あいつらとは一緒になりたくはないがために、すこし遠い中学に、おれは、進学した。電車通学だ。
同じ小学校出身の者はほとんどおらず、快適に過ごせる――かと思いきや、どこに行ったって必ずいるのだ。この世が、自分の思い通りに行かないと気が済まず、大多数に少数を従えたがるタイプの人間が。
なお、おれの、小学校の卒業アルバムは、真っ白だ。誰にも書くこともなく、書かされることもなく、静かに役目を終えた。
中学に入ると、流石に、おれは、学習した。ほどほどの距離を保つのがベストなのだと。
けれど、積極的に群れたがらず、一般的な中学生らしく行動しないおれを、相変わらず、大多数の人間は排除し、時たまおれを構いたがる。千夏のような人間が現れても、おれは、必要以上に干渉しなかった。
中学だと部活に必ず入らなければならず、どう考えても体育会系の部活が不向きなおれは、漫画研究部に入った。
そこは、昭和の漫画を読みたがる負け犬どもの巣窟で。言っちゃあなんだが、ビジュアルに気を遣わない性質の人間がたむろっていた。お陰で漫画にはそこそこ詳しくなってしまった。
自覚はあるが、そこそこ見た目のいいおれは、重宝された。ぶっちゃけ、目の保養係だったのだと思う。時々変な衣装を着せられはしたが、まあそのくらいはと、おれは断らず、大人しく、先輩方に従った。特に女の先輩がきゃあきゃあ騒いでいた。――ベルばらのアンドレの衣装とウィッグなんかよく見つかったなと。
漫研の連中は、スクールカーストの底辺に位置し、教室の隅っこで、クラスが違うのに集まりたがって、みんなの目を気にしながらも、蔵馬が受けがいいだのなんだの騒いで、BLを読みまくっていた。流石におれは、そこまではつき合いきれないので、相変わらず、太宰を読んだ。読み続けた。
生とは、死に繋がる隘路なのだと思う。希望など――どこにもない。
いったい、自分がなんのために生まれてきたのか分からず、自分を見失う――まさに、そこいらの中学生のほとんどが味わう、アイデンティティクライシスのただなかに、おれはいた。
おまえと出会ったとき、こころの目が開いた気がした。
おれと目を合わせる人間は、大概、自分から避ける。まるで、不味いものでも見たかのように。
けれども、おまえは、違った。
無邪気な、真夏の太陽のように、輝かしい好意を露わにする。正直に、正直すぎる人間だと思った。
おまえと関わると、おれは、おまえが、嘘をつく瞬間が訪れるのではないかと、おれは、恐れた。
けども、おまえは、本心を隠すことなどなく、常に、まっすぐに、おれと接してくれた。
西河智樹も、また、おれにとって異質な存在だった。
同級生と戦ってみても、相手にならず――まあ、相手が大勢でよってたかってリンチに来るのなら別として――一対一では、先ず、負けなかった。
実を言うと、生まれてこの方、じゃんけんで一度も負けたことがない。
目を見れば感情が読み取れるという能力は、時として毒だ。
おれに敗北し、恨みがましい目を残して去っていく連中の積み上げた敗北という瓦礫のうえに、おれのプライドは、屹立している。
とはいえ、完璧な人間など、どこにもいない。
教師の要求する完璧な生徒像をトレース出来ないおれは、勉強という分野においては、落ちこぼれだった。
理科や数学は得意だったが、国語がまったく駄目だった。――やつらは、情緒的に愛国し、服従するなにかしらを要求する。その願望が透けて見えて、吐き気を覚えた。勉強なんか、糞くらえだ。国語なんか小説読んで覚えりゃいい、それだけだ。
成績の悪さに業を煮やした父は、おれを、塾に通わせた。
されど、協調性皆無のおれが、そんなところに放り込まれたって、人間関係を構築出来るはずもなく。相変わらず、どこに行っても、おれは、孤立していた。
カイトと出会ったのは、中学二年の秋だった。
塾帰りに、自分を知らない世界に出てみたくなり、渋谷の繁華街をふらつくおれに、きみは、声をかけた。
「――この世の終わりみたいな顔してるけど、どったの?」
同年代。遁世感漂う、無駄にビジュアルがよいという点で共通しており、おれたちは、すぐに意気投合した。
聞けば、カイトは、センター街の店でホストの仕事をしている。住んでいるアパートが、高津にあるという。せい叔父さんも、確か、そこに住んでいる。義母の借金狂いが原因で、結局離婚したという叔父さんの。
なんというか、朝江さんの影響が悪く作用しているのか、うちは、離婚家系だ。父も、離婚しており、せい叔父さんも然り。
場所が同じ高津という点について、そのときおれはなにも考えていなかったのだが。
その日のうちに、おれは、カイトに抱かれた。
漫研の女の子たちが、なにしにBLに溺れるのか。経験を通して、おれは、理解した。
穴を埋められると単純に気持ちがいいのだ。
おれという、いびつな人間の穴が、カイトのペニスで埋められていく。
よく、アルコールやDV男に依存する人間を疑問視する人間がいる。なにしに。馬鹿なの。あいつら。
ところがいざ危険な蜜の味を味わってみると、それは、魅惑的で。自分の抱え持つ孤独という痛みをいっとき癒してくれる。だから、おれは、溺れた。
電車が動いている時間には会えないから、主に、金曜や土曜の夜中、おれは、カイトのアパートに通った。
あるとき、タクシーを待っていると偶然、せい叔父さんに出くわした。せい叔父さんは、本当に驚いた顔をしていた。――やがて、親には言わないという条件で、おれは、隠し持つ秘密の一部を打ち明けた。それから――カイトに開発されたせいで、女には欲情しない。オナニーがアナニーへと変わった。そんなことまでおれは告白した。
せい叔父さんは、約束を守った。律儀なひとだとおれは思った。普通、甥っ子がホストに狂わされているのなら、暴露するのが筋だろうに――せい叔父さんは、一見すると常識的な人間なのに、どこか狂ったような――病んでいる感じがするのだ。ひょっとしたらせい叔父さんは、おれに、共感してくれたのかもしれない。まあそれが『違う』ってことは、後年、せい叔父さんが、めでたく虹子さんと結ばれることで露見するわけだが。
話を戻すと、西河智樹という人間も、おれにとっては、特別な存在だった。
まともにおれと喧嘩を出来る人間は、彼くらいのものであろう。年配の熟練教師である種岡でさえも、おれを、拒否した。理解することを放棄したのだ――あいつは。岩下も。千夏も。
なのに。
おまえと交流を重ねるうちに、おまえのなかに開く愛の花を愛で、やがてその情が乗り移ったかのように、いつしか、智樹のことも、友達とか――家族みたいに思えるようになってしまった。
人間なんか、信じられない。信じたくないと思っているのに。
まったく、おまえたちは、余計な感情を教えてくれる。
* * *
「メーイ。可愛い……! 可愛いねー」
おれからすれば可愛いのはおまえなのだが。
こちらの胸中知らず、おまえは、愛くるしい笑顔を振りまき、おれの傷ついたこころを癒してくれる。
いつからか、おまえが、ここに来るのを心待ちにするようになった。
一緒にいてくれるだけで、こころが、あたたかくなるのだ。
こたつ。おまえは、おれにとって、こたつそのものなんだ。
無意識のうちに、こちらのこころをあたためてくれる。
「きゃー。くすぐったい。くすぐったい……! ねえ、助けて、圭!」
背中を丸め、ちょろちょろメイを歩かせるおまえを見て、おれは、笑った。――くすぐったくなると分かっているのに、何故、わざわざケージから出して、愛でるのか。
決まっている。
と、いまのおれであれば、間違いなく断言出来る。触れたいから、ひとは、触れるのだ。
愛したいがために、愛すのだ。自分を。他人を。
ついさっきまで、智樹のことでビービー泣いていたくせに、おれの胸も借りないで立ち直るおまえのことがちょっぴり憎らしい。不毛な恋に身をやつすとんだピエロだ。笑いながら、溶けたかき氷のシロップをすすり、それからまた、メイのことをかまってやる。
――おれは、おまえを、守るために、存在する。
泣きたいときは、おまえの嘆きを受け止めてやる。
苦しいときは、一緒に苦しんでやる。それが――千夏にも出来なかった悔恨を晴らすための手段。おれは、彼女を、憎んでいない。愛の証明。
手のひらのうえにたたずむ愛くるしい存在と目を合わせ、メイの感情を読み取り、おれは、自然と流れ出る感情に身を任せた。――愛している。晴子。
*