テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
***
「じゃあ、戸締りはお願いね」
「はい。お疲れ様でした」
十七時ぴったり、恭子は立ち上がりベージュのトレンチコートを優雅に羽織った。漂ってくる香水の香りに胃液が上がってきそうになる。
「瀬戸さんも、雑用しかしてないんだからあまり残業せずに帰りなさいな」
「……はい」
(私が必死に頑張ってる仕事は雑用ですかい)
恭子はいつも定時で帰っていく。通りに面している事務所出入り口の鍵は恭子が閉めて帰るので、優奈は裏口の職人たちが行き来するドアの鍵を閉め、軽トラの奥にある資材ボックスにその鍵を隠して帰る。
(よくもまあ、こんなバカにしてる人間に戸締りを託すな……)
優奈は、どうせ残業代など出ないのだから。と、時間を気にせずゆっくり残りの仕事ができる、この時間帯をいつも心待ちにしている。
恭子がいなくなった空間は大きく息が吸えて、ようやく息苦しさから解放される気がするから。
そんな毎日が、優奈の日常。
給料は手取り十四万。
家賃水道光熱費、あとはスマホ代で半分が消える。
自炊する気力もなく食費で二万は消えているんじゃないだろうか? いや、それでは済んでいないかもしれない。
ある程度の服も必要だし化粧品も、たまに集まる友人との交際費や、この間のようなストレス解消の飲み代。
いつも結局は貯金に残すお金を残すことなく次の給料日を迎えてしまう。
(もう嫌だって思うのに、どうすればいいのかわからない)
実家に帰るのは、嫌だった。大好きな両親に心配を掛けたくはないし、プライドもあったかもしれない。
両親はいまだに雅人と仲良くしているからだ。
今は取り壊された雅人の実家。
それでも優奈の両親に会うために時々地元を訪れていることを知っていたから。
(だから、親に頼るイコール、あの人にパッとしない今の自分を知られてしまうことになるんだよね……)
ぼんやり考え込んでいると、目の前のモニターが歪んだ。
違う。優奈の目に涙が溜まっているのだ。ひとつ瞬きをしたなら、ポロポロと大きな雫が優奈の服に落ちて滲んだ。
(でも会っちゃったじゃん……)
取り繕って隠しても、嘘なんてつき通せない。
”どうしたらいいのかわからない”って、本当はわかっている。でも自信がなかった。
就活中、何人もの友人が希望した会社の内定をもらっては『おめでとう』と笑顔で祝う。
どこにも必要とされていないかのように、そうはならない自分。
だからここを焦って決めたのは事実だが、それにしても。こんな場所でしか働けない優奈は、その程度の人間で。何か行動を起こそうとしても、足がすくんで動けない。
キツイ言葉に、腹は立っても反論できない。
雅人との再会でより濃くなった、自分への嫌悪感。
大人になったらどこにでも行ける気がしていたのに。