この世界線の本社では、管理職を集めて試練や脱走した幻想体を鎮圧させることが多かった。武器の相性…それ以上に、職員同士の相性なども勿論存在するが…効率の前ではそのようなことはどうでもいいのだ。普段は相性の悪い職員の部門を別々にするような管理人であっても、鎮圧作業の際は配慮はなかった。そのような環境で被害を受ける職員は沢山いた。この世界線の、このループでの本社では、互いに目を合わせたくもないような関係性すら生まれていたから。
*
この日も、いつも通り鎮圧作業が行われていた。深紅の夕暮の鎮圧である。職員の精神性を育てる名目での残業のおかげで、彼らは幾度も試練と対峙する機会を得てきた。深紅の夕暮の試練もまた同じ。幾度も、幾度も戦ってきた彼等には…慣れたことであった。しかし、やはり協力というものは、一筋縄ではいかない。
「先輩〜これ私いなくてもいいですよね?帰っていいですか?」
「そうそう、こんな非効率的な無能の集まりに…いたっ!」
「口を慎め、メラニー、ジェミニアーノ!そんな風に気を抜いていたら死ぬぞ。」
「…はぁ、やっぱり居るんですね。」
「僕も君に会いたくなかったよ。」
「どうせ死ぬのに…こんなこと、意味ありませんよ。」
「そんなことないわ!生きることを諦めちゃ駄目よ!」
今は試練を待機している彼等のうちの何人かは、そんな風にそこそこ険悪な空気を流していた。試練が始まったとしても、この膿が溜まったような空気が完全に抜けることはないだろう。
しかし、彼等も翼の職員である。それなりの訓練を受け、死の危険性や処分の恐ろしさだって知っているから…試練のブザーが鳴れば、それでも多少は引き締まるだろうが。
そして…今、ブザーが鳴った。ミミクリーを身にまとった職員、ジョージアが作業室に入ったがゆえに。
「あら…あの子は無事に命令を遂行できたのね。」
「お前ら!迅速に試練を制圧するぞ!管理人の指示は各々の端末に来ているだろう!」
「…俺が読みあげよう、先ずは情報部門の西廊下に出現した個体を制圧。直ぐに追いかけるぞ。」
隊列を崩さず…というわけでもないが、彼等は纏まって個体のいる場所へ向かった。指揮部門チーフであるグレイス、副チーフのハナ、また懲戒部門の職員が先導している。大人数であるうえ、勿論セフィラや管理人の監視があるので、彼等は迷わず試練へ進む。
深紅の夕暮は厄介だ。彼等にとってはそこまでの敵でなくとも、面倒で時間のかかる敵ではある。速度が速く、攻撃力も低くはない。マトリョーシカ的に増えていくので、当該個体を対処すれば終わりではないのだ。
やっと彼等は当該個体に追いつき、彼等のEGOを利用して殴り始めた。…EGOは扱うのが簡単ではない。適正化されているとはいえ…ちょっとした侵蝕が起こったり、扱いが難しかったりして、完璧に制御できるわけでもないのだ。それゆえ、彼等はより良い方法を模索し、鎮圧する。それを続けているので、彼等も相当疲れるだろう。それなのにマトリョーシカ的に出現する試練…中には頭を使うことを放棄する者もいる。特に既に脳や心が壊れている者なんかもいるので…こほん、少し無駄話が長くなった。兎に角、そうして切磋琢磨しながらも試練を制圧した。
「次の試練は…今安全部門上廊下にいるな、俺達が着く頃には他の部門に移動しているだろう、急いで行くぞ。」
「…ジョージアは大丈夫なのかしら。」
懲戒チーフが指示を出したほぼ直後に、職員ジョージアの姉…職員シャーロットがそんな風に独り言を呟いた。
そう…本来であれば、彼女が担当した幻想体の作業は既に終わっている筈だった。しかしまだ合流していない。彼女にはよくあることだった。前頭葉を潰され、心を壊され、廃人のように生きている彼女は、一人で行動できないことも多かった。管理人はそれを忘れていたのか、装備の関係性だけで彼女を作業に送り出したのである。そして、その言葉に反応した…約3名が、少し険しい目つきになった。
「俺が行きます、直ぐに戻りますから!」
「…ちょっと、スカイ?ジョージアのことなら僕が行くから。」
「はぁ…貴方が行っても毒になるだけでしょう。」
「…二人とも、少し落ち着こうか。」
スカイとネビルを厳しい態度で牽制したカルディアは、少し重々しいような口調で言った。
「私はスカイ君が行ったほうが良いと思うよ。私情もあるから、私が必ずしも正確に判断できるわけでもないけど…ねぇ、シャーロット?」
「私は二人に仲良くしてほしいんだけど…うーん…まぁ、良いんじゃない?この施設で、変な気なんて起こさないでしょうから。」後半はほぼ消え入りそうな声であった。
*
「…かえらなくちゃ……みんなの、ところに。」
ジョージアは心細そうに言った。指揮部門作業室前。しかし、道も分からず座り込むしかなかった。心細さも然り…彼女が落ち込んでいる理由は、もう一つあった。彼女は自由さや命令違反にひどく怯えているのだ。そうすれば、閉じ込められたり、叱られたり、また叩かれたり…そういうことが彼女にとっては日常であったゆえ、自由でいることにトラウマを抱えている。だから、命令通り鎮圧部隊に参入できないことは、彼女にとっては致命的であった。
「うっ…どうしよ…このまま、ずっと…まつしかないの…?」
怒られることへの、本能的に刻まれた、恐怖、不安。本来、職員は端末を携帯させられる。命令が表示されているほか、施設内のマップや、職員、各種部門への無線通話などできる優れものだが、彼女はその存在を忘れている…いや、無線通話で助けを呼ぼうにも、通話する職員達の番号を覚えていない。元々彼女の成績は悪いほうでもなく、この会社で覚えるべきこともそれなりに覚えていたが、前頭葉の機能低下に、番号を覚えるのは苦手だったためだ。何もできることがない、そう思い込んでいる彼女には、それに気付く術すらなかった。
そんな彼女の前に、職員が近付いてきた…彼女はネビルとスカイの区別が殆ど出来ないので、恐ろしいことをしないスカイであればいいな、と思いながら、彼女はやっと見えた光を掴んだ。
「ジョージアさん!大丈夫でしたか?心配していたんですよ!」
「ううん、だいじょうぶ…ありがとう。」
呼び方と優しい笑顔で、祈願した通りだったことを悟る。安心した彼女は、これから戻らなければいけないことも頭の外で、ぎゅっとスカイの手を握った。
「さあ、戻りましょう!」
「え…っと、あの…うう……」
「大丈夫ですよ!みんな怒ってないですから、心配はしてるかもだけど…万が一あの穢らわ…ううん、ネビル先輩が何か言おうものなら、俺が守りますから!」
「うん…ありがとう、でも、わたしがわるいから…」
「いいえ、元はといえばあの人が悪いんでしょう。とにかく、大丈夫です!俺を信じてください!」
その時。猛スピードで突進してくる何かがいた。それは攻撃的な運動とともに、強風を巻き起こした。
刹那、スカイの長髪が舞い上がり…髪で隠された片目が見えた。
「…!」
「ジョージア先輩?どうしたんですか?ああ、試練ですか?そうですね、はやく鎮圧…」
「…わたしたち、あそこにかえらなくちゃ…」
「…?」
彼の片目は蒼星に侵蝕されていた。鍛えられた職員…つまり普通の職員がそれを見るだけでは、大して何も起こらない。しかし…。
「…いっしょに、あそこに…。」
「ジョージアさん!!!」
彼女は、かの幻想体…蒼星の収容室に、駆り立てられたように走り出した。だが、それも束の間、彼女は試練でない者にぶつかった。そして、その物体が音を発する。
「ここにいたのか…大丈夫だったか?」
「あ…うぅ…」
「ジョージアさん、なんか試練が来てから変で…大丈夫でしょうか?」
「ジョージア、スカイ。落ち着いて。…そうだね、スカイの前髪、ちょっとあげてくれない?」
「はい、カルディアさん…。」
「…成程、これ、のせいだね。ジョージアは大丈夫なはず。取り敢えず、私達で取り押さえられる筈だから…何人かで抑えて、試練を早く鎮圧しよう。」
カルディアはあくまで冷静沈着な口調で述べる。間近にいた指揮部門副チーフが「お前ら聞いたか!彼女がまだ狂信に陥ってるようなら数人で取り押さえろ!その他の職員は、試練を制圧しろ!」と言うことで、試練の制圧が再び始まった。
実際にはジョージアは、ぶつかったことでなんとか正気(と言っていいのかはわからない)を戻した。立ち上がり、彼女も近接支援に入ることにしたみたいだ。スカイは隣に立ち、安心させるように背中をさすってから、戦闘態勢に入った。
試練の制圧が無事に終わると、一息ついてから彼等はマトリョーシカ式に生み出された個体を制圧する態勢をたてた。
*
「まあ、トラブルはありましたけど…なんとか連れ戻せて良かったんじゃないですか?」
「……君は楽観的に考えてるから分からないかもしれないけど。本来であれば命令違反で懲戒処分に遭っても可笑しくないんだけどね。」
「これくらいで懲戒処分?元々あなたのせいでそういう判断ができないようになったのに…。」
「ネビルさんもスカイくんも、もうやめましょう?結局何もなかったんだからいいじゃない…。」
「はあ?あんなふうに監禁してジョージアさんの自由を奪った張本人が何言ってるんですか?」
「シャーロットさんなら分かってくれると思ったのに。」
「う…ごめんなさい…ごめんなさい…。」
無事に試練は制圧できたものの、ジョージアの周りの空気はかなり険悪だった。本人も罪悪感に埋もれそうである。
「まあ、そこら辺にしときなよ。ね?」
そんな空気をやっと換気したのはカルディアであった。「ジョージアは悪くないよ。…ね?」と言って彼女を優しく撫でる。
そうして、各々が各自の部門に戻ろうとしたとき…。
『こちら管理人。アイリーンがちょっと作業で死んじゃったから再挑戦する…けど、疲れてるでしょ皆。2時間くらい休憩時間あげるから。』
「流石のバ管理人…それじゃあアイリーンが休めないじゃん。」
「アイリーンは部屋でもいつも疲れて寝てるみたいですし、なんだか可愛そうですね。」
「…君にアイリーンの心配をされるのは癪だけど、確かにそうだ。ちょっと待って…ああ、ダンテ?アイリーンのことループ後休ませてあげて。…よし。」
「あ…あう…」
「作業失敗させたのも管理人の責任だし…あの子、これで気に病んでないと良いんだけどね。さぁ、私達も帰るわよ。」
…管理人の悪口はここでは盛り上がる話題らしい。待機させられっぱなしの他の職員達とともに、彼等は寮へと帰っていった。
このことでジョージアが後でトラウマを増やすことになるのは、また別の話である。
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