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扉が閉じると同時に、張りつめていた空気が一気に薄らぐ。
重たい鉛のような緊張感に押し潰されそうだった胸が、ようやく息をつける――はずなのに。
足取りはまだ重く、心臓の鼓動は早鐘のままだ。
ふと顔を上げると、目に映ったのは壁にもたれとる、、、、
「よう頑張ったな。」
ショッピさんやった。
僕は反射的に背筋を伸ばし、近づく。
「……あの、聞いとったんですか。」
「そらな。中には入られへんけど、声ぐらいは漏れてくるわ。」
ショッピさんはいつも通りの声で言う。
けれどどこかいつもと違った。言語化できない違和感があった。
「軍の任務を優先する、って即答したんやろ。」
心臓が跳ねる。
どうしてそれを――と思ったけど、声聞こえとったんなら、筒抜けであることは分かりきっとった。
誤魔化す言葉も浮かばない。
本音なのは間違いないのに、僕は俯き、唇を噛む。
「……間違ってましたか。」
ショッピさんは少しだけ間を置いてから、低く息を吐いた。
「正直にな。俺はあの答え、嫌いやない。軍のために命張れる奴なんは貴重や。……けどな」
言葉を区切り、真っ直ぐに僕の顔を覗き込む。
「お前、ちょっと“信じすぎ”や。」
信じすぎ。
その言葉が、胸の奥を突いた。
「薄々感じとったけどな。」
その一言が付け足される。
自分でも分かっている。
軍に拾われなければ自分はあの時、炎の中でとっくに死んでいた。
だからこそ――軍は絶対だと、そう信じてきた。
、、いや、でも本当は、、
「……僕には、それしかないんです。」
本当は、の続きではなく、別の言葉を紡ぐ。
声が震えた。
けれど、
それでも正直な言葉だった。
ショッピさんはしばらく黙って僕を見つめ、やがて苦笑を浮かべる。
「まぁ……そういうとこ、嫌いになれんのよな。危なっかしいけどな。」
その一言に、胸の奥で少しだけ張り詰めていた糸が緩む。
その言葉が、今の自分を肯定してくれたように思えたから。
ショッピさんは壁から背を離し、僕の肩を軽く叩いた。
「とりあえず今日はよう頑張った。
……この先も試されるんは変わらんけど、勝手に沈むなよ。」
「でも、困ったら頼れ。間違った道進もうもんなら手綱くらいは握ったるから。」
その温かさに、ようやく小さく「はい」と答えることができた。
*
図書館の奥は、ひっそりとした空気が支配していた。
分厚い戦史や地図、古びた作戦記録がぎっしりと棚に詰められ、静寂を守るかのように紙の匂いが漂っている。
「レパロウ君、ちょっと手伝ってくれへんか?」
低く柔らかい声が響く。とりあえず座り。と僕は促されるまま木製の椅子に腰を下ろした。
対面に座ったエーミールさんは、落ち着いた笑みを浮かべる。
「直接対面で話すのは初めましてやね。エーミールと申します。
縁があって参謀やっとるけど、普段は図書室で司書やったり、本読んだりしとります。」
「レパロウと申します、!」
あ、この人ええ人そうやな、、
と言うのが第一印象。
物腰も、喋り方も、雰囲気も、この人からはやわらかさが伝わる。
そういえばこの人は面接の時に質問されへんかった。
「形式も配属も初めてやろうし、私は参謀時に呼び出される時以外、基本何もせん。
だから今日と明日は軍の仕事というより図書室の仕事手伝ってもらうかなと思ってん。」
「図書室の、、?」
室というか孤児院にあった図書室の何倍も大きいんやけど。
天井高いし吹き抜けだし、本の冊数とか軽く千は超えとる。
「蔵書点検言うてな、ここにある本が紛失されず残っとるかみたいなのをチェックする仕事を任せたいんやけど」
もちろん私もやるけどね
と併せていうエーミールさん。
「もちろんやらせていただくんですけど、、、全体で何冊あるんですか、、?」
恐る恐る聞く。
「えぇと、、、いつも気にせずスキャンしとるからわからんけど、、10万、、とか?」
でも、もう半分くらいやってもうたから!
と謎にニコニコするエーミールさん。
「やっぱ幹部ってすげ、、、」
*
「お、おわったぁ、、、、」
今日だけで何冊点検したんやろか。
考えれば考えるほど気が遠くなっていく。
まだまだ不慣れ、、、とはいってもスキャンすればええだけの仕事が、しんどい。
「僕同じ作業を淡々とやるの、、、にがてかもしれへん、、、」
そう呟くと
「いやいや、初めてで最後までやり遂げられるんはすごいよ?」
と返される。聞かれとったんか、、、。
「ウチの軍の人に手伝って欲しいいうても半分は小一時間も経たずに飽きてどっかいってまうし。」
「あ、あきて、、、?」
飽きてどっかいってまうって、そんなんやばない、、、?
エーミールさんはただ笑っとる。
変に慣れとるやん。
「最後まで手伝ってくれたんは、ロボロさん以来やなぁ、、」
ロボロさん、という言葉に思わず反応する。
「確かにロボロさんは与えられた仕事を絶対成し遂げそうですよね、、、」
そうそう、と笑うエーミールさん。
「コネシマさんに頼んだら快諾してくれたんけど、当日来ないし。ショッピくんは気づいたらチーノくんとすり替えられとるし、、、」
「あはは、、、」
コネシマさんならなんというか、、途中で忘れそうっていうのはわかるかもしれへん。
ショッピさんが知らない間に別の人に押し付けるっていうのも、、、まぁ、うん。
「とりあえず今日はしっかり休んで明日がんばろな!」
*
二日目、作業が慣れてきたのか昨日よりも早く処理できるようになってきた。
そのおかげか、スキャンするのと同時に
「あ、この本、、」
と色々の余裕ができて、本面白そうやな〜とか考えられるようになった。
「、、、」
*
「本、好きなん?」
昼休憩中、そう話しかけられる。
「えと、、」
戸惑っている僕の顔を見て、慌てながら
「いや、今日この本を眺めとったから、、」
と、エーミールさんは児童文学を目の前に差し出す。
「気になるんやったら、全然読んでもええよって思って」
ありがとうございます、と受け取る。
「この本、、、孤児院にあった本なんです。
だから読んだことあって、懐かしいな〜って。」
「あぁ、なるほどな」
細かくいうと、孤児院にも家にもあった本。
「私も好きだよその本。
感情がないロボットが感情を学ぶ物語。児童文学の中では結構深い内容やから覚えとる。」
そう言って微笑む。
「エーミールさんも、読んではったんですね」
「私の場合は最近やけどね。」
あと長いやろうし、エミさんでええよ。
と付け足す。
「、、元々私はただの一兵でな。戦闘力も同期の中では最下位。今もレパロウ君ほど強くは無くて。」
「、、、」
「戦闘訓練はいつも下から数えた方が早かった。せやから、訓練以外の時間はずっとこの場所におったん。で、いろんな本読み漁っとった。」
はは、と笑う。
「エミさんは、、どうやって幹部になったんですか、、?」
ふと、気になったことだった。
するとエミさんは微笑んで
「ある人に見つけてもらったんや。」
「見つけて、、?」
そう言うと、ゆっくりと話し始めた。
「図書室に籠もったった時に、偶々会った人がいて。その人と話すうちに不思議と懐つかれて。」
(懐、、?)
とは思ったが何も言わないでおく。
「知識しか取り柄のない私を認めてくれた初めての人やった。」
「、、」
「君はあの時、軍の命令を行うか、街の人を助けるかの質問に『軍』だと即答した。
私もな、あれ考えたん。その時、片や軍の命令か、もう一方の選択肢がもしも『自身の大切な人』やったら、どうすんねんやろなって。」
「レパロウ君は、その場合どうする?」
大切な、ひと。
「急な質問やし、これは別に雑談的なもんやから
でも私やったら、不甲斐ないけど「大切な人」を選んでまう。
自分を見つけてくれた、認めてくれた幹部の全員を天秤に掛けるなら私はきっと、軍の命令に背く。」
もちろん、戦力だから を抜きにしてな。
「ぼく、は、、、」
大切な人を天秤にかけられたら?
でも、命令を遂行することだけが信用を作るしかなかったら?
「、、戦場には、優しさや私情を切り捨てんと勝てへん瞬間もある。」
エミさんの静かな口調に潜む重さ。
「でも、優しさが無い軍はすぐに腐り果てる。
私はね、あんまり冷酷である必要も、合理的すぎる必要も無いと思うな。
感情で動いた事がいい結果に繋がる事だってある。そう信じとる。」
図書館の重苦しい空気ごと胸に圧し掛かってきて、僕はただ無言で頷くしかなかった。
「まぁ私が言いたいのは、『言われたことを全うすることが正解ではない』ってこと。
信じる信じないをすべて行動で見るわけじゃない。あくまで判断材料なだけ。
私は君自身の内面で判断したい。
欲を言うなら君自身の、誰からも干渉されない場合の取捨選択がみたい。」
「……誰からも干渉されない場合の、取捨選択……」
その言葉を繰り返すように呟いた。
自分自身の声が、図書館の静寂に吸い込まれていく。
思えば、そんなことを考えたことがなかった。
考えるより先に、判断より早く、「軍が言うならそうするべき」と思い込んでいた。
「……難しい質問、ですね。」
ようやくそう言うと、エミさんは少し微笑んだ。
「せやろ?私も未だにわからん時あるもん。」
椅子の背にもたれながら、エミさん穏やかに笑う。
けれどその表情の奥には、何かを思い出すような、ほんの少しの痛みが見えた。
「レパロウ君、君はきっと真面目なんやろな。命令に従うことを疑うことが“悪”やと思っとるやろ?」
「……はい。」
即答だった。
エミさんは「やっぱりな」と言って、机の上に置いたその本を撫でる。
表紙には薄れて読み辛くなった文字。
「私もな、昔はそうやった。
命令に従うことが正義で、上の判断がすべてやと思っとった。
でも、それで守れんかった命がある。」
その一言に、僕の指先がぴくりと震えた。
「……守れなかった、命……」
「うん。命令に従って“正しいこと”をした結果、助けられんかったんや。
それでも、あのときの私は“正しい”って言い聞かせとった。」
エミさんの声は、まるで遠い記憶を撫でるように静かだった。
「……でもな、時間が経って思うんよ。
“正しい”って誰が決めるんやろって。
上官でも、軍でも、誰かの声やなくて――
ほんまは自分で選ばんと、“信念”とは呼べへんのちゃうかってな。」
僕は黙って聞いていた。
言葉を挟む余裕も、勇気もなかった。
ただ、心の奥がずしりと重たくなる。
軍の命令が正しい。
それを信じて動くことが、自分の存在意義だと思ってきた。
でも、それが本当に「僕自身の選択」なのか――わからなくなった。
「……僕は、まだわかりません。」
「ええんよ。」
エミさんはすぐに答えた。
「わからん、って言える時点で十分や。
“疑うこと”は裏切りやない。
考えることを止めへん、それが一番大事や。」
その声はやさしくて、けれどどこか、祈りにも似ていた。
「コネシマさんに見つけてもらったことは、幸運やったと思う。
でもな、拾われたからって、自分の心まで預ける必要はあらへん。」
僕はその言葉を胸の奥で何度も反芻した。
今まで誰にも言われなかった言葉だった。
命令に従うことしか知らない僕にとって
――それは“自由”という未知の言葉のように響いた。
「……エミさんは、優しいですね。」
思わず口をついた言葉に、エミさんは少し照れたように笑った。
「いやぁ、ただの本好きなおっさんや。」
その笑い声が、静まり返った図書館に小さく響く。
いつの間にか、胸の奥の重たさは少しだけ軽くなっていた。
「……僕も、考えてみます。
自分自身で、どうしたいか。」
「うん、それでええ。それで十分や。」
窓の外では、夕陽が差し込み、埃の粒がゆっくりと光の中で揺れていた。
どこか懐かしいような、あたたかい静寂だった。