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夜空が軋んだ。月が割れ、闇が血に染まり、世界そのものが静かに破滅へと傾く。
リリスは瓦礫の上に立ち、カイラスの手をしっかりと握りしめた。
彼の体温がまだ少し低いのは、吸血種である証だ。
それでもその温度は、リリスにとって“生きてここにいる”という確かな証拠だった。
闇の玉座から立ち上がった吸血種の王《ノクタ・レックス》が、夜気を震わせて笑う。
「面白い。血誓の巫女と下位吸血種が、私に牙を剥くとは」
王の影が広がった瞬間、世界の輪郭が歪んだ。
大地が逆巻き、空気が凍り、影が無数の触手となって襲いかかる。
「リリス、離れるな!」
カイラスは叫び、瞬時に彼女を後ろへ抱え込んだ。
黒い影の刃が迫るが、カイラスの左腕が赤黒く光り、それらを叩き落す。
その光は――リリスの血から生まれた力。
彼は痛む胸を押さえながらも、笑みを浮かべる。
「……これで分かったろ、王。リリスは“人間”じゃない。俺たち吸血種の未来を左右する存在だ。」
「知っているとも」
王の瞳が血のように輝く。
「だからこそ喰らう。あの娘の魂を飲み干し、我が永遠の糧とする」
リリスは一歩前へ踏み出した。
「私の未来は……私が決める」
震えた声でも、はっきり言った。
「あなたのものじゃない。そして――カイラスのものでもない」
リリスがそう言うと、カイラスが驚いたように目を開く。
「……リリス……」
「でも、私は自分で選んだの。カイラスと、生きるって」
その一言に、カイラスの顔から緊張がほどけた。
しかしその直後――王の影が荒れ狂った。
「人間風情が“選ぶ”だと?身の程を知れッ!!」
大地を割る黒い衝撃が走り、リリスの体が宙に舞う。
カイラスが瞬時に彼女を抱え込み、無理やり体勢を整える。
だが、その背を影の爪が切り裂いた。
「ッ……!」
カイラスの血が飛び散る。
「カイラス!!」
リリスが悲鳴を上げ、咬痕が熱を放った。
痛みが、恐怖が、怒りが胸の中で燃え上がる。
――その瞬間、リリスの身体から赤い光が爆発した。
血の魔力が王の影を焼き払う。
光が世界を染め、王の動きが一瞬止まった。
カイラスが息を呑む。
「……リリス……おまえ……」
リリスの瞳が、初めて吸血種のそれに似た深紅へと染まっていく。
咬痕が激しく脈動し、内側から何かが目覚める。
「体が……熱い……」
リリスの声が震える。
王が低く呟いた。
「覚醒したか。血誓の巫女――いや、“血哭の乙女(Weeper of Crimson)”よ」
王の声が揺らいだように聞こえたのは気のせいではない。
リリスの力は、王でさえ恐れる領域に踏み込んでいた。
「カイラスの血が……私の中に……」
リリスの胸から赤い光が広がり、地面の魔法陣が再び描かれる。
その中心で、カイラスの傷が塞がっていく。
「……リリス。おまえ……俺を……癒して……」
「うん。あなたを守れるなら、私はなんだってやる」
その姿を見て、王が嗤った。
「美しいな。だが、だからこそ絶望させたい」
王の影が、十倍に膨れ上がった。
黒い獣の形をとり、咆哮を上げる。
闇の獣がカイラスに飛びかかる。
カイラスはリリスを庇い、拳で影を殴り飛ばすが、影は霧のように形を変え何度でも襲い来る。
背後に王の声が響いた。
「貴様は所詮、私の半分も力がない。
その血誓もどきで勝てると思うな」
「……そうかもしれないな」
カイラスは笑った。
血を流しながら、それでも獰猛に。
「でも俺には――リリスがいる」
「甘い!!」
王の影が槍のように鋭く尖り、カイラスの胸を貫かんと迫った。
瞬間――。
「だめ!!」
リリスが叫び、血の光が爆発する。
その光が影を焼き払い、王の腕をもぎ取る勢いで弾き飛ばした。
「……な……に……?」
王が初めて、明確な恐怖を見せた。
リリスの足元に、血の花が咲く。
それは魔法陣ではなく、生命そのものを象徴する赤いルーン。
吸血種ですら読むことのできない古代語が、彼女の周囲に浮かび上がる。
彼女の瞳から涙が流れた。
それは透明ではなく――赤だった。
「血……が……?」
リリスは驚いたが、恐怖はなかった。
カイラスに触れた時、体が勝手に動いた。
胸の奥にある咬痕が、彼の命を求めているのが分かる。
その声に従うように、リリスは手を伸ばした。
「カイラス……私に力を貸して」
カイラスは頷き、彼女の手を取る。
「もう俺の力は……全部おまえのものだ。好きに持っていけ」
リリスの胸が熱くなる。
その言葉は、魂に刻まれるほど甘く、そして重かった。
王の身体が、黒い霧の渦と共に変形した。
巨大な翼が広がり、影の角が伸び、吸血種の姿を超越した“夜の怪物”へと変貌する。
「もうよい。手加減はせぬ」
王が地面を踏みしめた瞬間、大地が陥没する。
影の津波が押し寄せ、世界そのものが黒に呑まれる。
リリスは震えたが、逃げなかった。
カイラスが彼女の前に立ち、低く言う。
「……リリス。最後の手を使う」
「最後の……?」
「俺の“本当の牙”だ。吸血種でも封印される禁術――『同咬契約(Dual Fang Pact)』」
リリスは息を呑んだ。
「それって……命を……」
「半分失う。でも、王を殺すには必要だ」
リリスは首を振った。
「だめ、そんなの……!」
彼を失う恐怖が胸を締めつける。
カイラスが彼女の肩を抱き、優しい声で言った。
「リリス。俺はおまえを死なせたくない。そのためなら、命なんて惜しくない」
その瞬間、リリスの中で何かが切れた。
涙が溢れ、叫びが夜を裂く。
「勝手に決めないで!!私だって……あなただけ消えるなんて絶対に嫌!!」
そしてリリスは叫ぶ。
「だったら私も使う!“同咬契約”を!!」
カイラスの目が見開かれた。
「リリス……!」
「私たちは二人でここまで来たの。二人で勝つの。運命がどうとか、王が何を言おうが関係ない!」
リリスの咬痕が輝き、赤い花弁が舞い上がる。
カイラスは――涙を浮かべて笑った。
「……本当に、おまえは……俺を狂わせる」
二人は互いの首元へ手を伸ばす。
吸血鬼と、人間を超えた巫女の結びつき。
カイラスは低く囁く。
「リリス……俺を選んでくれてありがとう」
「うん。あなたの血誓で始まった運命だから」
その瞬間――。
二人の牙が、同時に相手の咽喉へ噛みついた。
赤い光柱が天へと伸び、夜空を貫き、割れた月を照らす。
世界が震え、王の影が焼き叫ぶ。
「ば……かな……人間が……吸血種と同格の……!!?」
リリスとカイラスの姿が、闇の中でひとつの光の塊となる。
その力が爆ぜ、世界に広がった。
王が影の翼を広げ、ふたたび襲いかかってくる。
だが、二人の力の前では遅かった。
カイラスが吼える。
「これが……俺とリリスの力だ!!」
リリスが叫ぶ。
「あなたに奪わせたりしない!!」
二人が影の津波へ飛び込み、
紅と漆黒の光が交差する。
影が裂け、王の身体に大きな亀裂が走る。
「やめ……やめろ……そんな力……!」
裂け目から黒い血が吹き出す。
カイラスとリリスは、最後の力を振り絞り――
二人の牙を同時に、王の胸骨へ突き立てた。
王の体内で血誓の光が爆発し、夜が揺れる。
「我が夜が……終わるなど……!!!」
叫びと共に、王の身体は崩れ落ち、
影は霧散し、世界から消えた。
戦いの後、リリスは力が抜け、膝から崩れ落ちる。
カイラスがすぐ支え、彼女を抱きとめる。
「リリス……しっかりしろ!」
「だいじょうぶ……ただ、ちょっと……疲れただけ……」
カイラスは胸を押さえた。
同咬契約の代償で、彼の命も削れているはずだった。
だが。
「……カイラス……生きてる……?」
「生きてる。というか……おまえが半分くれた」
「え……」
「俺たち、もう……寿命も、力も、魂も――半分ずつだ」
リリスの目から、赤い涙がひと粒こぼれた。
「……よかった……本当に、よかった……」
カイラスは彼女を抱きしめ、頬に口づける。
「勝ったよ、リリス。おまえと一緒に生きる未来を……奪い返した」
咬痕が二人同時に脈打つ。
赤い光がまだ小さく揺れている。
夜風が吹き、割れた月が静かに姿を戻し始めた。
カイラスはリリスの髪を撫で、低く囁く。
「これからも……ずっと一緒だ」
「うん……あなたの血誓が、私の運命だから」
夜は静まり返り、
二人の咬痕だけが、赤く美しく輝いた。