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「……調子こいてんじゃねーぞおま」
廊下を歩いているとぶつかられ、そんなことを言われた。
この程度のことで動じていては、とても、石田圭三郎など、やってはいられない。
おれは、同じクラスである、スクールカーストの上位に位置する連中を順番に見回した。
大勢で寄ってたかってぼっちをタゲる弱虫めが。このおれをタゲるなんて、百年早い。
「おれのどこがどう、調子に乗っているのか、具体的に教えてくんない?」
「分かってんだろおま。くそが。坂原をおまえのことに巻き込むな!」
――ああ、はいはいそうですか。くっだらね。
「そーゆーことは、直接本人に言えば? おれに言ったところで、なんになんの。おまえ……千夏に嫌われるのがこえーんだろ。弱虫が。それに、別に、おれは、好きで千夏を受け入れてるわけじゃねーし。あいつのほうから勝手にくっついてくる、そんだけの話だ。
いいか。馬鹿のおまえらにも分かるように説明してやる。
人間には、意志ってもんが、あるんだ。
千夏がおれのところにしょっちゅう遊びに来るのは、千夏の意志であり、おれには、どうにも出来ない。
文句があるのなら、千夏に言え。話はそれだけだ」
背を向け、歩き去り、……話はそれで終わったと思っていた。
ところがだ。
ひそひそ。ひそひそ。
おれたちのほうを見てあからさまに噂話をしている連中がいる。
目を向ければ、ぱっと逸らす。交流を避けている。
んで、おれと千夏が喋りだせば、また、ひそひそ、ひそひそ。
気持ち悪いことこのうえない。それでも――放っておけばいいと、おれは、思っていた。呑気なおれは。
「じゃあ、わたし、行くね……圭」
始業時間となり、千夏が席に戻ろうとする。
座ると、彼女は、顔を歪めた。
おれは気を取られた。彼女を見た。
「……なに、これ」
おれは、珍しくも自席を離れた。青ざめる千夏の手のひらに乗っているのは、画びょうだった。
古典的な手段に出たものだ。馬鹿馬鹿しい。
しかし、千夏のほうは、馬鹿馬鹿しいと返す余裕などなかったようだ。
たった一日で、千夏の株は残酷な相場のごとく、暴落した。
この間ドラマで見たばかりの凄惨な映像が、展開されている。
あとで、おれは、知ったのだが。おれに吹っ掛けた岩下という男。あいつが千夏をいじめるのは、千夏に振られたことへの腹いせだったのだそうだ。
奴らは、徹底的に、千夏を、排除した。
教科書やノートに落書きをした。体操着をハサミで刻んだ。給食に鉛筆の削りかすを入れる。靴底で踏み潰したガムを飲ませようとする。毎朝、この教室に来るたび、罵倒する。化け物。ごみが。ケダモノが、と。
おれの目で見た限りでは、化け物は千夏ではなく、千夏をいじめている連中――それから、千夏いじめを密告することも、制止することもしない、大多数の傍観者の連中だと思った。
やつらの目を見ないようにした。それでも、この教室中には、悪意という感情があふれている。
千夏は、他のクラスにも友達がいたようであったが、遊びに来る子たちがその凄惨な光景を目撃するようになり、……人間は、弱い生き物だ。自己を防衛するため、千夏との関わり方を変えた。
おれといえば。何故か、被害は、なかった。
それこそ、岩下に逆恨みでもされてもよさそうなものを。
教室後方で、相変わらず千夏がいじめられているのを尻目に、おれは、読書を続けた。
友達であれば、からだを張って、やつらを止めるべきだったかもしれない。
愛しているのであれば、なおのこと。――つまり、おれの、千夏に対する感情は、その程度のものだったのだ。失望した。
千夏は、いままでのように、おれの席に来ることもなく、ひとりで、耐えた。友達であれば――救って貰った恩を感じる人間であれば、千夏のことを、助けるべきだった。例え、助けになりはしなくても、千夏のために、なにかをすべきだった。
一方で、おれは、このように考えた。元々おれは、ぼっちだった。それが、千夏のほうが勝手におれを構いに来たのだ。別に頼んでもいないのに。あいつが勝手に構って勝手にいじめられる、ひとり相撲をしているのではないか。だったら、おれには、関係ない。
千夏がいじめられる気配を感じるたび、おれの胸は、痛んだ。けども、どうすることも出来ない――あいつらは、結局誰かをタゲりたいのだ。千夏が駄目なら標的を変えるはず。ならば、おれが千夏を庇ってやったとて、新たな犠牲者が生まれるだけ。負の再生産のただなかに、おれたちはいた。
神様がこのような現実を放置するはずがない。千夏がいじめられ始めたのは確かGW明けだったと思うが、梅雨が訪れる頃に、事態は、急転する。
『いまから教室に来い。岩下』
下駄箱に手紙が入っていた。……馬鹿馬鹿しい。何故、おれが、呼び出されなければいけないのだ。とっとと家に帰ろう――と思ったのだが、そのとき、脳に閃いたのが、千夏のことだった。まさか。
千夏に――危険なことをしでかそうとしているのではないか。
教室まで続く道が長く感じられた。出せる限りの力を出し、教室へとひた走った。目的地は間もなく。
教室の前に辿り着いた頃に、
「ねえ……本当に。本当に、約束する?」
「決まってるさ。おれは、約束したことは、絶対に守る」
「岩下のここ……美味しい」
ちぅ、ちぅ、となにか吸い上げる音が響く。
全身の毛が逆立つ。
千夏が――犯されている、のではなく。
「あ――ん。やめて。やめてぇぇえ……! あぁん、あん、あん……あんっ。おっぱいやめて……わたし、そこ、弱いの……」
岩下がおれを呼び出した目的は瞭然だ。黙っておれは、そこを去った。
翌日から、いじめのターゲットはおれに変わった。岩下の隣で千夏は、けらけら笑っていた。その目には、もう、ひとりぼっちだったおれを救ってくれた純粋性など宿っちゃいなかった。
自分のからだを盾に、被害者から加害者へと華麗に転じた千夏は、自ら手を下すことはなく、されど、いつも岩下にからだを密着させ、そして笑っていた。
*