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久しぶりに丸一日休みが取れた筒井は自宅のマンションで夜遅くまでパソコンゲームに熱中していた。
ゲームの途中で会社から支給されているスマホが鳴った。筒井は顔をしかめて通話ボタンをクリックした。
「もしもし、あ、はい、私です。え? 明日ですか? はあ、まあ、明日は渡研に行く日ではないんで、空いてますけど。ああなるほど、ポップカルチャーで街おこしってやつですか。朝直行でいいんですね。分かりました」
筒井はスマホを置くと大きくため息をついた。
「ま、たまには記者としての仕事もしないとね。朝早いからもう寝ないと」
翌日、筒井はパンツスーツに身を包んで、ノートパソコンとデジタルカメラを入れた肩掛けバッグを持ち、鉄道で目的地の近くまで行き、バスに乗り換えた。
バスの後部座席に座ってスマホで資料を確認する。
「へえ、新しい東京都心を形成……コンテンツ産業の集積地を目指す、か。なんかよくあるパターンの気がするけど、成功すんのかしらね」
バスが陸橋にさしかかったところで、運転手がけたたましくクラクションを鳴らし始めた。
何事か? と前を見る乗客たちに運転手が叫ぶ。
「お客さんたち! しっかり捕まって!」
直後に横方向の衝撃が走り、前方右側の窓の向こうに大型トラックの荷台が見えた。トラックの車体がバスの横腹をこするように接触し、バスの車体が斜めに揺れた。
バスは陸橋のガードレールを突き破って、下の道路に向かって落下した。乗客の悲鳴を聞きながら、筒井は視界が逆さまになるのを感じた。
さらに大きな衝撃を全身で感じながら、筒井の意識はすうっと薄れて行った。
全身に広がるズキズキとした痛みをこらえながら筒井が身を起こすと、見た事のない光景が一面に広がっていた。
特徴のない似たような高層ビルが立ち並び、辺りは薄暗い。空は昼間なのだが、分厚く黒い雲が低く立ち込めている。かすかに光が強く見える部分が太陽なのだとすれば、今は正午ごろのはずだが、立ち込める分厚い雲のせいで夕方のような薄暗さだ。
街には人影がなかった。片側3車線の広く整った幹線道路が規則正しく走っているが、ところどころに物が燃えたような黒い跡がある。
立ち上がって自分の体の状態を確かめる。どうやらケガはしていないようだった。服も多少砂ぼこりが付いているぐらいで、動き回るのに支障はない。
だが持っていたバッグとスマホは周辺を歩き回ったがどこにも見つからなかった。
改めて街の全景を見渡すと、筒井はある不自然な点に気づいた。はるかに遠く離れた場所に、壁らしき物が見える。
その壁は筒井の近くにある高層ビルと同じか、さらに高いように見えた。筒井が位置を変え、街の四方の端を見ると全ての方向で遠くにその高い壁が見えた。
どうやらこの街全体がとてつもなく高い壁でぐるりと囲まれているらしい。そんな場所が日本に、少なくとも東京近郊にあるという話を筒井は聞いた事がなかった。
とりあえず人がいそうな場所を求めて、筒井はあてどもなく足を進めた。しばらく歩くとかすかに人の声が聞こえて来た。その場所へ向かって速足で進むと、ビルの一階の広場のようになっている場所に出た。
そこには数十人の人がいた。スペースのあちこちにどこかから拾って来たらしい鉄骨や板が組み立てられ、小さな屋台のような店がひしめき合っていた。
まるで写真で見た戦後の闇市のようだ、と筒井は思った。そこに集まっている人たちは汚れでくすんだ服を着て、顔は煤けたように黒ずんでいる。
筒井は近くの立ち飲み屋みたいな屋台をのぞき込んで中の主人と2人の男の客におそるおそる尋ねる。
「あの、すいません。ここは何という街ですか?」
屋台の主人がぎょっとした表情で筒井の顔をにらんだ。
「あ? 東京第4新都心に決まってんだろうが。おめえ、新入りか?」
客たちも好奇心丸出しで筒井を見る。
「ねえちゃん、壁の向こうから来たのか?」
「へえ、珍しいな。いや待て!」
片方の客がおびえた声を出した。
「おまえ、女だよな。どっちの人間だ?」
筒井はキョトンとして問い返す。
「どっちのって……何の話ですか」
屋台の主人も青ざめた顔で問い詰める。
「フェミ族かオタ族か、どっち側の人間かと訊いてんだ!」
「ええと、あたしはどっちでもありませんが」
その言葉に主人と二人の客は、はっきりと聞こえるほどの安堵のため息をついた。主人が水の入った、薄汚れたコップを差し出しながら言う。
「なんでこの街に来た?」
「はあ、それがよく覚えてなくて。確かバスの事故に遭って、気が付いたらここにいて」
「ふうん、とにかくオタ族に見つからねえように気をつけな。フェミ族と間違われたら命はねえぞ」
その時、広場の隅で誰かが叫んだ。
「オタ族の見回りだ! みんな気をつけろ!」
屋台の主人はカウンターの奥からあわてて高さ30センチほどのパネルを引っ張り出した。それはいわゆる美少女キャラの萌え絵が描かれたパネルだった。主人は屋台の入り口にパネルを立てかけながら恨めしそうに独り言を言う。
「ちきしょう、俺たちはただ食っていかなきゃならねえだけなんだ。なんであいつらの戦いに付き合わなきゃいけねえんだ」
やがて、ザッザッという足音と共に、様々な年齢の男たちの一団が広場に現れた。他の屋台にいる人々は精一杯の愛想笑いで一団を見送る。
筒井の姿を見つけた一団が急に足を早めて近づいて来た。一人の男がゴルフバッグを開き、中から取り出した物は自動小銃だった。
男たちは筒井をぐるりと取り囲み、銃を持った男がその銃口を筒井に向ける。屋台の主人と客たちは、震えながら走り去った。
銃を持った男があごで合図すると、男のうち二人が筒井の背後に回り、肩と腕を両側からつかんで引き倒した。地面に両膝を突いた姿勢にさせられた筒井が抗議の悲鳴を上げる。
「ちょ、ちょっと、何するんですか?」
銃を持った男が冷酷な声で言う。
「きさまフェミ族だな? ここは俺たちオタ族の縄張りだ。生きて帰れると思ったか?」
「な、何なのよ? この熱血のオルフェンズみたいな展開は?」
「おい、待て!」
一団のリーダー格らしき30代ぐらいの男が他のメンバーを制止した。そのまま筒井の前にしゃがみ込み、顔をじっと見つめる。
「女に間違いないが、フェミ族じゃないのか? おい、超時空要塞シリーズの真っ黒スケ・デルタのヒロインは何人だ?」
「5人です。あ、今は広報担当の元メンバーを除けば」
男たちが、オオッとどよめいた。
「リーダー! こいつは、まさか伝説の……」
そう言って意気込む仲間を手で制し、リーダー格の男がさらに筒井に問いかける。
「これはオタ族でないと決して正解できないやつだ。いいか、女。慎重に答えろ。ネットゲーム『ミナシゴノオヤクメ』はR18か否か? どうだ?」
筒井は間髪を入れずに即答した。
「両方あります。エロシーン無しの全年齢向けと、ありの18禁バージョン」
リーダー格の男ががく然とした表情で言う。
「間違いない。オタ族だ。仲間だ」
筒井の体を押さえつけていた二人が一転して助け起こし、背中についたほこりを払ってくれた。
「いやすまなかった。てっきりフェミ族だと思ったもんで」
「痛かっただろう、ごめんよ」
何がなんだか分からずキョトンとしている筒井にリーダー格の男が右手を差し出した。
「よければ握手してもらえるか? 女性のオタ族に会うなんて、何年ぶりだろう。もう二度と出会える事はないと思っていた」
訳は分からないが、とりあえずその場の空気を読んだ筒井はおそるおそるリーダー格の男の手を握り返した。
周りの男たちが次々と筒井の前に来て話しかける。
「よく生き残っててくれた。歓迎するぜ」
「うわあ、僕、本物のオタ族の女性を見たの、生まれて初めてです」
「俺も話でしか聞いた事がない。女性のオタ族が実在したなんて!」
「ああ、あれはただの伝説じゃなかったんだ」
リーダー格の男が男たちを制して言う。
「あんた、とにかく俺たちのアジトへ来い。女オタが一人でうろうろするのは危険だ。特にフェミ族に見つかったらその場で焼かれる」
筒井は頭をフル回転させて今の状況を推測する。今でも何がなんだか訳が分からないが、確かに一人で行動するのは危険な場所のようだ。
「分かりました。よろしくお願いします」
リーダー格の男はそう答えた筒井にある物を差し出した。黒ずんではいるが、銀色の髪留めらしき物だった。表面には浮彫で「OTA009」という文字列が刻んである。
男たちの一人が仰天した表情で言う。
「タイガーさん! いいんですか、それはアネさんの形見じゃ?」
リーダー格の男は髪留めを筒井に手渡しながら答える。
「死んだ人間より、生きてる人間の役に立つ方が、あいつも喜ぶさ。女はフェミ族と間違われやすい。それを付けていれば俺たちの仲間だと一目で分かる」
男たちの一団に混じって歩き出しながら、筒井は髪に付けたそのアクセサーの事をそっと小声で横にいる男に訊いた。
「これは何か由来のある物なんですか?」
「ああ、リーダーのタイガーさんの恋人の形見だ」
「形見って……じゃあ、その人は?」
「フェミ族に殺された。生きたまま、焼き殺されたんだ!」
筒井が男たちに案内されて行ったのは、何かの工場のような建物だった。トタン屋根は錆びて赤茶色に変色しており壁も黒く煤けていた。
2階建ての建物の中に入ると天井に無数の照明が並び、外よりよっぽど明るく感じられた。
ベルトコンベアーが無数に並んでいるその横で、大勢の男たちが電子機器のような機会を組み立てていた。筒井はタイガーと呼ばれていたリーダー格の男に訊いてみた。
「何を作っているんですか?」
タイガーは工場の全体を見渡しながら答えた。
「最後の決戦のための武器だ。俺たちにはフェミ族の火炎放射器に対抗できるだけの武力がなかったからな」
「火炎放射器? 戦争でも始めるつもりですか?」
「心配ない、最後は俺たちが勝つ。俺たちオタ族には、政府から最終兵器が供与されているからな」
「最終兵器? どんな?」
「それはまだ言えん。その時までの極秘事項だ」
タイガーが仕事があると言ってその場を離れたため、筒井は工場の周りの様子を観察しておく事にした。
敷地の一角に小型の乗用車が十数台、ずらりと並んでいる場所があった。筒井は近くの詰め所らしき小さな箱型の建物の中にいる男に訊いた。
「あの、あそこの車お借り出来ませんか?」
妙に製本の具合が荒いマンガ本を読んでいた男は面倒くさそうに答えた。
「別にかまわねえが、どこへ行くんだ」
「いえ、ちょっと街の様子を把握しておきたくて。あたしまだこっちへ来たばかりなので」
「じゃあ、あそこの一番左端のやつを使いな。どれもポンコツの電気自動車だが、あれが一番マシだ。ほれよ、これがキーだ」
男からキーを受け取った筒井は煤けたシルバーの車に乗り込む。どうやら運転の仕組みは筒井が知っている車種と大差ない。
筒井は車を走らせ、工場の敷地を出た。まずは遠くに見える巨大な壁の側を目指す。ハンドルを切りながら、筒井は独り言を口にした。
「一体何なの、この街は? 異世界? パラレルワールド? それとも、あたしタイムスリップでもしちゃったの?」
筒井は大通りの向こうに見える巨大な壁に向かって車を走らせた。途中で街のあちこちに視線を向けると、人気が無いように見える高層ビルの低層階に、屋台の灯りが見えた。
廃墟のように見えるマンションにも、窓辺に洗濯物が干してあり、人が少なからず住んでいるようだった。
壁の真下に着くと、筒井は改めてその巨大さに圧倒された。高さが優に100メートルはあり、壁の向こう側を見通せるような扉らしき物はどこにも無い。
壁に沿って車を走らせると、どこまでも緩いカーブを描いて続いていて、継ぎ目らしき物は全く見当たらない。どうやら街全体が、ぐるりと巨大な壁に取り囲まれた閉鎖地帯になっているようだった。
壁沿いに街の外周を半分過ぎたあたりで、車のダッシュボードから警告音がした。ピコピコという音に驚いて運転席の計器を見ると、バッテリーの残量を示すゲージが赤く点滅していた。
筒井は顔をしかめて窓の外を見回す。
「こんなに早くバッテリー切れちゃうの? 確かにポンコツだ、こりゃ。ええと、どこかに充電ステーションとかあるのかな?」
おそるおそる車を走らせていると、広大な広場が目に入って来た。そこに大勢の人が集まっている。筒井はほっとして、その場所に車を乗り入れた。
筒井の車に気づいた二人の中年の女性が足早に近づいて来た。その二人が男性用のように見える武骨な軍服スタイルの格好である事に気づいた筒井は、驚いて頭に手をあてた。
「なんかヤバそうな人たちね。ううん、どうしよう」
その時手があの髪飾りにあたった。筒井はあわてて、タイガーと呼ばれていたオタ族の男に渡されたその髪飾りを外し、上着の内ポケットにねじこんだ。
軍服ルックの女たちが運転席の横に立ち、窓を叩く。運転席の窓ガラスを降ろすと、女たちは中をのぞき込んで筒井に言う。
「ああ、女性ね。どうやら一人のようだけど、何しにここへ?」
筒井は精一杯の愛想笑いを浮かべて答えた。
「あの、車のバッテリーが切れそうで。この辺りに充電できる所ありますか?」
「ああ、そういう事ね。広場の奥に充電ステーションがあるわ。充電している間にいい物が見られるわよ。あなた、今日はラッキーね」
広場の奥にある充電器を車につないだ所で、さっきの軍服ルックの女の一人が近づいて来た。
「ちょうどこれから始まるところよ。あなたも女性ならフェミ族でしょ? 見ておきなさい」
筒井は本能的に逆らわない方がいいと感じた。女の後からついて行きながら尋ねる。
「始まるって、何が始まるんですか?」
「悪を裁くのよ。ほら、あそこ」
広場の中央に丸太程の太さの金属の柱が数メートルの高さでそびえ立っている。手錠で両手首をつながれた太った若い男が一人、軍服ルックの女たち数人に鉄の棒で小突かれながら引きずり出された。
その男は手錠の鎖を金属の柱につながれ、離れる事が出来なくなった。女の一人が大判の紙を数枚、頭の上に高々と掲げ、恐怖の表情を浮かべている周りの普通の服装の老若男女に大声で宣言する。
「この男は女性蔑視のイラストを多数、自宅に隠し持っていた。これより更生処置を行う」
筒井がそのイラストに目を凝らすと、アニメ風のミニスカートの美少女が描かれていた。いわゆる萌え絵という物らしい。
男の左右から別の軍服ルックの女が二人歩み寄ると、周りの群衆から恐怖のうめき声が上がった。
その二人の女は背中に円筒形のタンクを背負っており、そこから手にした太い銃のような器具とホースでつながっている。
男の左右、5メートルほどの所で二人の女は立ち止まり、筒状の器具を男に向けた。男は半狂乱になって叫んだ。
「わああ! よせ、やめろ! 俺が何をしたって言うんだ?!」
イラストを持っていた女が男の目の前に進み、イラストの束を男の顔に投げつけて怒鳴った。
「黙れ! 女性差別主義者はその悪行にふさわしい報いを受けるがいい。やれ」
その女が距離を取って離れると、タンクを背負った二人の女の器具の先からオレンジ色の炎が線を描いて噴き出した。火炎放射器だった。
「ギャアアアアアア!」
炎に包まれた男はのたうち回った。だが両手首を手錠で柱につながれているため、逃げる事は出来ない。
激しくのたうち回る炎の塊と化した男は、すぐに動かなくなり、肉が焼ける異臭が辺り一帯に漂った。
周りの群衆の恐怖のうめきはどよめきに変わった。どうやら無理やりその場に集められた人たちのようだった。
筒井はその場にしゃがみ込んで、両手で顔を覆って吐き気をこらえた。その様子を見て、筒井を連れて来た女が顔色すら変えずに言った。
「あら、矯正を見るのは初めてだった?」
「これが矯正なんですか? あの男の人、死んだじゃないですか?」
「死ねば女性に対する差別も蔑視もできなくなるでしょ。この街に巣くっているオタ族を全滅させるまで、私たちの闘いは終わらない。あなたも女性なら、私たちに協力しなさい」
「そのオタ族、あたしちらっと見た事あるんですけど、向こうは本物の銃を持ってましたよ。それも軍隊が使うようなのを。互角に戦えるんでしょうか?」
女の答に、筒井は眉をひそめた。
「大丈夫、あたしたちは政府から秘密兵器の供与を受けているから。もうすぐそれが出動可能になれば、オタ族なんて敵じゃないわ」
充電が済んだ車に乗って、筒井は怪しまれない程度に急いでその場を離れた。充分距離を取った所で停車し、車のダッシュボードを片っ端から漁ってみる。
「狂ってるわ、この世界。それにオタ族、フェミ族の両方が、密かに政府から秘密兵器を供与されているって、絶対おかしい。何か手掛かりは……」
ダッシュボードの隅っこに小さな手帳があった。表紙に「第4新都心管理事務所」と書いてあった。
その所在地の住所をカーナビで検索すると、街の真ん中あたりの場所がヒットした。筒井は車をその場所へ向けて走らせた。
その場所にはひときわ高いビルが立っていた。壊れてはいないが、まるで廃墟のようなさびれた雰囲気に包まれた建物だった。
側に車を停めて筒井が徒歩でビルに向かって歩き出した途端に、鋭い銃声が響いて足元近くのアスファルトの上に火花が散った。
ビルの入り口に自動小銃を構えた男がいる。中からもう一人の男が飛び出して来て銃を持った男に叫ぶ。
「どうした?」
「女があそこにいる! フェミ族の侵入だ!」
それを聞いた筒井は、内ポケットからタイガーにもらった髪飾りを取り出し、なるべく目立つように右のこめかみ辺りに付けた。
二人の男が筒井の側に駆け付け、銃を持った方が銃口を突きつける。
「きさま、いい度胸だな。望み通りあの世に送ってやる!」
もう一人の男が筒井の髪飾りに気づいて、もう一人の持っている銃口を下からはね上げた。
「待て! その人が付けている髪留めを見ろ」
銃を持った男が怪訝そうな顔で筒井のこめかみを見つめ、髪飾りの表面に刻まれている文字列に気づき、驚きの声を上げた。
「OTA(オーティーエー)009(ゼロゼロナイン)!」
男は銃身を垂直に持ち直し、筒井に向かって腰を90度に下げてお辞儀をした。
「大変失礼いたしました! あの伝説のオタ族の女戦士だとは夢にも思わず」
筒井は照れ笑いを浮かべて言う。
「ああ、いえ、あたし、その本人じゃありません。この髪留めはある人にもらった物で」
「タイガーさんからですか?」
「ああ、はい、そう呼ばれている人でしたね」
「だとすれば、我々のリーダーが後継の女オタ戦士として認めた方という事になります。このビルはオタ族が実効支配しておりますので、もし何か御用なのであれば、何でもお申し付け下さい」
「ええと、ちょっと調べてみたい事があって。第4新都心管理事務所があったのは、この中ですよね」
「分かりました。おい、君」
銃を持って男はもう一人の男に声をかける。
「この方を15階へご案内してくれ。くれぐれも失礼のないようにな」
その部屋に入ると、いかにも役所という感じのレイアウトでパソコンや作業机が並んでいた。
一つだけ向きが違う、管理職の席とおぼしき机の上の、ほこりをかぶったパソコンの電源ボタンを押すと、モニターに光がともった。機能はまだ生きているようだ。
マウスであちこちをいじっていると、「極秘」とタイトルのついたファイルが見つかった。開いて見ようとすると、暗証番号を入力する画面になった。
筒井は辺りを見て回ったが、暗証番号の手がかりになりそうなメモなどは何もない。頭を抱えて筒井が独り言を言う。
「ううん、多分3回ぐらいは失敗しても大丈夫なタイプよね、これ。じゃ、まずは100%あり得ないやつだけど」
7桁の暗証番号の入力画面に「1234567」と打ち込んでエンターキーを押す。すると認証されましたというメッセージと共に、ファイルの画面が開いた。
「いや、あり得ないでしょ! こんなベタなパターン。ああ、でも、ベタ過ぎて逆に気づかれないと思ったのかも」
ファイルの中にある文章を読み進んだ筒井は息を呑んだ。
「これが政府の本当の意図! だとしたら止めないと!」
筒井は再び車を走らせ、さっきフェミ族が集まっていた広場へ向かった。運転しながら筒井の口から無意識に声が漏れる。
「オタ族、フェミ族、両方の過激な者たちを一か所に集めて争わせ、共倒れにさせて抹殺する。だとしたら、両方が政府から秘密兵器を与えられているとしても不思議はない」
広場に隣接した元は商業ビルだったらしい建物の入り口に車を停め、筒井は中に入ってリーダーらしき人物を探した。
最初に筒井に声をかけて来たあの女を見つけて側へ走り寄る。女は筒井に気づいて不気味な笑いを顔に浮かべて言う。
「あら、いい所へ来たわね。ついに私たちの秘密兵器が作動するわ。ほら、あそこに」
女が指差すその先の広大な空間にあったのは、巨大な真っ赤な肌の生物だった。象のような下半身の上に、無数の龍のような形の頭がずらりと並んでいる。
「これが秘密兵器?」
驚いて叫んだ筒井に、女が得意気に説明する。
「あらゆる種の動物の雌の細胞だけを培養して作り出した、生物兵器よ。武器は無数の口から放つ炎。その名もフェミラよ」
体高30メートルはある、その巨大な怪物を見上げてしばし呆然としていた筒井は、はっと我に返り、女に第4新都心管理事務所で見た機密ファイルの事を告げた。
政府の真の狙いはオタ族とフェミ族を一か所に一緒に閉じ込めて、お互いに殺し合わせ、両者を共倒れにさせて抹殺する事。両者に与えられた秘密兵器は、そのための物である事。
だがその女も周りの軍服ルックの大勢の女たちも、笑い出しただけだった。
「何を馬鹿な事を言ってるの? 正義はわたしたちフェミ族の側にあるのよ」
「おい、待て。そいつ、まさか女性のくせしてオタ族の仲間じゃないだろうね」
周りの女の一人がそう言い、大勢の女たちが一斉に筒井に視線を向ける。筒井はあわてて背を向け、車に向かって全力で駆け出した。
車が走り出したところで、建物の中から火炎放射器を背負った女が飛び出し、炎をほとばしらせる。その炎はすんでの所で、車体には届かなかった。
走り去って行く筒井の車を見ながら、その女がリーダー格のさっきの女に訊く。
「どうします。追いますか?」
リーダー格の女は落ち着き払った口調で答えた。
「放っておきなさい。フェミラが動き出せば、どのみち皆殺しにされるんだから」
筒井は車を全速力で、オタ族の拠点がある工場に向かわせた。車を停めて工場の建物の中へ走り込む。
中にいた数人の男たちに、タイガーと呼ばれていた男の居場所を訊いて回った。彼らが指差す方向へ駆けて行くと、いつしか階段を何度も降りて地下のスペースに入り込んでいた。
タイガーの横に駆け寄り、筒井は必死で声を振り絞った。
「大変です! フェミ族の秘密兵器というのは巨大な怪獣です」
タイガーは周りの数人の男と共に筒井に顔を向け、ニヤリと笑った。
「あれの事か?」
彼が指差す先には大きなスクリーンモニターがあり、さっきの広場の様子が映し出されていた。
スクリーンの中で、広場の隅の建物が内側から突き崩され、無数の龍の首を持つ四本足の巨大な生物が広場に走り出る。筒井は顔を引きつらせてタイガーに告げる。
「そうです、あれです! 早くなんとかしないと」
だがタイガーと周りの男たちはニヤニヤと笑うだけだった。
「前に言っただろう。俺たちにも政府から秘密裏に提供された秘密兵器があると。おい、シャッターを開け。時が来た」
タイガーがそう言うと、天井まで続く巨大なシャッターがガラガラと音を立てて上がって行く。その向こうにある物体を見て筒井は息を呑んだ。
「これは?」
そこに見えて来たのは高さ30メートルはある銀色の物体だった。ティラノサウルスの四肢を太くがっしりさせたような体形。頭の前面真ん中には大きな目らしき物が一つだけ。背中から長く伸びた尻尾の先まで五角形のひれのような物が二列に並んでいる。
全身は鈍く銀色に光っていた。その巨体の表面のあちこちに萌え絵風の様々な美少女キャラクターが色とりどりの塗料で描かれている。筒井がつぶやく。
「ロボット?」
タイガーが筒井の肩をポンと叩いて告げた。
「オタ族の機械いじりの技術を結集させた、俺たちの最終兵器だ。その名は、メカモエラ!」
タイガーの合図とともに、ロボット怪獣を乗せた台座がせり上がり、真上の工場の天井が横にスライドして開く。
筒井は第4新都心管理事務所で見た情報を、タイガーに伝えた。だが彼らはそろって腹を抱えて笑うだけだった。周りの男たちが笑いながら言う。
「ははは、さてはフェミ族に何か吹き込まれたな」
「あいつらは自分に都合が良けりゃ、どんな嘘だって吐くからな」
「正義は俺たちの側にあるんだ。心配するな」
その間にメカモエラの巨体は地上に押し上げられ、顔の一つ目が緑色に輝いた。
筒井は壁にかかっている、この街の物らしい大きな地図に気づき、ハッとしてタイガーに訊いた。
「あの、このまま両方の怪獣が進んだら、街の中心部で戦闘が始まってしまいませんか?」
タイガーは、それがどうした? と言いたげな口調で答えた。
「そりゃそうなるだろうな。それがどうかしたのか?」
「街の中心部には多くの一般人が暮らしてます! あの人たちが巻き添えになってしまうんじゃ?」
「それは仕方ないだろう。俺たちの目的はフェミ族の殲滅だ。やつらに焼き滅ぼされた昔の仲間やコンテンツの仇を取るためだ。多少の犠牲は仕方ないさ」
筒井はゆっくりと後ずさり、車を置いている場所に向かって走った。走りながらうわ言のようにつぶやいた。
「狂ってる! フェミ族もオタ族も、どっちも狂ってる!」
筒井は車に乗り込み、街の中心部に向かった。時折、ズシンズシンという重々しい振動が車に伝わって来た。大通り2本向こう側に、メカモエラが進んでいくのが見えた。
街の中心部のビルが並ぶ辺りにたどり着き、窓から身を乗り出してクラクションを鳴らし住人たちに避難を呼びかけた。
「みなさん! 早くそこから逃げて! この付近は戦場になるのよ!」
反対方向のビルの陰から、フェミラの真っ赤な姿が現れた。龍の口の一つが炎を吐く。メカモエラの一つ目からは青い光線が放たれた。
炎と光線がぶつかり、まばゆい閃光を発し、空中で爆発が起きた。その爆風が横にあったビルの外壁を破壊した。
大きく剥がれ落ちた外壁は、筒井の呼びかけに応じて道路へ飛び出して来ていた住人たちの上に崩れ落ちた。
筒井は車を発進させて怪獣たちから距離を取る。フェミラが次々と炎の束を吐き出し、メカモエラの背中の五角形のひれが一つずつジェット噴射を吐き出しながらミサイルになって飛ぶ。
二大怪獣が体を接する距離まで近づき、それぞれの武器を繰り出す。その度に回りのビルがボロボロと崩れていく。
メカモエラが放ったミサイルの一発がフェミラの首の一つを引きちぎり、その首は炎を吐きながら宙を飛んで、フェミ族の拠点に落ちた。
戦いを見守っていたフェミ族たちを、その炎に包まれた首が直撃し、彼女たちは紅蓮の火に包まれた。
今度はフェミラの首の一つが、メカモエラが飛ばしたミサイルを弾き飛ばした。そのミサイルはコントロールを失い、タイガーたちがスクリーン越しに戦いを見守る工場を直撃した。
彼らはミサイルの爆発に巻き込まれ、全員吹き飛ばされて絶命した。
フェミラとメカモエラは組み合うような恰好で、ありったけの武器を発射し、双方ともに光と炎に包まれた。
筒井は車の中から、子どもの一団がビルの横を泣きながら歩いているのに気づいた。車をそちらへ向け、10人の子どもたちの側へ近づこうとした時、フェミラとメカモエラの体が大爆発を起こした。
そのビルは衝撃で崩壊し、子どもたちの姿は落下するがれきの中に消えた。筒井が乗っている車も爆風で横転した。
筒井が車から這い出して道路に降りると、辺り一面は焼け焦げた廃墟になっていた。呆然とその光景を見つめて、筒井は涙を流しながら叫んだ。
「どうしてよ?! なんでこんな事になっちゃったのよ?」
筒井がその場にひざをついてしゃがみ込む。さっきの子どもたちが下敷きになったあたりのがれきの山を見つめていた。
「どうしてここまで憎み合い、争う必要があったのよ!」
筒井が天を見上げて泣き叫ぶ。ふと近くから、声がした。
「おねえさんのような普通の人たちが止めなかったからだよ」
筒井がぎょっとして周りを見渡すと、がれきの山が崩れて小学生ぐらいの男の子が、血まみれの姿のままゆらりと立ちあがった。その子は死人そのままの姿で筒井の方へ歩き出し、さらに言う。
「昔、あの人たちが争いを始めた時、おねえさんたちは誰も止めなかったじゃない」
別の場所から今度は幼稚園児ぐらいの女の子の死体が立ち上がり、筒井に言う。
「おねえさんだって、同じぐらい悪いじゃん。こういうの何て言うの?」
筒井の周りのがれきの山が次々と動き、中から子どもたちの死体が立ち上がり、筒井の方に近づいて来ながら口々に言う。
「僕知ってる。ドウザイって言うんだよ」
「そうだ、同罪だよ。大人はみんな同罪なんだよ」
「ねえ、返してよ。僕たちの未来を、返してよ」
いつしか筒井は血と泥にまみれた大勢の子どもたちに取り囲まれていた。子どもたちはその両腕を筒井に向かって伸ばして、ゆっくりと近づいて来る。
筒井は両腕で頭を覆って、悲鳴を上げた。
「きゃーーーー! いやーーーー!」
筒井は肺の空気を全部絞り出す勢いで悲鳴を上げ、両手を宙に伸ばした。目を開けると、そこはベッドの上だった。どうやら病院の病室らしい。
悲鳴を聞きつけた女性看護師が駆け寄って来た。筒井の両肩をつかんで落ち着かせようとする。
「意識が戻ったのね。大丈夫、ここは病院よ。すぐに先生を呼んで来ますから安心して」
筒井は自分の服装を確かめた。入院患者用のガウンを着ていた。ベッドに上半身を起こし、窓の外の景色を見ると、ありきたりの首都圏の街並みしか見えなかった。筒井はつぶやいた。
「あれは夢……だったの?」
それから午後の時間帯になり、知らせを受けた渡研の面々が見舞いにやって来た。宮下から、あの事故の詳細とその後の事を聞かされた。
バスは陸橋から転落したが、360度ぐるりと一回転して下の地面に落ちたため衝撃は最小限で済み、乗客は全員が無傷か軽傷で済んだ事。
筒井だけが意識が戻らず、24時間意識不明のままだった事。だが、これといった外傷はなく、その日の夕方には退院できるとの事。
筒井が第4新都心での出来事を話すと、一同は声を上げて笑った。渡が笑い過ぎて涙をこぼしながら言う。
「そりゃまた、壮大なスケールの夢を見たもんだな」
筒井は頭をかきながら応える。
「夢……ですよねえ。やっぱり」
遠山が松田に訊く。
「第4新都心計画なんてあるのかい? 自衛隊や警察なら聞いた事ぐらいあるはずだろ?」
松田は首を横に振りながら言う。
「聞いた事もありませんね。宮下さんは?」
宮下も首を横に振った。渡が最後に言う。
「ま、あんな目に遭ったんだ。悪い夢を見るのも無理はない。2,3日ゆっくり休みたまえ」
宮下が着替えの入った袋をベッド脇に置き、一同は病室を去って行った。
それから念のためレントゲン撮影を受け、異常がないと医師から告げられ、筒井は退院の手続きをして、外へ出た。
陽が落ちて薄暗くなり始めた病院の門に差し掛かった時、筒井はこめかみに何か違和感を覚えた。触ってみると、金属の髪留めがあった。
「あれ? あたしいつ、こんなの付けたっけ?」
外して眺めてみると、表面はススで真っ黒になっていた。筒井はたまたま横にあったゴミ箱を見ながらつぶやいた。
「なんかうす汚れてるし、別にいいよね、捨てても」
筒井はその髪留めを不燃ごみの箱に放り込み、その場を去った。
ごみ箱の中で、その髪留め他のごみにぶつかり、ころころと転がった。停まったところで、表面のススが剥がれ落ち、その表面に刻印された文字列が姿を現した。
その表面の刻印にはこう記されていた。
「OTA009」