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清子が、気を効かせこれでもかと重箱に詰め込んでくれていたお陰で、二代目が現れても食事の量は十分過ぎるほどだった。
月子は内心ほっとしつつ、個別の膳にするのもどうかと思い、そのまま重箱を利用することにした。
台所で、各々への取り皿、箸の準備をし、茶の用意をしている月子をお咲が、ひげ太郎の唄で笑わせてくれている。
いつの間にか、二番、三番まで唄はできており、お咲は月子を手伝い事で、上機嫌に唄っていた。
と、風呂場があるはずの、台所の奥側から、これまた上機嫌の鼻唄が流れて来る。
二代目が風呂に入り唄っているようだ。
なんでも、演奏会の客、花園劇場を満杯にし立ち見客まで用意する為、手っ取り早く神田旭町のおかみさん達に声をかけていったとか。
岩崎がおかみさん達に人気があるという所につけこんで、日曜だ、家族で出かけてくれと頼みに回ったようだ。
皆、興味津々。二つ返事で引き受けてくれた。もっとも、学生の発表会という意味合いは、あまり理解してないようで、なにか演芸が行われると思っているようだった。
そんなこんなで、二代目は、神田界隈、ついでに、行きつけの店やら家業の口入れ屋で人を斡旋した商店やら、まあ、思いつく先を駆けずりまわり、岩崎の家へ報告兼ねた休憩を取りに来たのだが、皆は、暫く留守にするとのこと。
何をいきなりと、二代目はいつもの様に合鍵を使い、家に上がり込んだ。
時刻も夕暮れ。そういえば、と、岩崎家の風呂が気になり覗いてみると、案の定、クモの巣が張っている状態だった。
一人暮らしということで、岩崎は銭湯を利用しており、風呂場は使っていなかったのだ。
こりゃー、大家として放っておけねぇーと、風呂掃除をし、風呂釜はちゃんと使えるのかと薪をくべ、風呂を沸かしてみたところ、暫く留守にすると家を開けていた岩崎達が戻って来た……と、そこまでを二代目は見事にまくし立て、走り回って疲れたから先に風呂に入るなどと言いだした。
こうして、さっさと風呂場へ向かい鼻唄まじりで湯を満喫しているのが今の状態で、二代目が風呂から出て来る前にと、月子は食事の設えに勤しんでいる。
お咲に、盆に乗せた取り皿と箸を居間へ運ばせ、月子はヤカンの湯が沸くのを待っている。
しゅーしゅーとヤカンが蒸気をあげ始めた所へ……。
「はい、はい、ごめんなさいよー!出前の盛り蕎麦持ってきたよっ!」
台所の勝手口が、ガラガラ開いて、亀屋の寅吉が大徳利と盛り蕎麦を持ってやって来た。
いきなり現れた寅吉に、月子は驚きを隠せない。
というよりも、どうして出前なのだろう。
「二代目が、適当に食うもの出前してくれって言うんでねぇ。というか、一人分だけでよかったのかい?月子ちゃん?」
まあ、なんだかよくわかんねぇーけどと言いながら、ここは任せたと、寅吉は、板間に蕎麦と徳利を置くと沸騰しているヤカンへ向かった。
「茶を入れて居間に持って行けばいいんだろ?俺に任せな。火傷しちゃーいけねぇからな」
寅吉は、まさに勝手知ったるなんとかで、てきぱき動いている。
「月子ちゃーん!」
何故か二代目から呼び声がかかる。
「あっ、お食事を持っていかないと……」
「おお、そうしなっ!って言うかねぇ、酒と蕎麦と先に持ってお行きよ。二代目を黙らせねぇと、騒がしくて月子ちゃんも用意できねぇよ?」
カラカラ笑う寅吉に、月子は、あたふたしながら、言う通り蕎麦と徳利を手に居間へ向かった。