけ直し
二人は並んで
チケットの列へと歩いていく。
「こんにちは〜!
こちらでチケット拝見いたしますね」
明るい声のスタッフに
チケットを渡すと
ピッと読み取りの音が鳴った。
「シアター3番
通路を真っ直ぐお進みいただいて
左手のホールになります。
どうぞお楽しみください!」
もぎられた半券を受け取ると
二人は少し暗がりになった通路へと
足を進めた。
ソーレンが無言のまま、先を歩く。
だが、いつもの彼の速度ではない。
レイチェルはその背中を一瞬見上げ
静かに息を吸った。
(言葉にしないだけで⋯⋯
ほんと、優しいとこあるのよね)
ふと、そんな思いが胸を過ぎる。
映画というきっかけで
少しだけ近づいた距離。
その時間を
大切に守りたい——そう、思った。
シアターの扉が開き
ほんのりと冷気と暗さが漏れ出す。
静かな劇場内には
まだ数名しか客は入っていなかった。
レイチェルが指定席を確認して
そっとソーレンの腕を引いた。
「⋯⋯こっちだよ、あそこ!」
「おう」
並んだ二つの座席。
手摺りに並ぶドリンク
膝の上にはポップコーン。
すぐ隣には
今日一番
見たかった表情をしている彼がいる。
気怠げだが、切れ長の琥珀色の瞳は
真っ直ぐスクリーンを見つめている。
(どうか、この時間が⋯⋯
ゆっくり流れますように)
照明が少しずつ落ちていく中
レイチェルの瞳には
ほんの少しの期待と
恋心の気配が揺れていた。