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「ひとの人生行路を書き換える……」
「うん?」
苦々しい口前は変わらず、詩吟をぞんざいに諳(そらん)じるような調子で相棒が唱えた。
内容に疑問の余地はない。 彼の実姉に付与された、格外の神通力に関する旨である。
「なぁ姐御。 しょうもない話、していーい?」
「ん、いいよ?」
一握(いちあく)の霧がそろそろと立ち上るように童の姿を顕した小烏丸は、いつになく小難しい顔で腕組みをした。
「もし仮によ? あん時 あのクソ……、うちの姉貴がいたら、どうなってたと思う?」
「あの時って?」
「壇之浦……」
葛葉としては、まさに霹靂を浴びた気分だった。
彼の手をとって、どのくらいになるか。
当方の尺度をもってしても、感覚的にずいぶんな年月(としつき)だったと言えるからには、もう相当な期間を共に過ごしてきたのは間違いないだろう。
けれども、その口が過去を唱えたことは、いまだかつて無かった。
それもまた、彼なりの矜持か。 いまは現在(いま)。 むかしは過去(むかし)と割り切って、長らく当方の腰物、もとい相棒を務めてくれたのだと思う。
「どしたん? 急に」
「まぁ……、なんだろな? ふと思っちまったんよ」
「自分はどう思うの?」
「分かんねえから訊いてんのよ。 いや、そうだな……」
恐らく、かの通力をもってしても、変わらなかった・変えられなかった物事はあるのだと思う。
人の歴史は大岩みたいなものだ。
ひとたび弾みがつけば、そのままどこまでもゴロゴロと行ってしまう。
抜山蓋世(ばつざんがいせい)の神通力をもって、そこにチクリと横槍を加えようとも。
それは多少は軌道に変化が生じるかも知れない。 けれど、恐らく行きつく先は同じ。
ただ───
「なんつーかさ? ワケも分かんねえ赤ん坊がさ? 最後あんなことになるような事態だけは、ひょっとすると免(まぬが)れたんじゃねえかって」
源平の顛末に焦点を当てる時、華々しい側面のみ取り沙汰される場合がほとんどだ。
鵯越(ひよどりごえ)の段や一ノ谷の戦い。 粟津合戦における巴御前の勇姿であったり、義経の八艘飛びであったり。
その裏で起こった惨たらしい出来事が、一抹の英雄譚に誤魔化され、どうしても有耶無耶になり勝ちな傾向がある。
もちろん、目にして苦しい物事など、端(はな)から見ないに越したことはなく。
心を痛めるくらいなら、軍神勇将の活躍に胸を躍らせたほうが、ずっと健康的だろう。
「一門の歴々のツラ、今でも覚えてんのよ……」
「どんな顔してる?」
「泣いちゃいねぇな。 笑ってもいねぇ」
合戦が終わった後、静御前は“しづやしづ”と舞い、大原に入った建礼門院は菩提(ぼだい)を弔いつつ天寿を全うした。
残された人間が思いを背負うというのであれば、残された太刀に課せられるものとは何だろう。
届かなかった切先三寸を、いつの日か。
ところが、人間と太刀では寿命が違う。
千年・二千年は言うに及ばず。 たとえ激しく損耗し、二目と見られぬ鉄屑になったとしても、それが太刀であることに変わりはない。
「……いまでも振り下ろす場所、探してたりする?」
「なに言ってんだい。 姐御の敵がうちの敵よ」
得意げに胸を張った童は、ふと思い出した様子で装いの裾をくいくいと引いた。
表情は早くも情けないものに様変わりしている。 彼にしては珍しいことだ。
「なぁ、姐御は負けたりしねぇよな?」
「なんそれフリか? 私が誰に負けるってのさ?」
カラカラと笑みを撒き、小さな頭(おつむ)を乱暴に撫でてやる。
最初は憤(むずが)った童も、やがて心地よさそうに瞳を細め、されるがままに頭髪を乱した。
彼がなにを心配しているのか、おおよその察しはつく。
これだけ長く一緒にいれば、他心通に依(よ)らずとも、考えている事は何となく推し量ることができる。
何より、自分の中核に関わる事柄であれば尚更。 気付かないほうがおかしい。
最初に妙だと感じたのは、過日 虎石っさんと争った時か。
基本的に性根が荒いので、ケンカの最中(さなか)に見境をなくす事は度々あったが、あそこまで酷くはなかった。
「………………」
人知れず、舌の先を犬歯に当てる。
大丈夫だ。
いくらぶちギレようとも、私がそうなるはずは無い。
「心配すんなって、私は私だよ?」
「……マジか?」
「嘘ついたことある?」
すっかりと乱れ果てた相棒の頭を、整えついでにそっと掻き撫でる。
滑らかな手触りは、一条 一条に赫然(かくぜん)たる生命力が宿っている証か。
こんなにも愛らしい刀霊を、霜剣の心金(しんがね)に押し込めて、夷心(えびすごころ)のひた走るままに振り回す自分が、途端に空恐ろしく感じられた。
「嘘ついたら、舌ぶっこ抜かれるぜ?」
「あ……? やめな、笑えん」
そうか。 違和感と言えばたしかに。
兵具に頼らず、徒手空拳でこなすべしと定めたはずの道中で、ひょんな事から刀を抜いた。
師匠と袂(たもと)を別って以降、地上(こっち)で斬り合いを演じたことなど、一度として無かったのに。
単に流されたと考えるには気味が悪い。
まるで、“そちら”へ誘導されているような。
「もう少し、警戒心を持たれた方がよろしいかと」
そこに、気取った様子の声が差し出口をくれた。
ふと見れば、接続路の暗がりから現れた年若い男性が、こちらに向かって歩を進めている。
薄墨色のスーツを身につけているが、光沢の加減が絶妙で、まるで毛描き筆を使って薄日をサラサラと配(あしら)ったような具合は、ひと目でハイブランドの生地であることが窺える。
そうしたシックな装いに反し、その肩部には農作業に用いる大きなピッチフォークが軽々と担がれており、非常にちぐはぐな印象を受けた。
顔立ちは美男子の一言に尽きるもので、一時的にではあるが、葛葉ですら言葉を失くすほどだった。
「なんアレ、猪八戒かよ? おぅ兄ちゃん、ブヒブヒ言ってみな?」
これに機嫌を損ねたか、童が先攻して噛みつくも、男性は応じない。
ただ、営業用と目される甘ったるい笑みを浮かべるのみだった。