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第16話「ホテルでエルフの耳が丸見えになりました」
午前七時十二分。
ホテル八階。
「火事です。火事です。落ち着いて避難してください」
警報音が鳴り響いている。
宿泊客が次々と廊下へ出てくる。
その真ん中で。
森野リリカは。
完全にエルフだった。
寝起き。
髪は巻いていない。
帽子もない。
長い耳が左右にはっきり出ている。
相沢直人は三秒固まった。
神崎レオンも二秒固まった。
森野本人は。
まだ気づいていない。
「相沢さん!」
「うん」
「火事です!」
「うん」
「逃げないと!」
「その前に」
「何ですか!」
相沢は自分の耳を指さした。
森野が。
自分の耳に触れた。
「……」
長い。
「……」
尖っている。
「……」
丸見え。
森野の顔から血の気が引いた。
「え」
周囲。
宿泊客。
十数人。
森野を見る男性。
「……エルフ?」
子供が言った。
「ママ、あのお姉ちゃん、耳長い」
母親が見る。
「本当ね」
森野が固まる。
相沢は即座に森野の前へ出た。
「仮装です」
「え?」
森野が言う。
相沢は続ける。
「コスプレです」
神崎もすぐ合わせた。
「撮影です」
相沢が神崎を見る。
撮影?
神崎が続ける。
「昨日イベントがありまして」
森野もようやく理解する。
「そ、そうです!」
ぴく。
耳が動く。
最悪だ。
子供が指をさす。
「動いた!」
森野が両手で耳を押さえた。
「電動です!」
相沢が言った。
「電動?」
「最新式です」
「すごい」
子供の目が輝く。
助かった。
いや。
まだ助かっていない。
警報。
「避難してください」
ホテルスタッフの声。
相沢が言う。
「とにかく下へ」
三人で非常階段へ向かう。
森野は両手で耳を押さえたまま。
階段を下りる。
「無理です!」
「何が?」
「両手が使えません!」
「じゃあ」
相沢は自分のパーカーを脱いだ。
森野の頭へかぶせる。
「これで」
「前が見えません!」
「フード使って」
「最初からそうしてください!」
フードを深くかぶる。
耳を隠す。
三人で階段を下りる。
七階。
六階。
五階。
神崎が言う。
「火の匂いはしませんね」
「分かるの?」
相沢が聞く。
「人間より鼻も少しいいです」
「耳だけじゃないんだ」
森野が言う。
「今それどうでもいいです!」
一階。
全員がホテルの外へ避難する。
スタッフが確認。
どうやら。
厨房の煙による誤作動らしい。
火災ではない。
十分ほどして。
「安全確認が取れました」
宿泊客がホテルへ戻り始める。
森野は相沢のパーカーを頭からかぶったまま。
「最悪です」
「誰も本物と思ってないよ」
「子供に見られました」
「電動で通った」
「通ってません!」
神崎が言う。
「意外と大丈夫だと思いますよ」
森野が睨む。
「あなたは化粧してるからいいですよね」
神崎は寝起きでも耳が人間と同じ形に見える。
特殊なエルフ用化粧。
「落ちてない?」
相沢が聞く。
神崎が耳を触る。
「少し危ないですね」
端が浮いている。
「レオンも危ないじゃないですか」
「でもリリカほどではない」
「何ですか、その勝ち誇った感じ!」
部屋へ戻る。
午前七時四十分。
森野は急いで髪を巻く。
午前八時十分。
ホテルのレストラン。
三人で朝食。
森野は完全に不機嫌だった。
「最悪です」
三回目。
「大丈夫だって」
相沢が言う。
「ネットに出たらどうするんですか」
神崎がスマートフォンを見る。
「今のところ出てません」
「検索したの?」
「はい」
「何で?」
「念のため」
相沢もスマートフォンを見る。
SNS。
ホテル名。
火災報知器。
検索。
いくつか投稿がある。
『朝からホテルで火災警報。びっくりした』
『誤報だったみたい』
そして。
一件。
『避難中にエルフのコスプレしてる人いた。耳動いててすごかった』
相沢が止まる。
「森野さん」
「何ですか」
「出てる」
森野が固まる。
「写真は?」
神崎が聞く。
「ない」
三人が同時に息を吐く。
「よかった」
森野がテーブルに突っ伏す。
「もうホテル嫌です」
「出張だから仕方ない」
「次から日帰りにしてください」
「京都日帰りできるけどね」
「します」
神崎がパンを食べる。
「でも」
「何?」
「昔ならもっと大変でしたよ」
森野が顔を上げる。
「何が?」
「耳を見られたら」
「ああ」
相沢が聞く。
「昔はどうしてたの?」
二人のエルフが黙る。
「何?」
森野が答える。
「逃げてました」
「どこへ?」
「町から」
「そんなに?」
「時代によっては」
森野が自分の耳を触る。
「人間ではないものを見つけると、騒ぎになることがありましたから」
相沢は少しだけ真面目になる。
「今はコスプレで済む」
「はい」
神崎が笑う。
「便利な時代です」
「確かに」
森野も少し笑った。
午前九時半。
二日目の仕事。
取引先。
プレゼンテーション。
今日は相沢が中心。
森野と神崎が補佐。
昨日の騒ぎが嘘のように。
三人とも仕事は完璧だった。
正午。
予定より早く終了。
取引先担当者が言う。
「せっかく京都まで来たんですから、午後は観光して帰ったらどうです?」
部長からも連絡。
『直帰でいいぞ』
午後一時。
京都駅。
三人。
神崎が言う。
「私は用事がありますので」
森野が疑う。
「また?」
「今度は本当に仕事関係」
「母のところじゃないでしょうね」
「違います」
神崎は相沢を見る。
「では」
妙に意味ありげに笑う。
「ごゆっくり」
「レオン!」
神崎は消えた。
二人になる。
相沢が聞く。
「どうする?」
「帰ります?」
「せっかくだし」
森野は少し考える。
「行きたいところがあります」
「どこ?」
「昔住んでいたところ」
電車とバス。
そこから歩く。
古い町並み。
観光客は少ない。
森野はゆっくり歩く。
「この辺です」
「住んでたの?」
「はい」
「いつ?」
「昭和の初めから、十数年くらい」
相沢は周囲を見る。
「家は?」
「もうありません」
「そうなんだ」
「道路になりました」
森野が指をさす。
「たぶん、あの交差点の辺りです」
相沢は不思議な気分になる。
自分には。
ただの交差点。
でも森野には。
家があった場所。
「ここで何してたの?」
「いろいろです」
「仕事?」
「はい」
「何の?」
「喫茶店」
相沢が笑う。
「エルフが?」
「また言いましたね」
「だって」
「普通に働きます」
「ウェイトレス?」
「はい」
「見てみたかった」
「写真ありますよ」
「今度見せて」
「嫌です」
「何で?」
「制服が恥ずかしいので」
ぴく。
「絶対見たい」
「駄目です」
少し歩く。
小さな神社。
森野が止まる。
「ここ」
「何?」
「昔、よく来ました」
二人で境内へ入る。
静かだった。
木々。
石段。
風。
森野が髪を押さえる。
「この辺は変わってません」
「百年近く?」
「木は大きくなりました」
「分かる?」
「分かります」
一本の大きな木を見る。
「この木」
「うん」
「昔はもっと細かったです」
相沢は木を見る。
そして森野を見る。
「不思議だな」
「何が?」
「森野さんは変わってないのに」
森野が少し笑う。
「変わってますよ」
「見た目」
「それはあまり」
二人でベンチに座る。
「相沢さん」
「何?」
「昨日、母に何を言われたんですか?」
また。
「まだ気にしてた?」
「気になります」
「秘密」
森野が相沢を見る。
「恋人にも?」
「恋人だから」
ぴく。
「その言葉を便利に使ってません?」
「森野さんも監視って便利に使ってたよね」
「昔の話です」
「一週間前だよ」
森野が黙る。
相沢は笑う。
「大したことじゃない」
「本当に?」
「うん」
「反対された?」
「それは」
「されたんですか?」
「反対というか」
森野の顔が曇る。
相沢は言った。
「逃げるなら早く逃げろって」
森野が止まる。
「……そうですか」
「うん」
しばらく沈黙。
風が吹く。
森野の髪が揺れる。
耳は隠れたまま。
「相沢さん」
「何?」
「逃げます?」
「今?」
「いつでも」
相沢は少し考えた。
「逃げるかもしれない」
森野の顔が変わる。
「え」
「人生何があるか分からないから」
「……」
「森野さんが俺を嫌いになるかもしれないし」
「それは」
「俺が嫌われることするかもしれない」
「……」
「だから絶対は言えない」
森野はうつむく。
相沢が続ける。
「でも」
「はい」
「今は逃げる理由ないよ」
森野が顔を上げる。
「むしろ」
「むしろ?」
「もう少し近づきたい」
「……」
耳が。
ぴく。
「どういう意味ですか」
「こういう意味」
相沢は森野の手を握る。
「それだけ?」
「何期待したの?」
「何も!」
ぴくぴく。
「耳は期待してる」
「耳の解説禁止です!」
二人で笑う。
帰り。
京都駅。
新幹線まで三十分。
土産を見る。
森野が八つ橋を手に取る。
「お母さんに?」
相沢が聞く。
「会社です」
「昨日会ったのにお母さんには?」
「いりません」
「怒ってる?」
「少し」
ぴく。
「かなり?」
ぴく。
「ものすごく?」
「買います!」
森野はもう一箱取った。
「お母さん用」
「はい」
相沢は笑う。
「親子だね」
「エルフでも親子は親子です」
新幹線。
帰りも三人席。
神崎が合流。
「お疲れさま」
「用事終わった?」
森野が聞く。
「はい」
「本当に仕事?」
「本当」
ぴく。
神崎の耳。
特殊化粧の下。
少しだけ動いたように見えた。
森野が目を細める。
「レオン」
「何?」
「今、耳動いたでしょう」
「気のせい」
「嘘ですね」
「リリカ」
「何?」
「自分が耳で嘘を見破られると怒るのに、人にはやるんですね」
森野が黙る。
相沢が笑う。
「確かに」
「相沢さんはどっちの味方ですか」
「森野さん」
ぴく。
「即答しないでください」
「何で?」
「耳が動くからです」
東京駅到着。
午後七時。
三人は改札を出る。
神崎が言う。
「では月曜日」
「お疲れ」
「お疲れさまでした」
神崎が去る。
相沢と森野。
二人になる。
「送るよ」
「大丈夫です」
「恋人だから」
ぴく。
「またそれ」
「嫌?」
「嫌じゃありません」
二人で歩く。
その夜。
午後十時四十二分。
相沢のスマートフォンに。
森野からメッセージ。
『出張、お疲れさまでした』
『お疲れ』
『一つ聞いていいですか』
『どうぞ』
少し間。
『今日、神社で言っていたことです』
『何?』
『もう少し近づきたい、という話』
相沢は画面を見る。
返信。
『うん』
すぐ既読。
しかし返事がない。
一分。
二分。
三分。
ようやく。
『具体的には、どのくらいですか』
相沢は笑った。
『明日考える』
すぐ。
『今考えてください』
『会いたいってこと』
既読。
返事なし。
五分後。
『それなら』
さらに少し間。
『私も同じです』
相沢はスマートフォンを見ながら笑った。
そして。
月曜日。
午前九時十分。
部長が言った。
「出張お疲れ」
「お疲れさまです」
「ところで森野さん」
「はい」
「ホテルで火災警報あったんだって?」
森野が固まる。
「はい」
「大丈夫だった?」
「大丈夫です」
「SNSに面白い投稿があってさ」
森野の顔色が変わる。
部長がスマートフォンを見る。
「避難中に、耳が動くエルフのコスプレをした女性がいたらしい」
相沢。
森野。
神崎。
三人が固まった。
田中が言った。
「何それ。見たい」
「写真はないみたい」
「残念」
森野が小さく息を吐く。
部長が続ける。
「でも」
「……」
「動画が一個あるらしい」
森野の耳が。
髪の中で。
完全に止まった。
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みぅです🤍🥀 第16話、読み終わりました……。 朝のパニックから始まって、神社の静かな時間まで、緩急のバランスが本当に心地よかったです。特に、相沢さんが「もう少し近づきたい」って言ったときに、森野さんの耳がぴくってする描写、すごく好きでした。言葉にできない感情が耳に出ちゃう感じ、可愛くて切なくて。 あと、母さんの「逃げるなら早く逃げろ」って言葉、重かったです。でも相沢さんが「今は逃げる理由ないよ」って握り返すところで、じんわり温かくなりました。 夜のLINEのやりとりも、「会いたい」の一言で全部伝わる感じが、この2人らしくて素敵でした🌙 次が気になります。