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「父上!」
凪が勢いよく襖を開ける。薄暗い部屋の隅、布団の上で父・源一郎が背を丸めて座っていた。
「凪……えらく翠と揉めておったな」
「父上! 千代さんから聞きました。体調が一段と悪くなっていると……!」
源一郎のそばに膝をつき、凪はその顔を覗き込んだ。
「……面目ない。タチの悪い喘息のせいで、翠の勝手を止めることができんでな……おほっ」
源一郎は激しく咳き込んだ。肩で荒い呼吸をし、その顔は青白く浮腫んでいる。
(こんなにも変わってしまった……放っておくんじゃなかった!)
凪は泣き出さないよう、唇の内側を強く噛み締めた。
「父上。少し横になっておやすみください」
凪がそっと抱え起そうとするが、源一郎は弱々しく頭を振る。
「……座っとる方が楽なんだ。横になると苦しくてたまらん」
その言葉に、後ろで見ていた将臣が目を細めた。
(一向に軽快しない喘息……横になると苦しい……)
「凪、ちょっといいか」
「……はい?」
凪が脇に退くと、将臣が源一郎の正面にすっと腰を下ろした。
「義父上。少しお身体を診させていただきます」
「ああ……」
源一郎が力なく頷く。
将臣は源一郎の胸元へ耳を近づけ、呼吸音にじっと耳を澄ませた。
(喘鳴……だがその奥で、湿った雑音が混じっている……!)
弾かれたように顔を上げ、すぐさま源一郎の浴衣の裾へ手を伸ばした。
「足を診ます。失礼します」
捲り上げた足は、腫れ上がっていた。将臣が脛を指で軽く押すと、深い痕がそのまま残って戻らない。
将臣はその足を見つめたまま、険しい顔で沈黙した。
「やだ……いつからこんなにひどい浮腫が⁉︎」
凪も目を見開き、そっと源一郎の足をさすった。
将臣が背筋を伸ばす。その目は、完全に戦場の軍医の目だった。
「将臣様、何かわかりましたか?」
「……これは喘息ではない」
「ええっ?」
凪と源一郎の視線が将臣に集まる。
将臣は厳格な声で告げた。
「喘息だけでは説明がつかない。心臓が弱っている可能性が高い」
「な、 なぜ急に心臓がっ……?」
凪は困惑する。だが、父の浮腫んだ足を見てハッとした。
(心臓が弱っているから……身体に水が溜まっている。だから、横になると苦しいんだ……!)
「……どうして、こんなことに……?」
店に活気良く立っていた、あの頃の父の姿が脳裏をよぎる。
(おかしい、こんな急に悪化するなんて!)
凪は父の胸元を見つめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「父上……心臓に……胸に手を当ててもよろしいですか?」
声は震えていた。だが、その瞳には明確な決意が宿っている。
「構わんが……」
不安そうに頷く源一郎を前に、凪は一度、将臣へ視線を送る。
将臣は静かに、けれど力強く頷いて見せた。
凪はそっと息を整え、源一郎の胸元へと静かに手を伸ばした。
──触れた瞬間、心臓の奥にドロリとした黒い靄が渦巻いた。
(何これ……何も見えない……!)
次の瞬間、靄の奥から──可憐な紫の釣鐘状の花が浮かび上がった。
映像は、そこでプツリと切れた。
凪の手が力なく落ちる。
「どうした、凪」
将臣の問いに、凪は首を傾げながら答える。
「ええと……小さい可愛いお花が見えました」
「どんな花だ」
「紫の……釣鐘のような形の花でした」
「紫の……釣鐘……?」
将臣が言葉をなぞった瞬間、その肩がビクッと跳ねた。
「将臣様……?」
視線を凍りつかせたまま、将臣が低く呟く。
「……ジギタリスだ」
「ジギタリス……?」
聞き慣れぬ単語に、凪が眉を寄せる。
将臣の中で、バラバラだった破片が一気に噛み合っていく。
(とても医者の投薬ミスとは思えない。多分……)
ごくりと喉を鳴らした。
「誰かが……ジギタリスを義父上に飲ませている」
将臣が顔を歪ませ、ゆっくりと凪を見た。
「──これは、事故ではない」