「待って」
玄関脇の水槽の、熱帯魚が泳ぐ方向を変えた。
「行かないで」
時計の音のみが辺りを支配している。
そっと顔を上げ奈津美さんの方を向くと、彼女の目尻からひとしずくこぼれた。
「涙だけは絶対見せないつもりだったのに……」
彼女を抱きしめてやりたい気持ちを抑えた。
じっとしていると、奈津美さんの方から飛び込んできた。
愛らしい顔が俺の胸に埋まっていく。細い腕には力がこもっている。
俺は、生まれて初めて、そしておそらくは最後になる言葉を口にしていた。
彼女は顔を上げた。俺の瞳の奥を、不思議そうに見つめている。