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……まさかあの時の瀬戸さんがこの会社の社長だったなんて。



勧められた応接用のソファーに座り、目の前に座る瀬戸さんに目を向ける。


初対面の挨拶はしたけど、対面した時に瀬戸さんも驚いているように見えたから、たぶん気付かれているはずだ。



……もしかしたら健ちゃんの紹介とはいえ、やっぱりナシって言われることもあり得るかもしれないな……。



なにせ私は瀬戸さんに面倒をかけてしまった前科がある。


もちろんあのパリでのことだ。


相手が想定外に処女で、さぞ困惑したことだろう。


私の目的のためだけに処女喪失に付き合わせてしまったのだ。


痛がる女の子となんてしたくなかっただろうにと思うと申し訳なく感じる。


そんな面倒をかけられた相手が自分の部下、しかも秘書になるなんてきっと嫌だろう。


だから瀬戸さんの反応が怖くて、私はなんだかソワソワしてしまう。



「パリで会った詩織ちゃん、だよね?」



コーヒーをひとくち飲み、瀬戸さんの方がまず口を開いた。


やはり気付かれていたようだ。



「……はい」


「あ、やっぱり詩織ちゃんも気付いてた?ビックリだよね。まさか詩織ちゃんが健一郎の知り合いだとは思わなかったよ」



社長であるはずなのに、あの時のように瀬戸さんは相変わらず気さくで明るい。


健ちゃんが、自分も社長も堅苦しいのは嫌だからと言っていたのは本当のようだ。



「名前しか知らなかったから、もう二度と会えないかと思ってたな。あの日詩織ちゃんはさっさと帰っちゃったし」



あんな面倒なことさせといてさっさと帰るなということだろう。


確かに礼儀に欠けていたかもしれない。



……ちゃんと謝罪しよう。それに私の存在が瀬戸さんの気分を害してしまうんだったら、健ちゃんの紹介ではあるけど、この話はなかったことにしてもらおう。



そう決意して、私は思い切って切り出した。



「あの、私、瀬戸社長に謝罪させて頂きたいことがあります」


「えっ?謝罪?」


「はい。あの日、私の都合だけで瀬戸社長にご面倒をおかけしてしまい本当に申し訳ありませんでした……!」



すかさず頭を下げる。


今更で申し訳ないけど、せっかく再会したのだから今からでも謝罪を伝えたかった。


あの日の私は完全に自分のために瀬戸さんを利用したのだから。


「ちょ、ちょっと待って。詩織ちゃん、頭あげてよ。……ていうか、何の謝罪?面倒って何のこと?」


「あの日、付き合わせてしまったので」


「ん?なにを?」


「……処女喪失を、です。自分勝手に瀬戸社長を利用して申し訳ありませんでした。もしご不快に感じられるなら、秘書になるお話もなかったことにして頂いて構いません」



もう一度頭を下げる。


頭上からは瀬戸さんの視線をヒシヒシと感じた。




「………あのさ。もしかして、俺が嫌々だったと思ってる?」


「? はい」



そう答えると、瀬戸さんは「はぁ」と深く長いため息を吐いた。


そして呆れたような目を私に向けてくる。



「まさかそんな風に詩織ちゃんが思ってるとは思わなかったよ。ハッキリ言うけど、俺、別に嫌々だとか、面倒だったとか思ってないから」


「えっ?でも、困惑されてましたよね?やめようとされてるところを、私が無理矢理頼み込んだ形でしたし……」


「そりゃ驚きはしたけど、あの時も言ったでしょ?光栄だって」



それは意外な言葉だった。


面倒をかけた、迷惑をかけたと思い込んでいたけど、特にそういうことはなかったらしい。


それを知り、少し罪悪感も薄れてホッとした。



「ところで、俺も聞きたいんだけど、さっき言ってた詩織ちゃんの都合ってなに?何か事情があるんだろうなとは思ってたけど、あの時聞けなかったから」


「…………」



瀬戸さんからの問いに私は口ごもる。


あの時も聞かれそうになって言葉を遮り誤魔化した。


これだけは聞かれたくないし、言いたくない。


実兄への想いを拗らせてるなんて、誰にも知られずに墓場まで持っていく心積りのことだ。



「……すみません、言いたくありません。それを話さないとダメなのでしたら、秘書の話もなかったことにしてください」


「……分かった。じゃあそれについてはもうこれ以上聞かないよ」


「ありがとうございます」



私の頑なな態度を感じとったのか、瀬戸さんはもう聞かないと約束してくれた。


彼が余計な詮索を好む人じゃなくて良かったと心底安堵した。


「それじゃあ、ここからは仕事の話をしようか。改めて、俺は不快には全く感じてないから、詩織ちゃんにはぜひ秘書をお願いしたいんだけど、それでいい?」


「はい。よろしくお願いします」


「一つ確認だけど、パリでのことって誰かに話した?例えば健一郎とか」


「いえ。誰にも話してませんし、話すつもりもありません」


「そう、じゃあ俺たちは初対面ってことだね」


「はい。瀬戸社長にはこれ以上ご迷惑おかけしないようにします。あの日のこともなかったこととして忘れてください」


「………なかったことにか」



一瞬なぜか苦笑いをした瀬戸さんだったが、すぐに社長の顔に戻り、そこからは会社や業務についてを口頭で説明してくれた。



私の主な仕事は、瀬戸社長のスケジュール管理、来客対応、出張・会食手配、書類整理などだ。


必要最低限のパソコンスキルとビジネスマナーがあればひとまず大丈夫だという。


瀬戸さんに秘書が付くのは初めてだから細かいルールも特になく、お互い臨機応変にやっていこうということになった。



「まぁ、うちの会社はフランクな感じだから、詩織ちゃんも気楽にやってくれたらいいよ。何か分からないことがあったら、俺にでも、健一郎にでも気軽に聞いてくれていいからね」


「はい、ありがとうございます」


「詩織ちゃんの連絡先だけ聞いておいてもいい?今後連絡取ることが多いと思うから」


「あ、はい」



私はスマホを鞄から取り出し、瀬戸さんと連絡先を交換する。


交友関係が希薄な私のスマホには、家族とごく限られた人の連絡先しか入っていない。


その中に新たに瀬戸さんの名前が追加された。



「あ、そうだ!」


私がスマホを操作しているのを眺めていた瀬戸さんがふと何かを思い出したように声を上げる。


その声に釣られ顔を上げて彼を見ると、目が合った。


なんだか瀬戸さんの目には悪戯っぽい色が浮かんでいる。



「いい事思い付いた」


「?」


「詩織ちゃんって確か前職はスーツブランドの店員だったって言ってたよね?」


「はい、そうですけど?」



パリで話した事を覚えていたようだ。


それがどうしたのだろうと私は首を傾げる。



「最初の秘書の仕事として、俺のスーツを見繕ってくれない?今度取引先のレセプションパーティーがあるから、ちょうど新調したかったんだよね」



確かにパリで仕事の話をした時に見繕ってほしいなと社交辞令を言われた。


その社交辞令が本当になるとは。



……お兄ちゃん以来のことだな。



もちろん秘書として頼まれたのであれば断る選択肢はない。


私はそれを了承し、後日瀬戸さんと一緒にスーツショップに行くことが決定した。


ちょうどその時、社長室のドアがノックされ、健ちゃんが戻ってきた。


この後は社内を案内してくれるらしい。



「どう?少しは詩織ちゃんと話せた?」


「ああ、小日向さんなら問題なく秘書の仕事も務まりそうだと思ったよ。さすが健一郎の紹介だね」


「だろ?詩織ちゃんも千尋が上司で大丈夫そう?」


「はい。お役に立てるよう頑張ります」



滞りなく挨拶と顔合わせが済んだようだと判断して健ちゃんは満足そうに頷いた。


それにしても、瀬戸さんはさすがだ。


さっきまでフレンドリーに「詩織ちゃん」と呼びかけられていたのに、第三者がいる時にはきちんと「小日向さん」と切り替えている。


雰囲気は変わらず気さくで明るい感じではあるけど、表情はビジネスマンらしいものだ。


改めて、瀬戸さんは200名の社員が働く会社の社長なんだなと感じた。



「それじゃあ詩織ちゃん、案内するから行こうか」


「あ、はい。では瀬戸社長、失礼します。今後ともよろしくお願いします」



一礼して社長室を出た。


そのあと健ちゃんは、社内を歩きながら一通りの場所を案内してくれる。


組織体制や各部署の役割、それぞれのデスクの場所なども説明があった。


忘れないように所々メモを取りつつ話を聞く。


各部署のデスクでは、その場にいる人に私を紹介してくれたりもした。


社内の様子を見ていると、全体的に男性社員の割合の方が多いようだ。



「で、最後になったけど、あそこが詩織ちゃんの席があるデスクね」


ぐるっと社内を一周してきたようで、最後に社長室前に戻ってきた。


社長室から一番近いところにある執務エリアのデスクが私の席だそうだ。


総務部と同じ島のデスクだという。



「あ、ちょうどいいところに。おーい、美帆」


総務部のデスクの方に近寄って行きながら、健ちゃんはそこで仕事をしている一人の女性に声を掛けた。


美帆と呼ばれたその人が振り向きこちらを見る。


ほんわか優しそうな雰囲気の私より少し年上の女性だった。



「健一郎くんじゃない。なに?どうしたの?」


「ほら、この前話しただろ?こちら、俺の紹介で入社して社長秘書になる小日向詩織ちゃん」


「はじめまして、よろしくお願いします」



紹介されて私は一礼しながら挨拶をする。


どうやら健ちゃんとこの女性はかなり気心の知れた仲のようだ。



「ああ!今日が入社日だったんだ!はじめまして、総務部の佐伯美帆《さえきみほ》って言います。小日向さんは私の隣の席だから、気軽になんでも聞いてね!」



とても朗らかな笑顔を向けられ、人柄の良さが伝わってくる。


以前の同僚のように私に敵意を向けてくるような人じゃないことに内心ホッとした。


「美帆の隣、ここが詩織ちゃんの席ね。今日はこの後ここでパソコンの設定とかメールチェックしてくれる?やり方はここにマニュアルあるから」


「はい、分かりました。案内ありがとうございました」


「美帆、詩織ちゃんが困ってたらフォローしてあげて」


「もちろん!任せといて!」



これで社内案内はひとまず終了したようで、健ちゃんは自分の部屋に戻って行った。


さっそく席に座り、マニュアルを見ながらパソコンの設定を始める。


すると隣の席の佐伯さんが話しかけてきた。



「小日向さんって健一郎くんの知り合いなんだよね?」


「あ、はい。兄の友人で、私も子供の頃にお世話になりました」


「そうなんだ。実は私もこの会社に入ったのは健一郎くんの紹介なの。小日向さんと同じだから、なんだか勝手に親近感感じちゃって。ペラペラ話しかけてごめんね」


「いえ、とんでもないです!」



親しげに見えたのは間違いなかったようだ。


紹介で入社したということは、もともと知り合いだったのだろう。



「私は健一郎くんと大学が同じでその頃からの友達なの」


「そうなんですね」


「結婚と出産で前の会社辞めてしばらく専業主婦だったんだけど、それが性に合わなくて悶々としてる時に健一郎くんに声掛けてもらって。3年前からActionで働いてるの」



聞けば佐伯さんのお子さんはもう4歳だそうだ。


今の私の歳の時に出産したらしい。


結婚も出産も自分にはあまりにも縁遠くて、想像したこともなかったけど、話を聞いていて私ももうそういう年頃なんだなと感じた。


佐伯さんは話好きな人のようで、フレンドリーに私に話しかけてきてくれる。


ここの社風通りの感じの人だった。



「健一郎くんって恋愛トークになると首突っ込んできて面倒くさいけど、人を見る目はあるから小日向さんもきっとActionに合うと思うよ」


そんな発言には思わずクスッと笑ってしまった。


自社の専務に対して面倒くさいって言ってのける佐伯さんが面白い。


それに同じことを健ちゃんはつい先日兄にも言われていたなと思い出したのだ。


「やだ、小日向さん、めっちゃ可愛い……!ねぇ、私も詩織ちゃんって呼んでいい?私のこともぜひ名前で呼んで、ね?」


「あ、はい。それは全然構いませんけど、いきなりどうしたんですか?」


「私、可愛い女の子大好きなの。見てるだけで癒されるもの。もちろん顔だけじゃなく性格まで可愛い子に限るけどね。詩織ちゃんは、この短時間で私の心を鷲掴みよ。妹にしたい!」


「ありがとうございます……?」


褒められているのかよく分からなかったけど、とりあえずお礼を述べた。


女性にはなんでか敵視されがちで、女友達がほぼいない私にとって、美帆さんの反応は極めて珍しいものだった。


……とりあえず、仲良くなれそうでよかった。


隣の席が美帆さんだと心強い。


安堵していると、美帆さんが何かを思い出したように「あ、そうだ」と口走る。


そして私に言い聞かせるような口調でまた話し出した。



「こんな可愛い詩織ちゃんだからこそ忠告しておくけど、千尋くんには気をつけてね」


「……千尋くんって社長のことですか?」


「そうそう。私、健一郎くんだけじゃなく、千尋くんとも同じ大学でその頃から知り合いなの。千尋くんって、仕事は文句なしにできるんだけど、昔っから女遊びがひどくて。さすがに社員には手を出さないだろうから大丈夫だとは思うけど。秘書は一緒にいる時間も長いだろうし、ホント気をつけてね」



瀬戸さんの女性関係が派手なことは、健ちゃんや美帆さんなど近しい人間の間では周知の事実なのだという。


その話を聞いて私は「なるほどなぁ」と妙に納得する思いだ。


確かにパリで会った時の瀬戸さんは女の子の扱いにとても慣れている様子だった。


明るく気さくに話しかけられて警戒心も低くなったし、立ち居振舞いもスマート、しかも褒め言葉も自然で言い慣れている感じがしたのをよく覚えている。


出会ってからホテルの部屋まで流れるように導かれたのは記憶に新しい。


……そっか、そんなに遊び慣れている人なんだったら、パリでの一夜なんて瀬戸さんにとっては取るに足らないいつもの日常だったんだろうな。私もそんなに気にする必要ないのかも。



なかったこととして忘れてくださいと私から言うまでもなかったかもしれない。


再会した偶然には驚けど、瀬戸さんにとってはきっとさほど大した出来事ではないはずだ。


面倒をかけたと思って抱いていた罪悪感がますます軽くなる。



……それなら気にすることなく、新しい仕事に邁進しよう!



そう心を新たに、私はパソコンを立ち上げ、さっそく設定とメールチェックを始めた。

涙溢れて、恋開く。

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