テラーノベル
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#残酷な描写あり
らい
148
37
#パンデミック
畝澄ヒナ
48
音もなく雪が舞う林の中で、佳蓮の荒い息遣いだけが響く。
佳蓮は人が一線を超えるということがどういうことか、身をもって知った。
そこには怖さも恐れもなかった。脳裏に浮かぶ生まれ育った故郷の光景だけが、もう戻れないことを知らしめているかのようで、やけに鮮明だった。
夕陽に反射してキラキラと輝く穏やかな海辺。
小学生の頃からキッチンの壁に掛かっている5分進んだ猫の壁時計。
潮風のせいですぐに錆びてしまう公園のジャングルジムとブランコ。
マンションの駐輪場で一番目立つ、買ってもらったばかりの真っ赤な自転車。
高台の高校まで続いている桜並木。
その全てを自分の意思で置いて出てきたわけじゃない。自分だけがそこから弾き飛ばされてしまったのだ。
たどり着いた先にあったのは、見てはいけない闇の底。そんなもの誰が好き好んで見たいと思うのだろうか。こんな感情だって知りたくもなかった。
だから佳蓮は、アルビスに同じ思いをさせたかった。遠くに送ってやりたかった。後悔なんていう言葉では足りない何かを味わって欲しかった。
対してアルビスは、馬乗りになって自身の首を絞めようとしている佳蓮から逃れようとはしない。
当然の報いを受けたアルビスは、佳蓮に戸惑うなと訴えるように己の罪を再び吐露する。
「私は君から沢山のものを奪った。未来、時間、願い、祈り。家族との絆。それだけでは飽き足らず、私は……君の家族の人生も滅茶苦茶にした。……私は君一人だけを奪ったつもりでいたが、そうじゃなかった」
静かに語るアルビスだが、佳蓮は手加減なしに彼の首を締めている。かなり苦しいはずなのに、そんな素振りは一切見せない。
もう何度も極刑を受けたかのような凪いだ表情だった。深紅の瞳は清らかな程澄んでいた。
「……なに、今更わかりきっったこと言ってんの?」
嘲笑う佳蓮の声は震えていた。もう呆れた感情を通り越して、いっそ滑稽だった。
失ったものは、とても大きいのだ。犯罪がなぜ罰せられるのか。そんなものは簡単だ。被害を受けるのは当人だけじゃないから。それに繋がる多くの人が苦しみ悲しむからだ。
「ああ。本当に今更だ。……カレンすまなかった。私は君を欲した。それに後悔はしていない。ただ、罪を償わなくてはならないのも事実だ。カレン、私は皇帝だ。無様に命乞いをする気はない。私の人生は暗く……みじめで哀れなものだった。……けれど、君の手で幕を降ろしてもらうなら悪くない」
「そう」
アルビスは明確に自分を殺せと言った。佳蓮とてそれを拒むつもりはない。
(この男はそれくらいの事をしたんだもん)
少年の命を救ってほしいと懇願した時とは違う。佳蓮とアルビスは、純粋な被害者と加害者だ。
殺人は絶対悪だが、これは因果応報だ。
「私、あんたから地位も未来も何もかも全部奪ってやりたい。大切な人から引き剥がしたいっ。憎くて憎くてたまらないっ。目の前から消えて居なくなって欲しいっ」
「そうだ。それが正し──」
これ以上アルビスの戯言を聞きたくなくて、佳蓮は指に力を入れた。がっしりと太い首が面白いくらい押しつぶされていく。
アルビスの喉ががふっと鳴る。けれど彼の口元は、歪むどころか笑みさえ浮かべていた。
己を殺そうとしている相手に、愛おしい眼差しを向ける。今のアルビスの表情は、100人中、100人が幸せそうだと口をそろえて言うだろう。
佳蓮の目にも、アルビスが幸せそうに映った。それが無性に嫌だった。これ以上、この男が望む何かを与えたくはなかった。
だから佳蓮は、力を入れ過ぎで痙攣している手を、無理矢理引き剥がした。次いで、渾身の力で彼の頬を引っ叩く。
「馬鹿にしないでっ!私はあんたと同じところになんか堕ちたりしないっ」
人はどんな死に方をしても、罪と罰は残る。
佳蓮に殺されたアルビスは加害者だが、被害者にもなってしまう。
そんな消せない事実を残したくなかったし、アルビスと同じ立ち位置になるなんて冗談じゃなかった。
「あのさぁ……皇帝陛下さん、自分が楽になりたいからって、私を利用するのはやめてよね」
憎悪で支配された佳蓮とて、アルビスが死にたがっているのに気付いた。それくらいあからさまだった。
(挑発になんて乗るものかっ)
罪人がただの死体となって転がることなど、佳蓮には耐えられなかった。死よりもっと辛い苦痛を与えたかった。
コメント
1件
お疲れさまです! 今回、めちゃくちゃ重くて苦しいのに、佳蓮が一線を越えなかったこと、本当に良かった……。アルビスに♡♡♡せようとする流れに乗らず、「同じところに堕ちない」って自分を取り戻した強さにグッときました。あの怒りと哀しみの中で、それでも選べる佳蓮が好きです。続きが気になります!