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(こいつ、今なんて言った?)
聞き間違いでなければ『悪役令息』と口にした気がしたのだ。なぜ、ネルケがその単語を知っているのだろうか。それだけじゃなくて、俺に対してその言葉を投げたのだろうか。もしかしたら、こいつは転生者なのではないかと俺は疑ってしまった。
先ほどの胸の高鳴りは、痛いほど跳ねたのは、こいつが同じ転生者だったからではないかと俺はそう勝手に解釈することにした。
そこまで分析して、俺は弾かれたように先に挨拶をしなければと思い出し会釈をする。
「俺は、クライゼル公爵家が息子、ラーシェ・クライゼルっていう。噂にはかねがね聞いている、ネルケ・トロイメライ男爵子息」
「……っ、俺の存在知っていてくれたんですか。感激です。ラーシェ様」
「……うん」
パッと顔に花を咲かせて、俺の手を握るネルケ。あまりに自然な動きすぎて逆に恐怖も感じたが、握られた手ではなく、顔を見たら、なんだか圧をかけてきているようでそっちのほうが恐ろしかった。
「あの、ジーク様。この間ラーシェ様とすれ違ったことを思いだして。そのとき、ラーシェ様がハンカチを落としてて、拾って渡す暇がなかったんですよ」
「そうか。ネルケは一方的にラーシェのことを知っていたのか」
「はい」
「いや、俺は……」
「なので、少しラーシェ様らとお話がしたいので、テラスのほうにいってきます」
と、ネルケは俺の言葉を遮るようにしていうと、腕を掴んでぐんぐんと歩き出した。小説の中では、か弱い受け、というように書かれていたのに、思った以上のバカ力で振り払うことはできなかった。聞きたいことは山ほどあるのに、とにかく場所を場所をと急ぐネルケの背中を追うことしかできず、俺は考えることを放置した。
きっとこいつは、俺と同じだ――それは、多分確定だった。
テラスについて、シャッとカーテンを閉めたネルケは先ほどの可愛らしい態度とは一変し、腕を組んで俺より小さいくせに見下ろすように顎を上げた。
「なあ、アンタも転生者だろ」
「……や、やっぱり、そう」
「やっぱりって、気づいてたんだ。じゃあ、話は早い。ここは、BL小説の世界で……」
「待って、待て。まず、確認。お前は中身男なのか?」
勝手に自分の領域に引きずり込んでべらべらと話し始めた、ネルケ改め転生者を制止し、俺はまず彼が何もであるか知りたいと懇願した。なぜこちらが、下手に出なければならないのかわからないし、なぜ俺が転生者だとわかったのかも不明だった。だが、転生者同士何かシンパシー的なものがあるのだろうと勝手に結論付け、そこは突っ込まないことにした。
一応、態度やアンタとかいう上から目線な言い方のため男ではないかと思うが、女という可能性も捨てられない。そうなってくると外見男の中身女というそれはBLなのだろうかという問題も発生するが、こちらは俺の知ったことじゃない。
俺が知りたいのは、こいつが俺に害をなす存在であるかだった。
ネルケは、何を今さらというように肩をすくめる。わからないから聞いているのに、こいつも態度が大きいと思った。
「男に決まってんじゃん。というか、そのなんかかわいそうだよな……悪役令息に転生するなんて」
「はは……まったく…………ん? 待てよ」
そこで、俺は違和感を覚えた。
ここは、確かにあの性癖ねじ曲がっている妹の書いたBL小説の世界だ。だが、妹はそれをごくわずかな人間にしか見せていなかった。完結してから一斉公開するような妹だったし、あの小説が完成したのも、ほんのちょっと前だ。そんな妹のBL小説を熟知している、ラーシェがモブ姦エンドを迎えることを知っている様子のネルケ。それを知っているということはあの小説を読める人間だったということ。
「まさか、お前……俺の弟か?」
「え?」
と、そこまで横暴な態度をとっていたネルケは目をぱちくりとさせて、ええっ、と俺を指さした。
そうだ、あの妹のBL小説の被害者は俺以外にもいた。そもそも俺は前世、三人きょうだいの長男で、下に妹と弟が一人ずついた。妹とは三歳差で、弟とは五歳差だった。妹と弟は仲良くて、趣味もあっていて……弟は妹と同じ腐男子だったことを思い出した。
そして、この小説を知っているということはもう確定でいいだろうと。
「え、兄ちゃん?」
「多分、そう。あの小説のこと知っているの俺と、お前と、妹しかいなかったから……クソォ、なんでお前は主人公なんだよ。いや、男とラブラブとかがいいとかそういうんじゃなくてなあ!」
「うわぁ……偶然にしても気持ち悪い」
ネルケ改め中身弟は引くように俺を見る。
嫌なのはこっちのほうで、何で愛され主人公は弟で、嫌われ悪役が俺なのだろうと。逆でもいいんじゃないかと思ったが、弟は妹の小説を好きだったし、そこで徳を積んだから主人公だったのではないかと思った。それにしても、兄弟で同じ世界に転生するなんて誰が想像できただろうか。そして、残された妹のことも心配だ。
弟は、俺をいろんな角度で見た後、うん、と一人納得したように手を叩いた。
「まあ、どうでもいいや。兄ちゃん、俺の邪魔しないでね」
「邪魔しないし、モブ姦エンドとか最悪だからな……けど、お前が主人公っつうことは、少しぐらい融通利かせてくれるってことだよな」
「ええ~どうしよっかな。邪魔したら、ジーク様に言いつけるだけだし。俺は、やっと、ジーク様とお近づきになれて、このままラブラブ溺愛ルートを突っ走るんだよ! あ、兄ちゃん、恋の障害になってくれるなら大歓迎!」
「いや、ならねえから……それ、俺のバッドエンドだから」
何を言い出すかと思えばそんなことで。どうやら、弟……ネルケは物語通りジークにぞっこんだった。
弟は腐男子だと思っていたが、どうやら夢思想もあるようで、溺愛エンドを所望のようだった。それに、俺は巻き込まれたくないし、勝手にロマンスをやってろと、冷ややかな目で見ることしかできなかった。誰が、弟のロマンスの障害になるんだとそういいたくもあった。
だが、弟は演劇部だったし、主人公だし。泣きまね一つで、ジークの心を鷲摑みにだってできるだろう。危険だから近づきたくない。
「そういうことだから、兄ちゃん。俺のジーク様とのラブラブ空間ぶち壊さないでね! じゃ!」
と、ネルケは言いたいことだけ言ってテラスを後にしようとした。すると、カーテンの隙間からジークがこちらを覗いているのが見え、思わず、ネルケの腕を掴んでしまう。
何? といった感じで振り返ると同時に、シャッとカーテンが開いてジークがこちらにやってくる。
もしかして、今の話を聞かれたのではないかと俺は内心冷や汗が止まらなかった。転生者であることがバレて困るのは、俺だけじゃなく、ネルケもそうだ。ここは、口裏を合わせて……
「ネルケ、ここにいたのか」
「すみません、ジーク様。少しお話してて。ああ、でも、もうお話は済んだので」
ネルケはおどおどした態度で上目遣いでジークを見上げた。ポッとジークの頬が赤くなった気がして、もうすでにロマンス始まってんじゃねえかと、逃げたい気持ちでいっぱいになった。他所でやってほしい。それが切実な願いだ。
それからジークはこちらに顔を向けて、いつもより少し眉を吊り上げて俺にルビーの瞳を向ける。
「何だよ、ジーク」
「いや……君がネルケに何かしたんじゃないかと心配になったんだ。君は最近大人しくなったと噂には聞いたが、やはり少し心配でな」
「……ああ、そうかよ。俺が手を出すって思ってたのか?」
まあ、しかたがないことだった。俺がこれまで、ジークにも嫌がらせをしてきて、その態度とか考えはジークがよく知っているから。疑われても仕方がないし、俺がネルケに何かするんじゃと心配になっても仕方がないだろう。ジークはネルケのことが好きなようだから、気が気でないのだろうと。
けれど、嫌がらせをしてきたとはいえ幼馴染で。これまで、俺のことを気にかけるようなそぶりを見せていたジークが、一気に手のひらを返したようで俺はいい気持ちじゃなかった。俺が全面的に悪いとはいえ、こうも露骨に俺のことを信じていないといわれたのは正直悲しかった。今からでも関係性を構築しなおせるかと思っていたが、どうやら無理らしい。
すべて自分の行いが返ってきただけのこと。ただそれだけなのに、最初から聞く耳も持たないような態度をとられるとこう、胸に来るものがある。
「いや、そんなことは。ただ、これまでのこともあって。ほら、君が言い出したんだろう。いい歳だって。だから、穏便にこれからは接しようと思ったんだ。荒立てたくないだろ?」
「ハッ、それだとまるで、俺がすでにネルケに何かした前提で話しているように聞こえるが? もう、勝手にしろ。俺はお前たちに興味なんてない」
関われば有害なカップルだ。
俺は自分の保身のため、関わらないのが一番だと、ジークに肩をぶつけてその場を去る。最後の八つ当たりのようなものだった。もう今後一切、幼馴染とか思わない。ただの公爵子息と王太子、それでいいだろうと。
弟だったネルケのことは気になったが、あいつはきっとうまくやるだろう。少しぐらい愚痴を聞いたってもいいが、それをジークが許すかわからない。俺は、ネルケに手を出しそうな人物ナンバーワンとして危険視されているから。
(なんだよ、なんなんだよ……)
バッドエンド回避には一歩近づいたのに、こうも自分という存在が嫌われているなんて思わなかった。会場に戻れば、みんなが一度こっちを見ては見ないほうがいいと視線を逸らす。そして、つまんねえ会話を続けて、俺のことなんて総無視だった。いい、だって顔も名前も覚えていない貴族だから。誰も俺にしゃべりかけてこねえし、挨拶をする理由もない。
ここでの役目はもう終わったんだから、家に帰って寝たいと、俺は会場の出口に向かって歩いた。途中で何人かに肩がぶつかってしまい、怪訝そうに見られたがもともと評判が悪かったのだから、またか、程度に思われただけだろうと気にしなかった。
そうして、出口がもう少しというところで俺は後ろにグイッと腕を引っ張られた。
「何なんだよ! どいつもこいつも!」
「主」
と、低く心地の良い声が俺の耳を貫いた。そこで、一気に思考にかかっていたもやが晴れるように俺は振り返る。
そこにいたのは、俺以上に不機嫌そうな顔をしている人間の姿のゼロだった。