コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
薄闇のなかでひかるきらめきが、不覚にも美しいと感じた。――わたしは、狂っているのかもしれない。
「……わたしのせい?」
ベッドの横に膝をついて、あなたの濡れた頬を撫でれば、あなたは、
「違う。自己嫌悪……」と首を振る。
「本来、喜ぶべきなんだよ。きみは、孤独で……紅城くんも孤独な身の上で。ごめんね、彼女を採用する以上は、彼女の経歴を見てしまったからね。
孤独な魂が二つ向き合えば、このような化学反応が起こりうる。きみと紅城くんは、ただの友達じゃない。魂で……結びついているんだね」
「でも、……わたし。確かに、高嶺のことは特別ですけれど。でもこれは、一過性のものだと……思っています」
「一過性」
「そうです」と言い切るわたしは、冷たい人間なのかもしれない。「課長との関係が……落ち着いてきて、軌道に乗って。ある意味安定して、刺激が足らなくなってきた。そこへきて、新たな刺激が加わり、瞬く間にわたしは魅せられた……。
でもわたし。高嶺とセックスしたいだなんて思いませんよ? 彼女には惹かれている。でも友達として……」
「けど莉子」と課長は腹筋を使って身を起こし、濡れた頬を拭うと、「紅城くんといるときのきみは、なんだか……そうだね。生き生きとして、まるで別人だ。そう……水を得た魚という表現がぴったりというくらいで……」
課長の目にはそう見えるんだ。やっぱりわたし、課長への配慮が足らなかった。
「でもね」と課長はわたしの頭をぽんぽんと撫でた。「そうだな……時と場所によって人間の表情が変わりうるなんて、よくある現象だ。おれだって外と家とで顔を使い分けている。きみだって同じ。誰だって同じだ……ああ、なんてこんな簡単なことが分からなかったんだろう。おれは、自分が自分で恥ずかしいよ……」
顔を押さえる課長の手首を、笑ってわたしは握り、
「話してみないと分からないことってありますものね」と頷いた。「課長は……待っていてくれたんですよね。わたしのなかで気持ちの整理がつくまで……。ああ、わたしのほうこそ、あなたを傷つけてごめんなさい。……ひとりで耐えていたんだよね。耐えさせて……ごめんなさい」
「おれさぁ莉子」
「うん」
わたしの腕のなかで課長は、
「矛盾して聞こえるかもしれないけれど。紅城くんといるときの、生き生きとしたきみも大好きなんだよ。嫉妬と同時に羨望を覚えていた。あんなに、あでやかなきみを引き出せる紅城くんの魔力に……」
「それは――課長がいたから」
「……うん?」
「課長との愛情という、しっかりとした基盤があるから、わたし、安心して行動出来るんです。あなたがいなかったらいまのわたしは、ない。課長がいるから……あなたがいるから、わたし、……生きていけるんです」
「そっか。よかった」
「ずっと長い間孤独だったんだね。……あなたの孤独に気づいてあげられなくてごめんね。ううん……分かっていたのにわたし、あまえていた。ごめんなさい……」
「いいんだよ」と課長はわたしの頭をぽんぽんし、「お互いに……まだ始まったばかりだからさ。こうやって、相手の気持ちが落ち着くのを待つのも、愛情のひとつだと思うんだ。
……でも、これからは、もっと……きみに話すよ。思っていることをなんでも。もし……きみに迷惑でなければ」
「迷惑だなんて水臭いなあ」わたしは課長の頬をかるく抓り、「わたしとあなたの仲でしょう? 遠慮なんかしないの……」
「遠慮しないでっていうなら……」課長はそっとわたしの頬を包み、「おれ、今夜は、遠慮なくきみを抱きたい……。いいかな? 莉子……」
課長は、やさしくわたしを抱いた。
わたしのなかで、静かに情欲を爆発させる課長のことが、どうしようもなく愛おしかった。
いままで、ひとりで抱え込んでいた、疑問や謎が氷解して、綺麗なパズルのピースとして組み立っていき、ひとつの結論を導き出していく。――ああやっぱりわたし、あなたが好き。
あなたが、一番好き……。
恋とは、排他的で、独善的な願望なのだと思う。このひとひとりを愛しぬきたい。このひとさえいれば他になにもいらないという、動物的な希求。
それに従い、わたしは自分を表出させた。淫らに溺れるわたしのすべてを――ありのままのわたしを、課長は受け止めてくれていた。
* * *
「――この流れで言うのもアレだけどさ」
「なぁに?」とわたしがぴったりと彼とからだを重ねながら言えば、
「おれさ。――本当に、紅城くんには、きみを助けて欲しいと思っている。
紅城くんは、自分の見せ方というものを知っている。おれには出来ないカスタマイズが彼女には出来る。
おれだってなかなか、きみのコーディネーター役を頑張っていたつもりだけれど、やっぱり女の子は違うね。ちょっとしたメイクのコツや、表情の作り方……。
彼女。美容部員みたいだよね。完璧だ。完璧すぎて……ね。だから、荒石くんみたいな、不完全な男と一緒になることで、彼女は満たされているのだと思う。彼は……彼で、特殊な性格をしているからね。
ま、荒石くんが、おれにまとわりつくような嫉妬の炎に焦がされているとは考えにくいが。……案外、彼、こころが広いんだよね。最初のインパクトがでかかっただけに、いやはや……最近の若者は伸びしろがあるよね。入社した頃とはまるで別人だ。
ともかく。きみとの出会いが、紅城くん、荒石くんの、双方にとってプラスに働いていることは疑いもない。荒石くんは、表情が豊かになったし、角が取れたよね。ぼくが知る頃の彼は、もう少し、独善的で、自分のことしか考えない男だった。……そう、きみに新人教育を受け始めたあの頃はね。
きみに出会えたことでおれも変わった。荒石くんも変わった。紅城くんもね……。つんけんした感じだったが、明るい、年相応の女の子になったよね。会社でも思っていることはぽんぽん言うし。
だからね。莉子。
自分の想いには素直になって欲しい。この先どんなことがあっても……もし、気持ちが変わることがあったとしても、それこそが、きみなのだから。変化を恐れないで……互いに手を取り合って、これからも一緒に歩いて行こう……莉子」
「課長……。本当にいいんですか」とわたしは彼の髪を撫で、「引き返すならいましかありませんよ。わたし、……わたしが、高嶺に骨抜きにされたら課長、どうするつもりなんですか……」
課長は小さく笑った。「そしたら、きみを挟んだ三角関係の誕生だ。ぼくは歓迎さ。……女の子と、大好きな女の子を取り合う経験なんて、なかなか出来ないからね。……そう、人生は、なにごとも経験だ。
だから、……莉子。
試着会は、引き続き、彼女に手伝って貰う。
彼女には、おれには見えないものが見えている。見ていて頼もしいよ。言うことに外れがない。直感が冴えている。センスがあるんだね彼女は。生きていくセンスというものが」
「課長……」
「好きなものを諦めるのは駄目だよ莉子」課長は、濡れたわたしの頬を拭い、「紅城くんが好きだという気持ちも、きみのなかの大切な感情だ。無理に蓋をする必要はない。
おれの予測したとおり、きみは、どんどんいろんなものが好きになっていく。恋を……愛を覚えたことで、『好き』がどんどん加速していく。……それはね、人間として、喜ばしい感情だから。
おれも、……楽しくて仕方がない。まさか、この年になってね。自分が、女の子同士の素敵な友情に嫉妬するだなんて思わなかった。
おれは、きみを、愛している。……莉子。
貴重な体験をさせてくれるきみには感謝をしている。……正直ね、莉子。紅城くんに、嫉妬していないといえば、嘘になるけれど、それでもおれは……この感情に、しっかりと向き合いたい。
きっといつか、自分のこの感情に答えが出るときが来ると思う。
だから、おれは……逃げない。
ちゃんとこの嫉妬と向き合う。
おれに、力を……くれ」
「課長。でもいいの……?」わたしは彼の腕のなかで身を起こし、「わたし……。課長と高嶺が大好きっていう、ひどい女なんだよ……? 許せる……?」
「許せるもなにも」と課長はわたしの耳たぶをやさしく引っ張り、「友情と愛情は別物だよ。きみは、紅城くんに、性的な感情を抱いていない……そのことが知れただけで十分だ」
「課長……」
「愛情も友情も変化しうるものだよ。だからね。焦らずゆっくり、自分のなかで答えが出る、そのときを待つんだ。
おれはきみの味方だよ。莉子。
好きなものは好きでいい。好きなものを好きと言ってなにが悪い。
恥ずかしいことなんかなにもしていない。
恥じることなどないのなら、自分を誇るんだ。莉子……」
「課長……」たまらず視界が滲んだ。「どうして課長は……そんなにもやさしいんです? どうしてそんなに……」
泣きじゃくるわたしの髪を撫でる課長は、
「好きだからだよ」
と結論する。
「好きだから……大好きだから、この恋の行く末を見守っていきたい。きみが……おれに、力をくれるんだ……莉子。そしておれは――」
薄闇のなかで、野性的に目を光らせ、
「おれにしか出来ないことを、やり遂げる」
朝までわたしは彼に、抱かれた。
*