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外に出よう、と言ったのは彼だった。
「…ずっと部屋だと、息、詰まる気がして」
その言葉に、私はすぐ頷いた。
本当は、
外に出るのが少し怖かった。
彼と並んで歩くと、
どうしても“現実”がついてくるから。
でも、断れなかった。
「…近くだけ、ですよ」
「はい」
その返事が、
妙に嬉しい。
玄関を出ると、
空気が冷たい。
彼は、
私より半歩前を歩く。
無意識に、
人の流れから私を外側に置く歩き方。
(…その癖)
心臓が、
静かに鳴る。
「…前から、こうでした?」
私が聞くと、
彼は少し考えてから言った。
「…分かりません」
それから、
困ったように笑う。
「でも、こうした方が安心する」
誰が、とは言わない。
それが、
余計に苦しい。
スーパーに入ると、
彼は自然にカゴを持った。
「…何、買いますか」
「…いつも通りで」
野菜。
卵。
牛乳。
何気ない買い物。
でも、
彼は1つ1つ、
私の顔を見る。
「…これ、要りますか?」
「…はい」
「…これは?」
「…それも」
まるで、
“2人分の生活”を
確認しているみたいで。
(だめ)
(期待しちゃだめ)
冷蔵棚の前で、
ふと、視界が揺れた。
「…っ」
一瞬。
床が、遠ざかる。
「…花田さん」
腕を掴まれる。
強くない。
でも、離さない。
「…大丈夫ですか」
「…ちょっと、立ちくらみ」
また、同じ言葉。
最近、
そればかりだ。
彼は、
私の背中に手を添えた。
「…座りましょう」
ベンチに座らされる。
その距離が、
近い。
近過ぎて、
息が詰まりそうになる。
「…すみません」
「謝らないで」
即答だった。
「…僕が、一緒にいる」
その言い方が、
自然過ぎて。
(あなた、そんな役割じゃない)
(本当は、支えられる側なのに)
でも、
言えなかった。
彼は、
私の手を見る。
「…やっぱり、冷たい」
「…冬、ですから」
また、
同じ嘘。
「…手袋、持ってくれば良かった」
そう言って、
自分の手で、
私の手を包む。
一瞬、
思考が止まる。
(近い)
(だめ)
でも、
振りほどけなかった。
彼の手は、
温かかった。
人に見られたら、
どうするつもりだったんだろう。
でも、
そんな事、
どうでも良かった。
「…あったかい」
私が言うと、
彼は少しだけ笑った。
「…良かった」
その一言で、
胸がいっぱいになる。
帰り道。
横断歩道で、
車が近付くと、
彼は私の肩を引き寄せた。
何も言わずに。
(…無意識)
その距離に、
心が悲鳴を上げる。
「…近いですよ」
私が言うと、
彼は、はっとした顔をした。
「…ごめんなさい」
「…いえ」
謝って欲しい訳じゃない。
むしろ、
謝られたくなかった。
部屋に戻ると、
急に静かになる。
ドアを閉めた瞬間、
2人きりだと、
思い出す。
「…ありがとうございました」
私が言うと、
彼は首を振った。
「…一緒に出たかっただけです」
その言葉が、
胸に刺さる。
(私も)
(同じ理由だった)
夜。
ソファに並んで座って、
テレビを付ける。
映画が流れているけど、
内容は頭に入らない。
彼の距離。
呼吸の音。
体温。
それだけで、
いっぱいいっぱいになる。
彼が、
ふと口を開いた。
「…花田さん」
「はい?」
「…僕、守るの、嫌いじゃないみたいです」
心臓が、
強く鳴る。
「…何を、ですか」
分かっているのに、
聞いてしまう。
彼は、
少しだけ視線を落とす。
「…誰かを」
それ以上、
言わなかった。
私は、
何も言えなかった。
言ったら、
境界線が壊れる。
夜、
布団に入っても、
眠れなかった。
(距離が近い)
(近過ぎる)
(推しじゃない)
(“一緒に暮らしてる人”)
何度も、
言い聞かせる。
でも、
胸の奥は知っている。
私は、
もうとっくに、
“推し”としてじゃなく、
“人”として、
彼を見てしまっている。
― 距離が近い人は、
1番、心を壊す。
それを、
私はまだ知らないふりをしていた。