テラーノベル
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公爵邸での生活は
あらかじめ覚悟していた通り、あるいはそれ以上に徹底した「無視」から始まった。
『王国の守護者』の居城は、主人の気性をそのまま写し取ったかのように
一切の無駄を削ぎ落とした石造りの建築だった。
回廊を歩けば、冷ややかな大理石に自分の靴音だけが虚しく反響し
壁に掛けられた歴代当主の肖像画が、侵入者である私を値踏みするように見下ろしている。
「奥様、お食事でございます。旦那様は本日も公務のため、ご一緒にはなれません」
無機質な声で告げる老執事の目は
私を「主人の妻」ではなく、ただそこに置かれた「高価な調度品」として扱っていた。
ルネサンス公爵は、あの日以来一度も私の前に姿を見せなかった。
『愛している』という私の嘘を鼻で笑い、関心すら抱かない。
それが、彼が私に与えた最初の洗礼だった。
(……それでいい。彼に愛される必要なんてないのだから。私は、家族のためにこの場所に立っているだけ)
自分にそう言い聞かせ、私は誰もいない長いダイニングテーブルで、味のしないスープを口にする。
だが、その夜。
静寂に包まれたはずの「氷の城」が、その本性を露わにした。
深夜
ふと目を覚ました私は、喉の渇きを覚えて部屋を出た。
月明かりが青白く照らす回廊は、昼間よりも一層冷え込んでいた。
だが、主寝室───
ルネサンス公爵の部屋が近づくにつれ、空気の質が変質していくのを感じた。
(…何かしら。この、肌を焼くような……)
冷たいはずの大理石の床から、陽炎のような熱気が立ち上っている。
そのとき
重厚な扉の向こうから、押し殺したような
けれど隠しきれない絶叫に近い呻き声が漏れ聞こえてきた。
「……っ……う、あ……っ!」
それは、あの傲岸不遜なルネサンス公爵のものとは思えない
獣のような、あるいは断末魔のような苦悶の声だった。
私は、止める理性が働くよりも先に
吸い寄せられるようにその扉に手をかけていた。
「閣下……!?」
扉を開けた瞬間、熱風が私の頬を打った。
部屋の中は、地獄のような熱気に包まれていた。
天蓋付きのベッドの端に
あの中央広場で見せた隙のない軍服を脱ぎ捨てたルネサンスが、崩れ落ちるように座り込んでいた。
乱れたプラチナブロンドの髪が、滝のような汗で額に張り付いている。
はだけたシャツの隙間から見える彼の肌は
内側から燃え上がるような不気味な赤色を帯び、血管が浮き出していた。
「くる、な……っ!」
彼は私を睨みつけたが、その蒼い瞳は焦点が合わず、苦痛に濁っている。
震える手で自身の胸元を掻きむしる彼を見て、私は直感した。
これが、彼が隠し持っていた『死の呪い』なのだと。
「…酷い熱です。閣下、お気を確かに……!」
私は、本能的な恐怖を抑え込み、彼のもとへ駆け寄った。
彼が私を突き放そうと伸ばした手。
その指先が私の手首に触れた瞬間、ジ、と何かが弾けるような音がした。
その刹那。
氷のように冷たかった私の魔力が、彼の肌を通して、堰を切ったように流れ込んでいく。
荒れ狂っていた彼の熱気が
私の指先が触れた場所から、吸い込まれるように静まっていくのがわかった。
「……う、…嘘だろ……」
ルネサンスが、掠れた声で呟く。
彼は、縋り付くように私の腕を掴み、その重い頭を私の肩に預けた。
先ほどまでの威圧感はどこへやら
今の彼は、ただ凍える夜に暖を求める子供のように、私の体温を求めて震えていた。
「君が……、…君の魔力が、私を……」
月明かりの下、私を見上げる彼の瞳。
そこには、初めて『嘘』ではない
生々しい戸惑いと、抗いがたい執着の光が宿っていた。
私がついた「愛している」という嘘と
彼がついた「利用するだけだ」という嘘。
二つの嘘が、この熱帯のような夜の静寂の中で、音を立てて軋み始めていた。
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