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#御曹司
うめぼっち

633
鷹槻れん/鷹槻うなの

36,051
#白い結婚
夕凪ゆな
373
うめぼっち

1,598
五時、工房。
二十個を、仕上げた。源さんが餡を丸め、ことはが餅で包む。父は椅子から、牛蒡の向きを見ている。試作の味の餡。正月の分には入れなかった、柚子の皮。
「塩は」
「正市さんの塩だ」
源さんが、父より先に答えた。父は、何も言わずに、最後の一つの牛蒡を指で直した。
母は二階で、咳の間に「行ってらっしゃい」と言った。
箱に詰めた。藍色の紙を敷いて。柊屋の箱。
遼のコートは、今朝、芹沢に返した。畳んで玄関の棚に置いて、「お返しします」と言った。芹沢は、何も聞かなかった。ポケットにあった紙は、返さなかった。自分の上着の、内側のポケットに入れた。一月二十日。聞いていない。聞く前に、今日が来た。
着物は、母の藍の訪問着。裾に白い花。帯留めは、着けなかった。氷川の家のものだから。祖母の梅の石は、部屋の引き出しに置いてきた。
◇
十一時、本店の玄関。
鈴の音が、先に聞こえた。
絹江は、黒い着物で立っていた。ことはの箱を見て、ことはの顔を見た。
「怖い顔のまま、来たわね」
「はい」
「結構」
絹江は、歩き出した。ことはは、箱を抱えて、後ろについた。十月に箱を押された催事部の廊下を通り過ぎて、もっと上の階へ。大広間。夜会の、あの部屋。
大広間は、昼の光で、夜とは別の部屋に見えた。
人は、三十人ほど。年配の客が多い。着物と、仕立てのいい背広。誰もが、何十年も本店に通っている顔だった。
長い机に、白い皿が並んでいる。壁際に、本店の社員。
正面に、博正。白髪。低い声で、誰かと話している。
その近くに、麗華。ワイン色のスーツ。大きなイヤリング。部長の顔で、客に頭を下げて回っている。
麗華が、ことはを見た。
一拍、止まった。それから、絹江を見た。絹江の客。ことはは、箱を抱えたまま、頭を下げた。麗華は、下げ返さなかった。
「久我様。お席はこちらに」
社員が、絹江を椅子へ案内した。ことはは、絹江の椅子の後ろに立った。立つ場所は、そこしかなかった。
博正が、口を開いた。
「今日の会は、私が仕切る。催事部は、年明けから私が直接見ている。春の看板も、私が聞いて決める」
客が、頷く。
麗華が、前に出た。
「本店の春の銘菓めぐり。看板は、松月堂さんの花びら餅にいたしました。――社長」
白髪の、小柄な男が立って、頭を下げた。松月堂の社長。本店の売り場に並んだ下町豆大福の、会社の人。
皿が、運ばれた。白い皿に、花びら餅。切り分けて、一人に一切れ。白い餅の縁から、薄い紅がのぞいている。客が、箸を取った。
「結構ね」と、誰かが言った。
絹江が、立った。
鈴が、鳴った。大広間の客の声が、引いた。
「社長さん。持ち込みを」
博正が、絹江を見た。
「わたしの客の菓子を、社長さんに食べてほしいの。会長の時代の決まりで」
「久我様」
麗華の声が、先に出た。笑っていた。
「本日は、春の看板をお決めいただく会でございます。呼んでいない店の菓子を、この席で――それは、乱入です」
乱入。ことはは、その言葉を、箱の上で聞いた。
博正は、娘を見なかった。絹江を見ていた。
「客の持ち込みは、断れん。父の代からの決まりだ」
麗華の顎が、上がった。
「では、せめて、お店のお名前を。皆様の前で。――久我様の後ろにいらっしゃるのは、専務の奥様では」
客の目が、ことはに集まった。専務の奥様。
ことはは、絹江の後ろから、一歩、出た。
出て、箱を机に置いた。
「柳町の、柊屋の、柊ことはです」
声は、店のことを言う声で出た。
「久我さんのお客として、持ち込みをさせていただきます。花びら餅、二十」
遼の名は、言わなかった。
博正が、ことはを見た。十一月に、柱の裏で見た目。十二月に、本物か、と聞いた目。
「柊屋、と言った」
博正は、言った。言って、社員に顎で合図した。
箱が、開けられた。
藍色の紙の上の、白い餅。本店の社員が、切り分けて、皿に並べる。白い皿が、二列になった。松月堂の花びら餅と、柊屋の花びら餅。
同じ菓子。同じ形。縁の紅まで、同じ。
客の箸が、動いた。
ことはは、絹江の横に立って、手を前で重ねた。手は、荒れている。指の付け根が割れている。隠さなかった。
麗華は、正面の近くで腕を組んでいた。皿には目をやらず、ことはを見ていた。
扉が、開いた。
大広間の、後ろの扉。
黒いコートを腕に掛けた、背の高い男が、入ってきた。
遼だった。
呼ばれているのか、いないのか。ことはは、聞いていなかった。遼は、客の間を、まっすぐ歩いた。誰にも頭を下げなかった。博正にも。
ことはの隣で、止まった。
何も言わない。
ことはを見ない。皿を見ている。
隣に、立った。
ことはは、上着の内側のポケットを思った。紙がある。一月二十日。聞いていない。今、聞けない。隣に立たれて、聞けなくなった。
麗華の顔が、変わった。笑いが消えて、遼を見て、ことはを見て、また遼を見た。
博正は、甥を見て、何も言わなかった。
客が、ざわめいた。専務。奥様の隣に。
その中で、一人の老人が、箸を置いた。
眼鏡の老人。白い髪。本店に五十年、と絹江が小声で言った。二つの皿を、順に食べた人だった。
老人は、眼鏡を外した。
「――同じ味だ」
麗華が、ことはを見た。
見て、笑った。
コメント
1件
うめぼっちさん、第31話読み終えたわ…! 「柊屋の、柊ことはです」って名乗るシーン、胸熱すぎた。遼の名前を出さずに、自分の店の名前で立つ覚悟がビシビシ伝わってきて、もうグッときたよ。あと、最後に「同じ味だ」って言われた時の、あの空気。麗華の笑顔が不気味すぎて続きが気になる…! 遼が隣に立って、紙のこと聞けなくなった心情、すごくわかる。次の展開、待ってる🔥