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「あと1時間くらいで村に到着だ」
「分かりました」
「眠かったら寝ててもいいぞ」
「ふふ、大丈夫です。起きてます」
 ガタゴトと揺れる馬車の中で、王宮騎士ライル・マクレーンが隣の席に座る令嬢に優しく語りかける。
 ライルのほうを向いて可憐に笑う令嬢は、ルシンダ・ランカスター。魔術学園の同級生であり、大切な友人であり、そしてライルの片想いの相手でもある。
 そのルシンダが、ライルを見つめてぽつりと呟いた。
 「ライル、立派になりましたよね」
「……急にどうした?」
 脈絡のない呟きに戸惑っていると、ルシンダがつん、とライルの腕を指差した。
 「卒業して2年経ちましたけど、肩とか腕とか、だいぶ大きくなったような気がします。きっと、日々の鍛錬の賜物ですね」
 突然の褒め言葉と一緒に、にっこりと微笑まれ、ライルは思わず固まってしまった。
ルシンダに触れられた腕が熱い。ほんの一瞬つつかれただけなのに、こんなに意識してしまうなんて。
 ルシンダは軽い気持ちで友人を褒めただけだろうに、自分ばかりが自意識過剰なようで恥ずかしい気持ちになる。
 きっと馬鹿みたいに赤くなっている顔を隠すように片手で口元を覆い、ルシンダへの返事をなんとか絞り出した。
 「……毎日訓練しているからな」
「ライルは努力家ですね」
「そんなことはない。俺はまだ未熟者だから当然だ」
「そうですか? でも私はすごいと思います」
 ルシンダの純粋な賞賛が次々と胸に迫ってきて、どんどん全身が熱くなってくる。
顔も片手では隠しきれないほど赤くなるのを感じ、これはまずいと思っていると、向かい側の席から苦笑まじりの声が聞こえてきた。
 「ライル、大丈夫かい? 窓を開けようか?」
 声の主は、ライルの先輩騎士であるディオンだ。
ライルが真っ赤になっているのに気づいて、助け船を出してくれたようだ。
 「……すみません、少しだけ開けてもらえますか?」
「はは、いいよ」
 ディオンが爽やかに笑って馬車の窓を開ける。
途端に涼しい風が頬を撫でて、ライルはようやく緊張を解いた。
 「ライル、もしかして馬車に酔ったんですか? 気がつかなくてすみません……」
 しゅんとして肩を落とすルシンダに、ライルが慌てて返事する。
 「俺は大丈夫だから気にしないでくれ。ただちょっと……暑がりなだけなんだ」
「そうなんですか? そういえば顔が赤くなってる気も……」
「や、やっぱりそうか? 馬車の中は熱がこもりやすいからな、困ったものだ」
 視線を彷徨わせながら暑そうに手で仰いでいると、ディオンが可笑しそうにクスクスと笑いを漏らした。
 「ルシンダさんって本当に天然だよね」
「えっ、それって空気が読めてないとか、そういう……?」
「せ、先輩! ルシンダは悪くありません。俺が未熟者なだけで──」
 ディオンの一言に、ルシンダとライルが別々の理由で焦りだす。
それを見たディオンが楽しそうに二人を見やった。
 「はは、悪い意味で言ったんじゃないから安心して。でも、ルシンダさんはあまり気軽に男に触れたりしないほうがいいかもね。ライルなら大丈夫かもしれないけど、世の中にはおかしな奴もいるから」
「は、はい……」
「ライルも、今回は仕事の旅ということを忘れないようにね。今の君にとってルシンダさんは重要な護衛対象なんだから」
「はい、申し訳ありません、肝に銘じます……」
 先輩のディオンにやんわりと注意され、ライルが反省してうなだれる。
 彼の言うとおり、今回の旅は「穢れが発生した森へ赴き、聖女の力で浄化する」ためのもので、ライルの仕事は「聖女であるルシンダを護衛する」こと。
 馬車で移動している今も任務の最中であって、ルシンダに腕を触られて赤くなっている場合ではないのだ。
 使命を思い出し、気合いを入れ直したライルを見て安心したのか、ディオンが朗らかに笑う。
 「じゃあ、反省会は終わり。村に到着するまでまたお喋りでもしよう」
 そうして、ディオンは最近出かけた討伐遠征の話を始め、ルシンダもライルも興味深そうに耳を傾けたのだった。
 
 ◇◇◇
 
 
 目的地の村に到着したのは、午後になってからだった。
日暮れまではまだ時間があったが、穢れの発生源まで移動して浄化するには遅いことと、長時間馬車に揺られて疲労も溜まっていたことから、今日は体を休めて、浄化は明日行うことになった。
 「ルシンダさん、荷物は僕が運ぶから貸して」
「いえそんな、申し訳ないです」
「気にしないで。部屋の安全も確認したいからね」
「そういうことでしたら……」
 気さくに笑うディオンにルシンダが旅行鞄を手渡すと、ディオンはそれを軽々と持ち上げて、二階にあるルシンダの部屋まで運んでくれた。
 ちなみにライルは村全体の様子を見に出かけているらしい。
 ディオンもルシンダに危険が及ばないよう、部屋の家具や窓の配置などを丁寧に確認している。
 彼と一緒に仕事をするのは初めてだったが、気遣いもできるし、仕事にも真面目で好感が持てる。人見知りしがちなルシンダにとって、ディオンのような人物はありがたかった。
 (同行者がライルとディオンさんでよかった)
 そんなことを考えていると、ちょうどディオンが似たようなことを話しかけてきた。
 「そういえば、今回の護衛役はルシンダさんの希望だったって聞いたよ」
「えっ……ああ、そうですね。希望どおりにしていただけてありがたかったです」
 騎士団から同行する騎士の希望を尋ねられたので、ダメ元でライルの名前を挙げて、もう一人はなるべく親しみやすい人がいいとお願いしたのだった。
結果として、とてもいい組み合わせにしてもらえたと思っている。
 満足の表情で返事をすると、ディオンはオリーブ色の瞳をルシンダに向け、少し悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。
 「ふふっ、邪魔者がいないほうがよかったかもしれないけどね」
「えっ……!?」
 邪魔者だなんて、なぜそんなことを言うのだろうか。
 ……そう思いつつも、つい「もしも今回の旅がライルと二人きりだったら──」なんてことを考えてしまい、ルシンダの頬がぱっと朱に染まる。
 (わ、私ってば変なことを考えて……!)
 魔術師団に入ってから2年、順調に経験を積んでいたルシンダは、騎士団と合同で任務にあたる機会が増え、ライルと一緒に行動することも多くなっていた。
 そして、ともに命を預けて戦い、助け合う中で、ルシンダは次第に学生時代とは別の感情をライルに抱くようになっていた。
 クラスメイトへの親しみや友情と似ているけれど、もっと特別で欲深い気持ち。
この気持ちが何なのか、今のルシンダはよく理解している。
 しかし、早く王国一の魔術騎士になることを目指し、日々頑張っているライルを煩わせたくなくて、なんとか気持ちを抑えていたのだった。
 (でも、もし二人旅だったらって想像したら、恥ずかしくなってきちゃった……)
 気持ちが顔に出やすいために、すぐ耳まで赤くなってしまう。
 そして、そんな困った弱点のせいで見破られてしまったのか、ディオンがにっこりと楽しそうな微笑みを浮かべる。
 「あ、あの、これは、その……」
 ルシンダがしどろもどろになっていると、ディオンはクスクスと笑い声を漏らした。
 「はは、照れてるの? 可愛いね。大丈夫だよ、ちゃんと秘密にしておくから」
「あ、ありがとうございます」
 やはり、同行者がディオンでよかった。
空気の読める彼にぺこりと頭を下げてお礼を伝えると、ディオンは優しい目を柔らかく細めた。
 「じゃあ、部屋も異常はなさそうだから失礼するね。僕はすぐ隣の部屋にいるから、何かあったらすぐに呼んで」
「わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ。またあとで」
 ディオンが部屋を出て行ったあと、ルシンダは窓辺に立って外を見下ろした。
少し離れた場所に、ライルの鮮やかな赤髪が見える。
 「……よし、明日の浄化、頑張ろう」
 ルシンダが口もとを綻ばせながら呟いた。
 
 
 ◇◇◇
 
 翌朝、ルシンダはライルとディオンを伴って穢れが発生した森の泉へと向かった。
 村の人々の話によると、ある魔物が森の泉の中で絶命し、その魔物の体から湧き出した毒素で泉の水に穢れが混ざってしまい、周辺の小川や土壌にまで穢れが広がっているらしい。
 「森の動物たちの死骸も大量に見つかっているみたいだ。おそらく汚染された水や植物を口にしたせいだろう」
「村からは離れた場所だったのは幸いだったね」
「はい。ですが、泉自体が村にとって大切な場所だと伺いました。早く浄化しないといけませんね」
 昨日、ルシンダの部屋に食事を運んできてくれた村人の話によると、今回の穢れのせいで、村の「成人の儀」に影響が出ているのだという。
 成人の儀とはその名のとおり、成人を迎える男子に課されるもので、森の奥深くにある小屋を拠点として、三日三晩、一人で狩りをして生活するという儀式らしい。
 小屋は件の泉の近くに建てられているため、「今のままでは儀式が行えない」と村人も困った様子だった。
 「それと、成人の儀を無事にやり遂げたら意中の女性に告白するのが伝統なのだそうです」
「なるほど……。それは早くなんとかしてやりたいな」
「たしかに。告白するきっかけは大事だからね」
 ディオンの言葉に、ルシンダがふとライルの横顔に視線を向ける。
 (告白するきっかけ、か……)
 自分も何かきっかけがあれば、勇気を出して気持ちを伝えることができるだろうか。
 (でも、きっかけって例えばどんな……?)
 成人の儀にあたりそうなデビュタントはもう済ませてしまった。
魔術師団と騎士団合同の訓練や任務では何度も一緒になっているけれど、告白できそうな雰囲気になったことなんてない。というか、そもそも仕事中にそんな雰囲気を期待するほうがおかしい。
 (ライルは真面目だから、仕事中に浮ついたことなんて考えるはずないもんね)
 今だって、周囲に危険はないか絶えず警戒してくれている。
 ライルの真剣な表情に目を奪われていると、ふいにこちらを向いたライルと目が合った。
 「どうした、ルシンダ? 何か気になることでもあったか?」
「えっ! な、何でもありません。それより、泉まで行くのが結構大変ですね」
 急に目を逸らすわけにもいかず適当に誤魔化してみたが、実際、泉までの道のりは苦労の連続だった。
 荒れた獣道を辿り、丸太を渡しただけの一本橋を渡り、崖のようにそびえる岩壁を乗り越え、途中でいきり立った猪に襲われたりもして、ようやくあと少しで到着というところまでやって来たのだった。
 「行き帰りも含めて成人の儀の試練なんだろうな」
「これは無事に帰れたら達成感ありますね」
「……そうだな、これを終えたら告白する自信もつきそうだ」
 ライルから、何か物言いたげな眼差しを向けられて、ルシンダがどきりとする。
視線が絡み、先ほどまで鋭かったライルの目が、柔らかく、けれどどこか切なそうに細められる。
 「ルシン──」
「ルシンダさん」
 ライルから呼びかけられた途中で、ディオンが朗らかに声を上げた。
 「ほら、あそこ。泉が見えるよ」
「えっ……あ、本当ですね!」
 ライルに気を取られていて気づかなかったが、ディオンが指差すほうを確かめると、たしかに泉のような水面が見える。
 「ルシンダさん、僕たちの周囲に結界は張れる? 土壌がかなり汚染されているみたいだ」
「はい、大丈夫です。今、結界を張りますね」
「ありがとう」
 光魔術で結界を張り、急ぎ足で泉へと向かう。
うっすらと濁った泉の水底を覗き込むと、腐敗の進んだ魔物の死骸が沈んでいた。
 「結構大きいな」
「体全体が崩れかかってるね」
 水魔術を使って泉から死骸を取り出す予定だったが、今の状態で上げてしまうと腐臭が酷いことになりそうだ。
ルシンダは死骸を水中に沈めたまま穢れの浄化を行うことにした。
 「では、始めます」
 両手に魔力を集め、泉の水面にかざす。
そうして浄化の魔術を使うと、両手の平から清らかな白い光が生まれ、泉の奥底へと広がっていった。
 「このまま泉と土壌も浄化していきます」
「大丈夫か? 一度にやるのは負担が大きいんじゃ……」
 ライルが心配そうに尋ねるが、ルシンダは両手をかざしたまま首を横に振った。
 「いえ、このほうが効率が良さそうです。それでもかなり時間がかかると思いますが……」
 泉の水を通じて土壌や植物の根など広範囲に染み込んだ穢れを浄化するには、かなりの時間と労力が必要そうだった。
しかし、村人やこの森の動植物のことを考えれば、一刻も早く元の美しい森に戻してあげたい。そのためには多少の無理も仕方ないだろう。
 (……穢れをすべて浄化できますように──)
 強い祈りの気持ちを胸に秘め、ルシンダは両手にさらに魔力を込めた。
 
 
 ◇◇◇
 
 
 「ルシンダさん、大丈夫?」
 泉の前でへたり込むルシンダにディオンが心配の声をかける。
 「す、すみません……。大丈夫なんですけど、さすがに疲れてしまって……」
 浄化を始めてから数時間。
苦労した甲斐あって穢れは完全に浄化でき、魔物の死骸も光魔術で消滅させることができたが、ルシンダの体力と気力は限界だった。
 「申し訳ありませんが、しばらく休ませていただいても──きゃっ!」
 休憩を願い出ようとしたルシンダが驚きの声をあげる。
突然ふわりと体が持ち上がったかと思ったら、ライルの腕に抱きかかえられていたのだった。
 「ラ、ライル!?」
 予想外の出来事に、ルシンダの顔が一気に赤くなる。
おずおずとライルの顔を見上げると、眉を下げて心配そうな表情の彼と目が合った。
 「顔色が悪いし、体も冷たい。魔力切れを起こしているから、横になって休んだほうがいい」
「魔力切れ……」
 言われてみれば、もう簡単な魔術も使えないくらい、魔力はすっからかんだった。
魔力切れから回復するには、個人差はあれど、大抵数日はかかると聞いたことがある。
 「この近くに成人の儀で使う小屋があるはずだから、ひとまずそこへ行こう」
「はい、迷惑をかけてすみません……」
ルシンダが申し訳なさそうに謝ると、ライルから優しい声が返ってきた。
 「謝る必要なんてない。ルシンダがここまで頑張ってくれたおかげで穢れを浄化できたんだ。あとのことは心配せず、ゆっくり休め。ちゃんと守っててやるから」
「……はい、ありがとうございます」
 ライルの言ったとおり、少し歩くと成人の儀のための小屋があり、ルシンダはそこで休ませてもらうことにした。
寝床は最低限の作りで寝心地がいいとは言えなかったが、疲れ切って立っているだけでやっとのルシンダにとっては横になれるだけでありがたかった。
 「すみません、すぐ起きますから」
 そう言って瞼を閉じた数十秒後、ルシンダは眠りの中へと落ちていった。