テラーノベル
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その夜、スポーン・カルトの村には、不気味な静けさが落ちていた。
祝祭を目前に控えた集落では、祈りとも呪詛ともつかない声が風に溶け、遠くでは儀式の刃を研ぐ金属音が夜気を震わせている。
誰もが”神の祝福”を待ち望み、誰かの命が失われる夜を祝おうとしていた。
その狂気から少し離れた場所。
紫色のナス科の花が揺れる小さな花畑だけは、二人に残された最後の楽園だった。
「……ツータイム」
夕暮れ色に染まる花畑で、アズールはウィザードハットを揺らしながら、小さく恋人の名を呼んだ。
白い肌の少年が顔を上げる。
疲れ切った瞳。
それでも、アズールを見る時だけは、その瞳は少しだけ優しくなる。
アズールは静かに笑った。
「逃げよう。」
たった一言。
けれど、その言葉には彼が積み重ねてきた決意のすべてが込められていた。
「この村を出よう。」
「誰かを殺して生き延びる”第二の命”なんて、僕はいらない。」
「君と二人で生きたい。」
そっと手を伸ばす。
冷え切ったツータイムの手を、自分の両手で包み込む。
「遠くへ行こう。」
「誰にも見つからない場所で。」
「花を育てて。」
「穏やかに暮らそう。」
その未来を想像しただけで、アズールの頬が少しだけ緩む。
「今夜。」
「儀式が始まる前に、この花畑で待ってる。」
「だから――迎えに来て。」
ツータイムは何も言えなかった。
言葉にすれば壊れてしまいそうだった。
カルトへの恐怖。
神への盲信。
アズールへの愛。
全部が胸の中でぶつかり合い、息すらできない。
そんな恋人を見つめて、アズールは困ったように微笑む。
そして。
そっと唇を重ねた。
触れるだけの、小さな口づけ。
「待ってるね。」
その一言だけ残して、アズールは花畑を後にした。
残されたツータイムは、唇へそっと指を当てる。
震えていた。
怖かった。
それでも胸の奥は、不思議なくらい温かかった。
二人だけの秘密。
二人だけの約束。
暗闇しか知らなかった世界で、ようやく見つけた希望だった。
しかし。
運命は、その小さな希望すら許さなかった。
花畑を離れたツータイムを待っていたのは、カルトの長、アマラだった。
松明の炎だけが揺れる薄暗い祭壇。
その中央で、アマラは静かに微笑んでいた。
「来ましたね。」
細く白い指が、一振りの短剣を差し出す。
青白い炎を閉じ込めたような刃。
ゴーストファイア・ダガー。
「受け取りなさい。」
ツータイムは震える手で、それを受け取る。
冷たい。
あまりにも冷たかった。
「最後の試練です。」
アマラの声が、耳ではなく脳へ直接流れ込んでくる。
「あなたが最も愛する者を、スポーン様へ捧げなさい。」
「そうすれば、あなたは選ばれる。」
「永遠の第二の命を授かるでしょう。」
最も愛する者。
その言葉だけで、脳裏に浮かぶ。
夕日に照らされたアズール。
優しい笑顔。
温かな手。
唇に残る小さな口づけ。
「……アズール。」
名前を呟いた瞬間だった。
ゴーストファイア・ダガーが、まるで心臓の鼓動と共鳴するように淡く脈打つ。
ドクン。
ドクン。
神に選ばれる。
神に愛される。
神に認められる。
その囁きが、何度も何度も頭の中で反響する。
やがて。
恐怖は歓喜へ。
迷いは確信へ。
愛は狂信へ。
ゆっくりと姿を変えていった。
ツータイムの口元が、静かに吊り上がる。
その笑みは幸福にも見えたし、壊れた人形のようにも見えた。
彼は短剣を強く握り締める。
そして歩き出す。
約束の場所へ。
ナス科の花が揺れる花畑へ。
何も知らず。
赤いバラを抱え。
自分との未来だけを信じて微笑みながら待っている。
世界で一番愛しい人の元へ。
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