翌日、朝早くから起き出した葛葉は、かるく身支度を整えた後、ひとりで町中へ赴(おもむ)いた。
ひんやりとした空気が心地よく、地道が目立つ街路は閑散としており、すれ違う人足も数えるほどだった。
何ぶんにも長旅の最中とあって、逍遙(しょうよう)を趣味と定めるには少しばかりそぐわないが、たまにはこうした気ままな散歩も悪くはない。
散策と散歩は似て非なるものだろう。
旅先ではどうしても前者になり勝ちで、目新しい景色があれば、すぐそちらへ足を向けてしまう。
世人の散歩とはどういったものか。
見慣れた景観の中を、気の向くままにそぞろ歩く。
近所の公園に、子どもたちの落書きが残る手狭な生活道。
ゆるやかな坂道に、冒険心をくすぐる路地裏の石段。
住み慣れた町でもなお、知らない場所は多分にあるものと思う。
普段は利用しない曲がり角を折れると、素敵なお店に出会(でくわ)した。
普段は立ち入ろうとも思わない小路の先で、不思議な出会いが待っているかも知れない。
故郷(くに)はあっても地元を持たない葛葉にとって、そうした物事が羨(うらや)ましく感じられることが度々あった。
前夜祭の日から数えると、滞在も四日目。 愛着とまでは言わないが、この町にもかすかな親しみを感じ始めた今日この頃である。
のんびりと散歩をするには、打ってつけの心持ちという具合だった。
ブルーシートで覆われた屋台の列を横目に、通りをぶらぶらと歩む。
年季の入った商店のシャッターには、腕相撲大会なるもののトーナメント表が貼り出されていた。
役場の近くを通り掛かったところ、真っ赤な顔をした若者が、あくびのついでに挨拶をよこし、不確かな足取りで住宅街のほうへ消えていった。
祭りの期間中は、酒びたりの生活をおくる者も少なくないことだろう。
当の葛葉もまた、沖融(ちゅうゆう)たる酔(え)い心地が、現在の気ままな足取りに表れている節がある。
夜半過ぎまで続いた、懇親会という名目の飲み会に参加したせいだ。
宴席の中心にあったのは、言わずと知れた かの賑やかな珍客である。
その飲みっ振りが半端じゃなく、なお且(か)つあらかじめ出来上がっていたもので、余計に始末が悪い。
彼女のペースに合わせた虎石は早々にダウン。
酒を飲めないリースでさえ、場の雰囲気にくらくらと当てられたのか、次第に船を漕(こ)ぐようになった。
そうして結局は、残る二名が膝をつき合わせる形に落ち着いたわけであるが、これが思いがけず楽しいひと時となった。
何しろ先方は笑い上戸のお姉(あねえ)さんだ。 こちらも久しぶりに腹を抱えた気がする。
今も昔も、余事に関わる際はなにかと酒の力に頼りがちな世人である。
人間関係を円滑に。 あるいは、普段言えないことを口にするための景気づけとして。
そういえば、うちの親父殿も何かにつけて酒に頼る悪癖を身につけて久しいと聞く。
もっとも、彼の場合は厄を祓う目的か。
長らく地獄の棟梁を務めた身の上ともなれば、細部に染み付いたものは計り知れない。
私には真似できんなと思いつつ、足の向くままに歩を進めた結果、気がつくと件(くだん)の競技場に到った。
やはり早朝とあって辺りに人気(ひとけ)はなく、前日の活気が嘘のように静まり返っている。
かたく閉ざされたエントランスをチラと見やり、何とはなしに裏側へまわる。
きのう利用した関係者用のドアが、半開きに止(とど)められているのが目に留まった。
「………………」
すこし考える間を置いて、そっと体を滑り込ませる。
ひっそり閑(かん)とする薄暗い廊下は、物音ひとつなく。 当人の足音だけがカラコロと曇(くぐも)った反響を繰り返していた。
とくに怪奇趣味はないが、怖いもの見たさが首を擡(もた)げたのかも知れない。
グラウンドの方へゆっくりと足を進める。
トンネルのような接続口を抜けて、次第に白みはじめた空のもとへ出た途端、昨日の光景が鮮明に思い起こされた。
怒号のような歓声が、耳の奥にまだ残っている。
目を閉じると、今もなお試合の直中(ただなか)にいるような錯覚に見舞われた。
なんとなく物悲しい思いが胸先をかすめるのは、果たしてどういう理屈か。
祭りはまだまだこれからだ。 期間中はこの町に逗留しようと、早々にみんなで取り決めた。
にも関わらず、この寂寥(せきりょう)はどうした事か。
感覚としては、ちょうど遊園地に赴いた折り、一番の見物(みもの)であるパレードを観覧した後の寂しさに通じるものがある。
柄(がら)にもない。
気散じを求める心持ちで、辺りに視線を巡らせる。
グラウンドのあちこちに放置された大小の瓦礫が、事の顛末(てんまつ)を雄弁に物語っていた。
「……これ、どういう感じになってんだっけ?」
腰部から声がした。
不服そうな口振りは相変わらずで、今にも唾を吐き出しそうな雰囲気が漂っている。
しかし、純な好奇心に煽られた結果か、幾分にも前のめりな印象を受けた。
「さぁ、なんだろ? 選手がビーム撃ったとかじゃなかった? こう、波動的な」
「なんじゃそら? 格ゲーかよ」
鼻を鳴らした相棒は、うんざりした様子で溜息をついた。
憎まれ口を叩いてはいるが、実姉が宿す無容赦な通力に対する羨望。 そうしたものが、少なからずあるのかも知れない。
何しろ戦の勝敗については、徹底的にこだわる彼のことだ。
いつ如何(いか)なる時も、勝つための努力を怠(おこた)ってはならない。
本来なら勝てるはずの勝負で敗けるわけにはいかない。
ならばより良い兵具(ひょうぐ)を吟味するのは当然で、より勝てる見込みがある方へ傾倒したがるのは道理だろう。
ただ、そんな彼にも並々ならぬ矜持(きょうじ)がある。
通力を揮(ふる)うにもまずは大義名分が重要であり、妄(みだ)りにこれを濫発してはならない。
そうした戒めが、対象を傷つけ、損壊することのみに限定特化した彼(か)の能才に、迂遠な形で表れているのかも知れない。