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「に、二階に笹尾さんを連れて行きます。川口さんが探している荷物は、笹尾さんのデスクの下にあるようなので……!確認はすみません、ご自身でお願いします!」
言うが早いか。背後では川口の怒鳴り声が響いているように思うけれど、笹尾の手を引き、走り出した。
エレベーターを待つ勇気はないから。
何回目だろう。
また、階段を駆け上がった。
***
「は、はし、走らせちゃてごめんね……」
息切れを隠しきれず、ゼェゼェと苦しげに真衣香は笹尾に謝罪した。
そして、そのまま休むことなく人事部に顔を出し、部長である大野に「戻りました」と伝えて、またすぐに笹尾が待つ総務のフロアへ戻った。
「八木さんの……席に、座ってね」
「……はい」
八木の使っているイスを引いて、笹尾を座らせる。
無理矢理引っ張ってきたのだから、当たり前なのだが。笹尾は無言で俯いたまま何も話さない。
真衣香は隣に座ってイスをくるりと回転させ、彼女の方を向いた。
「あの、私、一階に印鑑忘れて行ってたんだよね? ごめんね、よくやっちゃうの、八木さんが外出先から戻ったら文句言いながら持ってきてくれたりして……」
「立花さん、怒ってくれて構わないです。わざと巻き込んだんですから」
どう会話を切り出そうかと、当たり障りなく話し出したならピシャリとぶった斬られてしまった。
「……どうして、そうさせちゃったのかな?」
「え?」
どうやら避けてはとおれそうになく、直球で質問をした。笹尾は顔を上げ、充血した目を大きく何度も瞬かせる。
そんな彼女のことをじっと見つめ返して、真衣香は精一杯笑顔を作ってみせた。
ついさっきまで川口に怯えていたはずだ、自分と同じように。だったら今は、怖がらせてはいけない。
「よかったら、話して。今、総務は誰もいないし、人事も部長と数人しか残ってなかったよ。残ってる人たちはバタバタしてたし、そんなにこっちの声は聞こえないからね」
そう伝えて、どれくらいの沈黙が続いたのだろう。
手に嫌な汗をかく。
一階に戻って小野原や森野に、笹尾のことをお願いしたほうがいいのだろうかと。真衣香が思い悩んでいると。
「私……、もう、嫌なんです」
ぽつりと小さな声が聞こえた。「え?」と真衣香が聞き返すと、笹尾の目から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。
「さ、笹尾さん!?」
泣かせてしまった!と。驚いた真衣香は笹尾の背中に手を添えて宥めるように撫でた。
それを合図にしたように、笹尾の口からたくさんの言葉が溢れ出す。
「か、会社、もう嫌なんです、もう辞めたい……!川口さんはすぐ怒鳴るし、坪井さんみたいに事務に早く帰れって気遣ったりもしない!面倒なことは全部押し付けてくるし、私が何してるのかとか気遣ってもくれない。もう、もう限界です」
「笹尾さん……」
聞きたいことはたくさんあったはずなのだが、苦しそうな声に、何も発することができなくなってしまう。
「いっつも、小野原さんや森野さんが帰ってもひとりで残業して……家に帰ったら、ご飯食べる気力もないんです」
「……うん」
「何かする時間も暇もなくて、すぐに寝なきゃ次の日に響く時間になって……起きたらすぐ会社で。どこにいても川口さんに怒鳴られてる声ばっかり思い出して」
泣きながら小刻みに揺れる身体。真衣香は艶のある綺麗な黒髪を撫でた。
すると弾かれたように顔を上げて、笹尾は涙で濡れた顔で真衣香に視線を合わせた。