テラーノベル
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第一章 屋上で…… 後編
雲がひとつ、太陽を横切った。屋上のコンクリートに二人の影が伸びている。
瑠夏ちゃんは少し間を置いてから、独り言のように呟いた。
「……私ね、恋愛とかよくわかんないの。誰かを好きになるって感覚が、最初からないっていうか。」
衝撃的なカミングアウト。それは瑠夏ちゃんなりの誠実さだった。
曖昧なまま私の好意に甘えたくないという、不器用な正直さ。
「……だからナナのこと嫌いなわけじゃないけど、同じ気持ちは返せないかも。それでも好きって言える?」
「うん!私は瑠夏ちゃん‟が„好きだからね!」
「……変なの。」
それだけ言って、瑠夏ちゃんは弁当の残りを食べ始めた。否定も肯定もしない、けれど拒絶でもない。
箸の動きはいつもより少し遅くて、「もうちょっとこの時間が続けばいいのに」とでも思っているようだった。
——本人に聞いたら全力で否定するだろうが。
弁当の最後の一口を飲み込んだ。
「……ねえ。」
瑠夏ちゃんは空になった弁当箱の蓋を閉めながら、何でもないふうを装って口を開いた。
けれどその指先はわずかに震えていた。
「……じゃあさ、放課後。本当に遊ぶ?」
さっき瑠夏ちゃんが書いた「話がある」というメモのことなど忘れたかのような言い方だった。
「話」を「遊び」にすり替えたのは照れか、それとも……。
——自分でもよくわからない何かの芽を、まだ摘みたくなかったのか。
「うん!もちろん!!」
五限目の予鈴が屋上まで届いた。私たちは並んで階段を降りた。
踊り場の狭い空間で肩が触れても、どちらも避けなかった。
瑠夏ちゃんは教室の前で足を止めた。
「……どこ行くかは任せる。私あんまり遊び慣れてないし。」
午後の授業は驚くほど早く過ぎた。
六限目終了のチャイムが鳴ると同時に、類が席を立って瑠夏ちゃんの元へ向かおうとしたが、
――すでに瑠夏ちゃんは私と一緒に教室を出ていた。
「―――ッ、」
校門を抜けると夕方の匂いがした。まだ日は高いが、風に少しだけ秋の気配が混ざっている。
「……で、どこ行くの?」
「放課後デートと言ったら、カフェでしょ!」
瑠夏ちゃんは少し考えるように首を傾げる。
「……カフェ。……行ったことない。」
衝撃の事実だった。
学校帰りにカフェに寄るなんて、今どきの高校生なら息をするようにやっていることなはずだ。
「……周りがよくリンスタに載せてるのは見るけど。……一人で入るのもなんか違うし、誘われたこともないし。」
さらりと言ったが、「誘われたことがない」というのは少し違う。
正確には「瑠夏とカフェに行きたい」と言った女子は何人もいたが、「二人きりで」となると途端に萎縮してしまうのだ。
近寄りがたいオーラの代償だった。
瑠夏ちゃんは歩きながらちらっと私を見た。
「……ナナが連れてってくれるなら、行く。」
「うん!もちろん、行こう!」
駅前の商店街を五分ほど歩くと、パステルカラーの外壁にツタが絡まった小さなカフェが見えてきた。
ガラス越しにドライフラワーが飾られた棚と、木製のテーブルが覗いている。
「……こんなとこあったんだ。」
ドアベルがカランと鳴る。「いらっしゃいませ」と店員が迎えた。
平日の夕方で客はまばらだった。奥の二人掛けのソファ席が空いている。
瑠夏ちゃんがメニューを開いて固まった。
「……なにこれ。ラテ?フラペチーノ?全部同じに見える。」
学校では完璧超人を地で行く瑠夏ちゃんが、カプチーノとカフェラテの違いがわからず真剣な顔でメニューを睨んでいる。
私にはその姿はどこか年相応で……いや、むしろ少し幼く見えた。
「ふふっ、それはね――――。」
結局瑠夏ちゃんは私におすすめされたキャラメルラテを頼み、私はイチゴのスムージーを注文した。
「おいしい」と素直に言った瑠夏ちゃんは少し恥ずかしそうだった。
その後たわいもない話をして二時間ほど過ごし、気づけば空はオレンジから紫に変わりかけていた。
「そろそろ帰ろっか。」
並んで歩きながら、瑠夏ちゃんは紙カップの残りをすすっている。
「……あの店、また行ってもいい?」
そう言ってから瑠夏ちゃんは慌てて付け足すように
「べつにナナとじゃなくても――いや、一人じゃ頼み方わかんないか……。」
言えば言うほど墓穴を掘っていく瑠夏ちゃん。街灯がぽつぽつと点き始め、二人の影を長く伸ばした。
「瑠夏ちゃん……好きだなぁ…//」
瑠夏ちゃんの足が止まった。
住宅街の角。猫が塀の上を歩く音だけが響いていた。夕闘の残光が瑠夏ちゃんの横顔を照らしている。
「……聞こえた。」
別に耳がいいわけじゃない。静かな帰り道で、ぼそっとした声でも届いてしまう距離だっただけだ。
——それだけ近くにいたということ。
瑠夏ちゃんが歩き出して
「……前も言ってたよね、それ。」
返事はしない。できないのだ。「同じ気持ちは返せない」と言ったのは今日の昼休みのこと。
でも瑠夏ちゃんの中で、あのときとは何かが微妙にずれ始めていた。ナナと過ごす時間が心地いい。
それは恋ではない——はずだ。「はず」という言葉がつく時点で、もう何かおかしい。
瑠夏ちゃんは前を向いたまま、ほとんど吐息みたいな声で
「……ずるいな、ナナ。」
振り返って、顔を真っ赤にしている私を見た。
「……なに、自分から言っといて。」
呆れたような口ぶり。けれど瑠夏ちゃんの口元はかすかに弧を描いていた。
面白がっているのではない。たぶん——愛おしい、に近い何か。
瑠夏ちゃんはツカツカと歩み寄って、両手で顔を隠している私の手首をそっと掴んだ
「……隠さなくていいでしょ。」
指の隙間から見える私の赤さに、瑠夏ちゃん自身もつられて耳が熱くなっている気がした。
瑠夏ちゃんが手を離して、一歩後ろに下がる
「……帰る。」
早足で歩き出した瑠夏ちゃんの背中は、いつもより少し丸まっていた。
逃げたのだ、完全に。
――心臓がうるさい理由にまだ名前をつけたくなくて。